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たましいの想いが身体の動きに表れる

河合隼雄さんは、心の底の奥深くを探って行くと、心とも身体とも区別の付かない領域に辿り着くと言い、これを平仮名で「たましい」と呼んでいますね。

たましいと聞いて、物質的なものとして思い浮かぶのは、受精卵です。やがて脳をはじめとする諸器官に分化するのですが、受精卵のときは、人間はこころもからだも溶け合った、生命エネルギーの塊みたいなものですよね。

そんな領域が、物理的客観的にはともかく、心理的主観的には存在するというのは、なんとなく、腑に落ちる感じがしないでしょうか。それを、たましいと呼ぶ。

ミンデルは、たましいの想いがその人の夢や、その人の身体症状や、その人のからだの動きに表れると言うのです。例えば、自由にダンスをすると、そのからだの動きにたましいの想いが現れる。そこで、そのからだの動きに意識を集中すると、たましいの想いを解釈できる。

試しに簡単なダンスをしてみたら、両手をくねらせて、身体を絞るような動きが出て来ました。これが何を意味しているのか解釈してみようとしたら、「絞り出せ」と言っているようでした。運動をして体脂肪から過剰なエネルギーを絞り出せ、また、これまでに蓄積した知識を絞り出せ、そんなことを訴えているように感じました。

自分が心の深いところで何を求めているか、たましいの想いは何か、夢やダンスや身体症状などに表れるというのです。面白いですね。試してみましょう。

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