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自分の命を守る行動(1):病人を作る専門家の妄言

僕の大嫌いな糖尿病の指導医がいる。webに海外論文を記事要約して乗せる。『「蛋白質摂取=腎機能低下」は常識でも誤謬かも』と言う記事を読んだ。目から血が出るくらい腹が立った。

コイツラはいつもそうだ。海外の論文で今まで常識と思われていたことが間違いではないかと書かれていると、まるで自分は被害者のような顔をする。

指導されてひどい目にあっている患者はどうでもいいのか?自分の権威を維持するために外国の論文を引用するのか?アンタ方を信じて、患者に嘘教えていた医師も同罪である。

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勉強していない患者が悪い。

いつも書いていることだが、これは仕方がない。医師や医療関係者は治療して金を受け取るのだ。勉強しなければ騙される。

「昔はこう言われていましたけど今は違うのですよ」とか、言う医師がいたら聞き返せばいい。「では今言っていることが正しいという保証はあるのですか?」と聞けばいい。間違えることが悪いとは言っていない。誰でも間違える。

しかし、再発防止策がない限り、間違えは繰り返される。よく効くからと言って薬処方するのは間違えではないのか?

1970年代にはロボトミーと言われる外科手術が頻繁に行われていた。ノーベル賞を受賞したりもした。しかし、多くの問題が起こり今ではやってはいけない手術とされている。

そして、この手術がなぜ治療のスタンダードになり、多くの人を苦しめたのか?そしてその再発防止策は何なのか?答えられる医療関係者はいるまい。批判する部外者はいるかも知れないが、専門家(商売人)は今も手術と薬の処方で飯食っておる。おかしいと思ってっも生活がかかっているのだ。

今は、「薬学的ロボトミー」の時代だ。遠くない将来、批判されることになるだろう。しかし、それにはこの格差社会が変わらなければならない。

では何が正しいのか

医療は「侵襲」である。治すのではない。治療のほうが、病で苦しむより少ない苦しみで済むだけなのだ。

薬理学にプラセボとの比較試験というものが有る。薬は身体に影響を与える「毒」なのだ。ただの粉より効果があるから『薬』と呼ばれるのだ。薬を飲まないよりも飲んだほうが苦しくないから飲むのだ。

治すのではない。治るものでもない

身体は常に環境に対して適応していっているのだ。今までと違った状況になればそれにわせて身体は変わる。それは苦痛を伴う場合も多い。

自分で選択するのだ。「医療を選ぶ」か、「食事で向き合うか」どちらの人生を歩むかの決断をするのだ。これが医食同源の意味である(笑)。

僕の友人で、会社のメンタル診断で「うつ病」と診断される(診断は受けていない)人がいた。彼は離婚したり様々な出来事が有り、仕事もメンタルに厳しい(?)部署だった。

彼は医療を受けても自分の状況は変わらないからうけないと言って受けなかった。僕はその話を聞いて、2015年になぜぼくが「医師の失明予告&インスリン治療」を拒否したのかを理解した。

「病を生んだ現実」に向き合うことを決意したのだ。医師の治療を受けって安心する人生ではない人生を選んだのだ。

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僕は、毎日食事を作っている。食事作りを勉強しているのではない。自分の体を勉強しているのだ。どんな食事が僕にとって「正しい」のか学んでいるのだ。

身体は常に変わる。その身体の変化を見つめながら食事を作るのだ。家族皆の食事でも有る。季節によて変わる素材を自分にピッタリの調理方法で作り、味わう。

家族の事を思い、食べてる姿を見て言葉を聞く。共につつがなく歳を重ねていけるように祈る。

時に離婚せんとと思わんばかりの喧嘩にもなる。セックスしてもらいたくても断られる。その前に自分のタチも悪い(笑)。売上も少ない。子供にも好かれてはいない。残す財産も、毎月入ってくる家賃収入もない。株も土地も持っていない、貯金もない。デブでもてない。まあ、仕方がない。

これも人生の「あたわり」である。

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先に書いた僕の大嫌いな糖尿病の指導医の記事では、腎臓病患系の患者に対しての食事制限は間違えているのではないかという後が書かれている。米国糖尿病学会(ADA)では1987年から議論が始まり「2013年版において蛋白質制限の臨床的意義を否定するようになり」今でも否定的だという。

これはひどい話である。タンパク質制限がおかしいということは2015年に勉強を恥じめた頃からも思っていた。

腎不全のマーカーとしては「尿」に「タンパク質」が多く排出されるから、食事のタンパク質を減らせという。50年前ならそうなのかと思うかもしれないが、これだけ分子生物学の発展した今の時代におかしいと思った人はいないのか?

