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休職中でも、強気でいられる理由と方法。~論理を超越したヒトの美点と、返報性の視点から~

1 次の就職先候補、現る。


昨日、友人のつてでWeb面談を受ける。

隣町にある、加速度的に事業展開しているベンチャー企業の人事担当者の女性と。


彼女が所属するのは、実を言うとUターン当初から、ずっと気になっていた企業である。

しかし、まさに「畑違い」、超文系ローテク人間の私には無縁の場所と決めてかかっていた。

当時は語学力にも全く自信はなかったため(今だって大した経験値はないのだが)、求人が出ていてもある意味「憧れ」の場所として目に留めていた程度だった。

彼女の企業説明、質問に対する回答、育児をしながらそこで働くメリット、そして何より彼女自身が魅力的な人だということが伝わってきたし、「同じ言葉」で語れる人だった。

そして、企業のビジョンがまさに私達家族のビジョンや価値観と似ていて、たとえ「企業に属し」「組織で働く」ことになったとしても、自分たちの価値観を犠牲にしたり後回しにしたり、ましてや自分の特性や個性を隠蔽したり曲げたり、噓をついたり我慢したりしなくとも、自然体で働くということが実現できる場所のようだ、ということが伺い知れた。


転職3か月にして適応障害と診断され、しかも軽度のADHDの可能性が大きいということが判明し、これまで散々悩んできた生きづらさの理由が分かり、個人事業主としての道を模索する、と決めた。

しかし、私個人としてだけではなく、家族としても、その決断とは決して矛盾しない選択肢として、「組織に所属し、組織の一員として働く」という対抗馬が、急遽浮上した。

一見ネガティブな状況下にあり、身も心も沸き立つような経験。

同じビジョンを持つ人たちと、挑戦と成長を続けながら、コミュニティにも、社会的な課題にも貢献しているという感覚を得ながら生計を立てられるのではないかといワクワク感。

半分、どこかで、「病気中だから判断力が鈍っているのではないか?」「ADHD特有の移り気、多動性のなせる業ではないか…?」などと考えたりもするのだが…

自分たちの所属する企業文化を、こんなにも肯定的かつ等身大の言葉で語る人に、久しぶりに出会った(〇ター〇ックス以来)し、私には働く動機として「ビジョン」、それを「有言実行しているメンバーの存在」がどうしても必要なのだ。


その可能性を感じさせてくれる「ヒト」と「場所」につないでくれた友人に、とても感謝している。


2 機会点を検証する。


人生、本当にどう転ぶか分からないな、と思う。


適応障害と診断され、軽度のADHDの可能性もある、と打ち明けた友人は、私が今勤める職場での勤務経験があったのだと、風のうわさで聞いた。

このことがきっかけで、彼に連絡をとった。

今後の身の振り方を決めるうえで、「私にとって今、彼から話を聞くことは究極的に死活問題となりそうだ」という、生き物としてのカンのようなものが働いたのかもしれない。

彼は飲食店勤務時代の常連さんであり、共通のヨガクラスを通じて、多少面識があった。(ヨガクラスのインストラクターも、飲食店時代の常連さんだったことがきっかけで仲良くなった)
過去に一度だけ、夫の務める酒蔵につないだことがあった程度(外国籍を持つ彼は、当時も今も、観光資源を通じてビジネス化しようとしている個人事業主でもある)。

自らを「弱者」と認識すると、ヒトは恥も外聞もなく、ある種捨て身の行動がとれるのかも知れない。

身の上話や、まして現在の悩みや心情を吐露するような仲では全くなかったし、そもそも連絡手段もメールぐらいしか方法はなかった。


ほとんど初めてのメールで、実際に会って話すことになった。

「大事なことだから」と。


その職場を辞めた(彼は「辞めさせられた」と言っていた)理由、そのことについて彼が何を思ったのか、詳細を聞いて良いものかどうか、会うまでは非常に緊張していたのだが、案外とあっさり、事の顛末を話してくれた。

そして、そのことが自身の今後の人生を考えるとても良いきっかけになったと言った。「誰かに雇われなくとも生活が出来る方法を探る大きなきっかけになった」と…

「僕はそういう扱いを他の人に絶対にしない」「そういう扱いをする会社では絶対働かない方がいいと僕は思う」と語ったことで、大体の察しはついてしまった。

彼のこの言葉がきっかけとなり、私は個人事業主としての道を真剣に模索し始めたように、今となって思う。

更に説得力があったのは、彼が(いまだ不本意そうではあったが)、生活の糧を得るための仕事を週4日・午前中だけに減らして、残りの時間を自らのビジネスのための時間に充てていたことだ。

