映画の後のあの会話《日々嗜幸》エッセイを書く理由

こんにちは、マサラチャイです。
暮らしにまつわるコラムやエッセイを書いている百貨店員です。

刹那的な幸福を味わった時、わたしはその時を情景をこと細かく記憶しておきたい。

自分の休日が世間の休日と同じであることは、小売の販売接客という仕事柄、わたしにとっては特別なことだ。
会いたい人に会えるから。
友達と行ったカフェのラテやチーズケーキ、大人になってからの母とのどんぐり拾い、恋人と映画を観た後の喫茶店での会話も、全て覚えてたいと思う。

できるだけ、詳細に。
できることなら、その時の感情も一緒に。

でも、時が経つと、やっぱり忘れてしまう。
感情なんかは割とすぐに。
それからラテやチーズケーキの味、どんぐりの土くさい匂い、彼の手のあたたかさも、どんなだったか曖昧になって、自分はたしかに幸福だったという過去の事実だけを知っている。

曖昧な記憶を手がかりにして、生きづらさを感じる社会を今もどうにか生きている。

曖昧な記憶はファンタジーみたいに、現実よりもずっと美しく思える。
セピア色になって記憶の中の映像が再生されている。
それって不思議だ。
当時は取るに足りないと思ったことかもしれないけれど。
今は記憶は物語そのもの。

だから、わたしはエッセイを書くのが好きなのだと思う。
自分の過去をより愛せるから。

久々の出勤にお疲れの方もいらっしゃるかと思いますが、みなさまどうかお身体ご自愛くださいませ。
またお会いしましょうね。
お元気で。

マサラチャイ








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