僕の友人に食事指導のことを聞いた頃が有る。腎不全のことについて書かれた本もたくさん読んだ。いずれもひどい食事を食べるように指導している。

東京の飲食店をしている僕より年配の女将さんが旦那さんの食事(腎臓病の治療食)を作る苦労話をしていた、肉も野菜を煮こぼし(茹でて水を捨てる)て食べさせるという。まずそうでこんな物食べさせるのかとつらそうに話してくれた。食べ物のプロだから思うことも多かっただろう。こんな物食べなければいけないのかと悲しそうであった。

真面目にそんな食事が良いと医師は思っているのだろうか?

2015年まで僕は全く身体の仕組みを知らなかった。勉強を初めて生命科学や生理学の専門家が勉強する本を読み出して、呆れ返った。どう考えても、論理的におかしいことを、あたかも絶対な真理のように指示しているのである。

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組織特異性とタイトジャンクション

組織特異性というのは非常に重要な概念だ。あらゆる臓器は外部との間で特定の物質の濃度差を持たなければならないのだ。そのために身体は多くの仕掛けを持っている。

臓器を包み守るシートは細胞同士が強く結びついて体液を内側に入れないようになっている。皮膚や粘膜も身体と外部を切り離すシートだがこれも細胞でできているのだ。

この事をわかれば、食事制限がいかにおかしいか分かるはずだろう。

ブドウ糖の代謝に関して

同時に内と外の間で物質のやり取りは必要になる。この通り道は、脂質の膜に埋め込まれた「タンパク質の精密機械(チャネル)」で出来ている。ブドウ糖の場合はちょっと違い「gult(グルット)」と言われるトランスポーター(細胞の内側の必要な場所に運ぶ)がその役割をする。インスリンが「脂肪細胞と筋肉細胞」に許可を与えてgult4と言うトランスポーターが血液から取り込み、血糖値は下がる。

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この仕組は、1988年可ら報告されていた。そしてこの分子生物学上の機序が明確になったのは2011年である。巷の糖尿病の情報源では呆れるくらい間違えたことを平気で垂れ流している。患者のために知識を教えているのだと傲慢に「嘘」を垂れ流しているのだ。

タマゴ一日一個の食事制限

これも数年前である。タマゴの食事の制限が撤回されたのだ。一日一個以上食べてはいけないと医師は指導していたが根拠がなかったとされた。

中性脂肪(コルステロール)は身体の中で様々な物質の移動に必要で常に作られている。食事から取る分が多いから増えるということではない。

オマケにコルステロールが多いことと心疾患の間の「因果関係」に関しても分子生物学的な機序は見つかっていない。「事故の現場には救急車が止まっているから事故の原因だ」というようなものだ。小学生でもおかしいと思う。

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塩分の制限の場合

塩分の消費量が多い場合は、たいていご飯たくさん食べる。そういう食事は「肉魚、野菜」が食卓から押し出される。

塩分量が多いのではなく、足りないものが多いのだとは考えることが出来ないのだ。

人の食事は実に違う、人自身が違うのだから当たり前だ。それなのに、単に一つの物質の量だけを原因だなどと考えるのはおかしいと思わないのだろうか?欠乏症に勝利した栄養学のメソッドは時代の中でこそ意味がある。

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人はあまりに違いすぎる。誰にでも効く薬はないのだ。

その上、いくら血液検査をしてもその人に「何が必要か」どうかなどということはわからない。かつて私達は家族の中で食事をつくていた。そしてそれしか食べるものがなかった。その土地の食事を作り、生きてきたのだ。長い家族の歴史こそがエビデンスだったのだ。

患者ごとに必要なものが違うのに、誰にでも同じ様に食事指導をすると言うのはおかしいではないか。

医師はマニュアル通りのことしか言ってはいけないということは分かる。「治療指針」から外れたことをしたら犯罪にとわれるのだ。

母の言っていた歯医者が、ボケは脳に水銀が溜まるから起こると言って、良く効く薬があると買わせようとした。さすがの母も怒ってもう行かなくなった。接骨医が水素風呂(ネットワークビジネス=ねずみ講)売りつけようとしたり、権威を使って金儲けしようとする輩は多い。しかし、仕方ない。少子化で医者はもうかる業種ではなくなったのだ。いらぬ治療しなければ食っていけない。コンビニの数より歯医者の数のほうが多いという。僕の友人の医師が、自分の仕事は「潰しが効かない仕事だ」と言っていた。辞めたところで他の仕事について応用できる知識や経験がないし、気位は高いし、年収も高い。しがみつく他ない仕事なのだ。哀れだなと思うことも多い。(人を哀れんでいる場合ではないが。)

だから墨は今日も食事を作る。

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実質的にこの話の続きです。書き足りないのでまだ続きます。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。