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繋げるちから。

毎年恒例の家族筑波山登山

目指すは頂上。

大人も子供も同じ山を登る。

子供にとっても人によっても、段差や岩や石は眼の前にある。

例えば、登山道の道幅が5メートルだとする。5メートルでも規則性は無く道も安定していない。場所によっては木の根が向き出ていたり、大きな石があり階段のようになっている。さらには階段では無くただの坂道のような路面状況もある。

どの場所を通過して上がるかは人それぞれ。その道幅で自らが上がりやすい、視界に入る道を上がれば良い。行き着く先はその山の頂上で一緒だ。


仕事や勉強に似ている気がする。


山=目指す学校


とするのであれば、受験という山があって頂上は合格。
辿り着き方は、自学かAという塾かBという塾で自らに合わせて頂上へ向けて進める。


山=仕事の成功


この場合私なら、開業して運営しているCycleshop Ashivivaの繁盛とするのであれば、ショップの繁盛は開業したら誰しもが目指す。
はそこまでの道のりは自らが上がりやすい道を、時に険しい道を上がる。


どれにしても、子供も大人も同じようにあがる。

大人と子供で段差の大きさの違い。試練の大きさの違い



キツくて休みたくなるが、頂上には出来る限り早く到着したい。だが休みたくなる。止まりたくなる。
そうすると、到着まで時間がかかるし途中天気が崩れるかもしれない。

その場合は、止まる事なく自分のペースでゆっくりでも良いから半歩でも前に進むことが大切。

止まるより、前進はするしその間に回復してペースアップ出来るかもしれない。


登山と人生は似ている。

子供は、疲れ知らず。怖い物知らずのようにどんどん進むし大人より回復力も高く、目的に向かい息切れしてもスタスタ前進するし、体力もあるから進める。

大人はどうだろう。
疲れる。大変。身体が重く動かないし、意味は?とかなぜ?を考える。
なんと言っても、運動で体力つける事をしないから元々の基本的な体力がないから上記の事を踏まえて動けなくなるし一歩が重い。

結果的に動かなく、動けなくなる。

ゴール地点がわかっていても、どういうものを目指しているかもわかっているけどそこに向けて動く原動力となる体力が無い。


登山しながらふと考える。


人生と登山って繋げれば似ている。

子供も大人も同じ山を上がる



自然と重なるから、登山を楽しむ人が多くて自然と引き寄せられるのだろう。

あらゆる事を、繋げていく見方は今後もつけていこう。

どのルートで上がるのか?

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