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燻製の季節:ベーコン大好き(2)平野屋ベーコンは本気のベーコン、正しいベーコン

市販のベーコンは真面目でない。塩漬け時間も短いし(しない場合も多い)、塩抜きもまともにはしない。中には炭の水溶液を掛けて焼くだけのものもある。

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この記事は1997年当時にベーコンを作る会社を作った時のお話の一部です。

その1、その2(このお話)、その3その4

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ベーコンは販売しておりません。小さなキャンプ用のスモーカーでも美味しいものが作れます。楽しいですよ。作ったら教えて下さい。火事には気をつけてね。かんたんなことでしたらアドバイス差し上げます。

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偽物とか本物とか言う気はない。

そもそも「売られている食事」は「値段に釣り合ったもの」しか手に入らない。それなりなのだ。そして、正しさは僕にとってのものだけでしかない。

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一週間掛けて塩漬けして、一日塩抜きして、風乾一晩、4時間位掛けて燻煙したベーコンは最高である。結構塩味がばらつくが、これが良いのだ。部位によっても味わいが変わる。一晩外で冷やしてから食べるのが良い。

だから味が表面だけで何食っているのかわからない。しかし、市販の品物しか食べたことがなければそんな味しかわからない。

このカルボナーラは美味しい

色々な、レシピ本などで着飾った写真はよく見る。しかし、このカルボナーラにはかなわない。自分で作った食事には価値があるのだ。マニュアルなどにしたがったところで良いことはない。自分の身体にピッタリの食事は自分で見つけっる他ない。

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たっぷりのベーコンで脂が出ている。カルボナーラは黄卵を絡める。どのお店のパスタにも負けない。本当に美味しいものは自分で作る他ない。肉のレベルから燻煙して作るパスタは最高だ。これを食いたいからベーコンを燻煙する。贅沢だろう!

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燻製(ベーコン、ソーセージ、タマゴ、鮭、鳥ささみ、丸鶏、チーズ、レバー.....)を手作りして知ったことは市販の商品がいかにコストダウンされているかである。

時折売られている地元のベーコンは素晴らしい。しかし、食肉加工業の免許は「獣医や歯医者、医師を常駐雇用しなければ下りないのだ」無論店頭で販売するようなものは同じ燻製でも惣菜扱いなので普通に惣菜を売るなら大丈夫である。中華街などの真っ赤な色の燻製やソーセージがそれにあたる。美味しくて大好きだ。中華街行くと細めのドラム缶みたいな燻製器が売っている。それも買おうかと検討した(笑)。

横並び免許

この医者探しが一番困った。免許を更新できなかったのも、上手く見つからなかったのだ。引退した歯医者さんにパートタイム的に来てもらって作る他なかったのだ。
大手のハムやさんはそのくらいのコストどうでもいいだろうが、僕らにとっては難しかった。
数年の実務経験があれば、1-2ヶ月の特別な学校でカリキュラムをこなしたら免許も下りたが、遠くて通うすべもなく無理であった。

行政の「食事コントロール」の起源と歴史

今や、食品の販売には行政が口出しをする。免許が厳しくコントロールされる。もう、お店ではレバ刺しは食べることが出来ない(涙)。

当時はこの免許制度を新規参入を防ぐための仕掛けだと思っていた。しかし今はそう思っていない。食べる人を見ない企業はいくらでもひどいことをする。働く人間の給料を下げ、仕入先を落とし、「人が食う餌」を作る。

法は社会を写す鏡でしかない。消費者が「家族と言うシェルター」を失った過程であるのだ。おそらく1980年ぐらいが分水嶺だった。

かつて食事は家作り、家族が共に食べていた。それ以外に食べ物はなかった。カップ麺もコンビニ弁当も宅配ピザもハンバーガーショップもなかったのだ。若者は信じらっれないという。

その時代にも行政の免許制度はあったが、時代に沿って大きく変わったのだ。今なら分かる。

当時ベーコンは舶来の高級品であった。

今や紙のように薄く切った、パックに入った肉らしきものでしかない。肉の値段より安い。ベーコンは長持ちするし、付加価値が高い。おまけに買った人間には善し悪しがわからない。大量生産=大量販売で一つ誤れば、は恐ろしい災厄を起こす。保健所の方にお話をお聞きした時には、何も起こらなければ良し、もし起こった場合はキチンと法律に従っていたかが問われるのだという。

