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【哲学書とは?】潜在意識読書術23

哲学書を読む意味とは?
1.考え方を考える。2.世界の見方を鍛える。3.世界を批判的にみる思考を鍛える。
その3つじゃないかと思う。

長くなるので、3回に分けて、まず、哲学の根幹である。考え方を考えるという部分から。

1.考え方を考える。
当たり前に思えていることを深く考えてみる。
なぜ、そんな営みが必要なんだろうか?

当たり前を当たり前に過ごすこと。
それは、結果として、メディア側、権力に流されることにつながる。

世界を、自分を科学する。
それが、哲学書であり、哲学である。

僕個人が、ここの考え方を考えるという部分を鍛えられたのは、
記憶を遡るとサルトルの

『嘔吐』であり、
『存在と無』である。

嘔吐では、ひとことでいうと世界はグロテスクであるということを感じる。
グロテスクであるとは?

それ自体に意味はなく、意味を問いかけないと、当たり前に過ぎ去っていくものであるということ。

存在と無では、ひとことでいうと、
存在とは、穴であり、満たされるべくものとして、存在するそれが、人間であるという。

どういうことか?
自分のブログと、存在と無からみてみよう。

【穴という概念】

サルトルは、人間存在にとって人生とは、「かなりの部分は、いろいろな穴を塞ぎ、いろいろな空虚を見たし、象徴的に充実を実現し確立するために過ごされる。」(『存在と無』1115頁)というように述べている。
このことは、われわれが、「満たされない」とか、「むなしい」とか、「空虚な感じがする」などというようなことを考える上で、も相互的に参照しうるし、同じように、あの養老孟氏が、

「若い人やフリーターは自分にあう仕事がないと不平を言う。しかし、自分は能力が高いのに、こんな仕事しか与えられないと愚痴るのは間違いだ。自分探しなどと言う考え方を教え込んだ大人の責任でもある。
  世の中が自分に合う仕事を用意しているなどと考えてはいけない。仕事とは世の中に開いている穴。穴の大きさをニーズという。穴を埋めると周囲の人が迷惑しなくなり、それなりのカネをもらえるようになる。それが仕事というものだ。」 (「日経新聞」2006年1月16日12面より)

僕が最近感じているマーケティングとは?
まさにつながる部分である。

穴を探す。穴を埋める。
それが、生きるということである。
ただ、生きている、ただその状態では、かなりのグロテスクな状態である。

ドロドロとして、粘膜のように、無意味という状態が晒されているからである。
穴は、どう埋まるのか?

晒されることによってである。
サルトルの議論は、この後、存在論として、深まり、
人間存在というのは、ただそれ自体では、満月のように、捉え所のないものであるという。

つまり、
ただ、生きるそれ自体に意味などない。
意味とは、世の中の中から、穴を探し、晒されることにより、埋めていくもの。
形づくっていくものであると。

穴ゆえに、埋められることを求め合う。
それが人間というものである。

ただ、穴であるがゆえに、よほど、意識的に、その空虚に意味を作り出すことを意図しないでおくと、互いに空虚を埋め合う共依存的な関係になってしまうということ。

穴なんてないと、穴を無意識に埋めてしまう超人的な起業家のような意味を問わない姿勢を意図して見つける。それが、哲学をするということ。
哲学書を読むことの最初の意義である「考え方を考える」という部分になるのではないかと思う。

続いては、

24世界の見方を鍛える

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