テイカーに見える世界は「相手のせい」
引き続き、テイカーの話をしていきます。
テイカーが話す側の時に例え話を変えない理由。
テイカーが聞く側の時にわからない理由。
そのどちらも恐ろしいものです。
今回、さらに恐ろしい、テイカーに見える世界を述べていこうと思います。
これでもわからなかったら相手のせい
私は、テイカーは例え話を変えないし、例え話をしてはいけない、と前々回で述べています。
幼児でもわかるように「例えてやる」があるから「絶対に」してはいけないのです。
そんなものは、ただのパワハラですから。
「違うだろう」で有名な元衆議院議員のことを、何度でも思い出してください。
今回、述べたいのは、その後のことです。
例え話を変えない、手を替え品を替えをしない、にもかかわらず、テイカーは「聞かせた相手の」せいにします。
「これでもわからなかったら相手のせい。」
そういうことがテイカーには多いのです。
例え話を変えないから。
手を替え品を替えをしないから。
というふうには「考えない」のがテイカーです。
テイカーには、わかりやすくしてやった、なのにわかっていない、というふうに世界が見えているということなんです。
わからせる能力がないのは相手のせい
逆はありません。
テイカーが理解できなかったら、テイカーのせい「ではない」とテイカーは思うようです。
(私はテイカーではないので「ようです」です。)
テイカーが理解できなかったら相手のせい。
わからせる能力がないのは相手のせい。
テイカーには、そういうふうに世界が見えているということなんです。
けれども実際には、テイカーでない人のせいではありません。
私が前回で述べたように、テイカーがわからないのは「わかりたくないから」です。
しかしながらテイカーは、「わかりたくない」と言わないため、本音を隠すのが得意であるため、相手の説明能力のせいにするのです。
「人のせいにするな」とは何事か
テイカーが極めて頻繁に用いている言葉の一つに「人のせいにするな」があります。
人のせいにするテイカーが、人のせいにするなを多用しているのは不思議な話ではあります。
けれども、よくある話です。
「俺のせいにするな」と同義であるからです。
テイカーに理解させられない相手のせいにする、そのためには便利だから、だと推察します。
ゆえに危ない。
テイカーがマネジメントを担ってしまうのは、「本当に」危ないことなんです。
何らかの原因や結果が、何でもかんでも全てが、「個人の内的要因」なわけがないでしょう。
「我慢すれば済む」では済まない
「個人の内的要因」以外に原因がないとするのは「本当に」危ないことです。
「我慢すれば済む」では済まないのです。
最悪の場合、大量に死者が出ます。
嫌というほど、大量に人間が死んでいきます。
震災時に「そんなもん我慢すれば良いことだ」と寝言を言うテイカーをいくらでも見てきました。
災害関連死で死ぬだけですよ、そんなもん。
原因にも結果にも、個人の内的要因以外の原因はあるものなんです。
個人の内的要因。個人の外的要因。
組織の内的要因。組織の外的要因。
四つとも検討して、四つとも検討できて、それでやっと健全な状態です。
一つしか原因はない、では不健全なんです。
我慢すれば済む、では済まないのです。
ゆえに、「人のせいにするな」などとテイカーが言っていいものではないのです。
「人のせいであった時」にどうするんですか。
テイカーはこう言うでしょう。
「こんなことになるとは思わなかった。」
テイカーは人間が死んでもそう言うでしょう。