食事が「市場原理」に任せられた時にとんでもないことが起こったのだ。その結果の規制の厳しさなのだ。

平野屋ベーコン(僕)も、グローバリズムの誤りに陥ったのである。多く売って儲けなければ事業としては成り立たないのだ。しかしそれは間違えだ。食事の商売は小さい範囲で家族として成り立たなければならない。利を稼ぐのではなく共に生きることが重要なのだ。

「共に生きる」とは、全国チェーンのレストランではなく、ご近所に取って必要な食堂、デカイ「総合病院」ではなく歩いていける「内科医」、スーパーの時間が来たらあ半額になる弁当ではなく素材から作った食事ではる。

ブランディングというのは、作った原価を大きく超える価格で販売することである。マンションの販売の企業にいたが原価率40%であった。一千万クラスの商品をそんな原価率で売るというのはおかしいことである。峰経営者がもうかる。当然営業マンもボーナス高い。僕は安かった。

いくら「無添加飼料で育て、冷凍されないで送られた豚の肉を使い、作る工程も吟味した」いいベーコンだなどと言っても、ぱっと食べてみれば、違いはそんなに大きくはない(笑)。

ブランドなど、偉そうな奴が名前貸して、仰々しい言葉がならべばもう出来上がりだ。医者の太鼓判押されていればなおいい。利益は大きくなる。

ましてや、アマチュアの鉄工所で働いていた、趣味で少し作ったことの有るだけの男が作ったなどと言っても誰もブランドだとは思ってくれない。

美味しいと買ってくれる人も、毎日ベーコン食うわけじゃない。金持ちが買うのがブランド品だ。けど、日本中の地方の苦しんでいた企業は皆ブランディングを通じて生残おろうとしていた。

まさにB級グルメが日本を壊していった時代である。

HACCP(ハサップ)と言う考え方。

保健所の人に認可をもらう時に教えてもらい本も買って読んだ。

「危害要因分析(に基づく)必須管理点」と訳すそうだ。食べ物を作るにあたって、食中毒などを起こす可能性のあるプロセスを見つけて管理するのだ。

パスチャライズ(低温殺菌)」と呼ばれる加熱工程を通す。温度も中心温度を65度以上で35分維持した。今でもこれは確認している。中心温度計も買って今でも使っている。やはりプロの使う道具は凄い。

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何度も作り、風味がどう変わるか、どんなスパイスが良いか、塩の強さや抜き加減を調整した。この時の記録は僕の宝物だ。多分数百本作っただろうなあ。

東京のお店にも売り込みに行って出してもらったりした。新発田では、拠点の喫茶店で売ってもらった。

ベーコンに通し番号を付けて売っていた。一本一本が個性があり、別れが惜しかった(笑)。

そして利益が足りなかった。残念ながら、免許を維持できなかった。このスペックのベーコンは商品としては成り立たないのだ。

同量の金の値段と同じであった(嘘)。

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当全、免許を取るには様々なハードルがあった。よくやったものである。真空パック機も25万円とかした。やっぱ業務用は高い。

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夏草や 兵どもが 夢の跡

設備はまだ残っている。数年前に行って写真撮ってきた。

ベーコン平野屋設備

電熱器は三層の200Wのものだ。ちなみに炭で燻煙することは法律で禁じられている。一酸化炭素が肉の赤身を増すからだそうである。色々と悪いことをする連中はいたものだ。

このフレームは地元の加工業者に作ってもらった。20万くらいだったような気がする。やっぱ、オールステンレスは高い。

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販促も力入れた。ネットのない時代の話である(笑)。

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ぱんふ2

ぱんふ3

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このお話の続きです

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これは、フライヤー。一人で天ぷらを600個とか揚げることが出来た。毎週かき揚げをに納品していたが、その仕事も無くなった。地元の大手スーパーに入っていた「胡桃豆腐・ごま豆腐」の仕事も無くなった。そして会社は廃業することになった。僕も東京の会社の仕事が消えた。この時代は地方が破壊されていた時代であった。地元の小さな企業がどんどん消えていったのでさる。平野屋と関係ある会社もいくつも消えた。大きな卸会社の社長が自殺した。ぼくの友人は料亭の跡取りだったが、自殺した。弱いから自殺するというのは間違えである。

そして、僕は父の実家の名前を残したいから、「平野屋コンピューティング」と言う社名にした。その父ももういない。本家は家業は廃業しているから、町中に少し広い土地に食品工場がある。そこには一度に100本近くベーコンを作れる施設がある。

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上段右から2番目が父。赤ん坊だった僕のいとこを除いて皆亡くなった。大地主の家系だったが、戦後、本家は東京に行ったきり音信はない。分家の「初太郎さん(父の父親)」は海産物問屋を始める。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。