しかも、生活の糧を得るため(渋々?)続けているその仕事も、アカデミックな分野であり、まさに私の理想とするところ。

個人事業として行っていることは、ライフワークに直結していて、土日はその探求を兼ねて実践(これがビジネスのリソースにもなる)、平日午後はその発信と仕組みづくり(ストック型の収益化を目指す)に時間を費やしているとのこと。

私がしばらくYouTubeや関連書籍を通して細々と情報収集してきた、まさにそのモデル通りというか、理想的な生活を実践によって体現している人と、初めて現実の世界で出会ったということが、何よりも興奮したし、靄がかった脳みそに爽快な刺激をもらったような気がした。

しかも、インデックス投資を続けて、最近家も建てたというのだ!!

そして、「ビジネスパートナーに聞いてみないと分からないけれど…」と前置きしつつ、(コロナウィルス感染の状況を見つつ)観光事業に携われるような、シーズナルの仕事を紹介しようか、とも言ってくれた。


彼との会合の後、居ても立っても居られないソワソワが止まらず、そのソワソワのうちに、とりあえず家で出来ることを実行することにした。

開設したまま放置していた証券口座で、ひとまず少額からでも、と一念発起してインデックス投資の初の買い付けをしてみる。

ランチのお礼(「大変な時だろうから」とおごってくれた!涙)、インデックス投資スタート、観光事業の仕事への興味などを兼ねて、さっそく友人にお礼のメールをする。

メールの返事には、おすすめのインデックス株の具体的銘柄(!)に加えて、今回紹介してもらった企業に友人がいるから、もしよければ直接つないであげるよ、ということが書いてあった。


再び企業で勤める、ということに、正直大いに逡巡したし、今でも迷いがないわけではない。

しかし、とりあえず話だけでも聞いてみようと、気力を奮い起こして、今に至る。

字面だけ見れば、「適応障害で通院中」「休職中」ということに何ら変化はない。

しかし、個人事業主としてやっていきたいということ、自分の特性は隠さず、むしろオープンにして理解を得る(環境設定を最適化する)ために自らも努力を続ける(苦手をフォローする仕組み化・感情論に終始しないで学び行動することで得意を生かして幸福度を上げる)、やりたいことに目を瞑らない(「自分のため」に何をするか明確に意識する・「楽しい」「好奇心」をそろそろ優先する!)という、

☑ビジョンの再設定と最適化が出来たこと

☑覚悟が決まったこと

☑自己肯定感を保つ方法(モーニングルーティーン・メモや記録の活用・認知行動療法の知識・余白をつくることを意識するなど)をストック出来ていること

などは、休職期間中でも有意義に過ごせているという実感につながっている(浮き沈みはかなりあるけれど…)


3 「弱いつながり」がライフラインになる。

私は、彼とのやりとりを通じて、大いに反省すべき点があることに気づいた。過去の私は、友人知人が苦しい境遇に陥った時に、どれだけ「具体的な形で」助けの手を差し伸べただろうか、と。

上記は、もしかすると日本人的な文化背景によるのかも知れない、とも思う。

以前、中国在住の先輩が、「中国の人は、言葉でなくお金やモノで助けようとする。口だけの日本人とは違う」と言っていたのを思い出した。

義理人情の世界に生きていたはずの日本人だったはずが、いつの間にか他人に手を(実際に)出さず、口だけ出す人たちになってしまったのだろうか…

と、わが身を振り返って大いに反省したりした。


外国籍を持ち、日本に永住権を持つ彼は、「弱いつながり」があっただけの私に対して、会おうと言い(時間のシェア)、ランチをおごり(お金のシェア)、株の銘柄を教え(情報のシェア)、次の仕事への選択肢となり得る機会(ライフラインのシェア)を与えてくれた。

有限の、限りあるいくつかの資源を、惜しげもなく与えてくれたのだ。


これを一体、なんと呼べばよいのだろう。


理屈も論理も超越したところで、ヒトの美しい部分、深淵さに触れる。


私は、逆境で「弱いつながり」によって救われ、体勢を立て直す防波堤を与えられた。

これからの私に、彼に、そして他の「弱いつながり」のある誰かに、これほどのモノやコトを返報可能な人間であるだろうか。

せめて今は、彼がこれだけのものを与えるに値する人間であると、切に願うばかりである…




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