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「もしもの構え」でなんとかする3

「もしもの備え」を忘れても「もしもの構え」でなんとかする、の続きを述べます。

前々回、「なんとかする」という思考の柔軟化が「もしもの構え」になる、と述べました。

その上で前回、けれども「なんとかさせる」ではありません、と強調しておきました。

前回、「なんとかさせる」について述べる前に、その前段、「なんとかしろ」を述べました。
今回は「なんとかさせる」に至る過程について、述べていきます。

「なんとかさせる」は絶対にいけません。
その前段、「なんとかしてあげよう」さえ注意。
「なんとかしてもらおう」は厳禁です。

「なんとかしてあげよう」に注意

思考の柔軟化で「なんとかする」のは自分だけ。
「自分たち」に広げてはいけません。

自分たちの「たち」は、際限なく広がります。
「なんとかしてあげよう」でさえ、細心の注意を必要とする高等技術です。

雨に濡れようが、体が冷えようが、自由です。
「良かれと思って」
「私だけじゃなく」
「アンタの為を思って」
全部、過剰介入です。
(※一昨日の話ではありません)

「俺は何々してるんだ」と自慢して、真似されるぐらいまでが限度。それ以上は介入です。

「なんでアンタもやらないの」などの疑問というテイの断罪、助言というテイの介入は、誰にでも生じることを心に留めておきましょう。

断罪、介入、同調圧力。
そんなもののために知識を用いてはいけません。

気は優しくて力持ち。
その力は、筋力や体力だけでなく知力もそう。
防災知識も、気は優しくて知力持ち、になるため用いられるべきものです。

過剰介入や不当介入のために悪用してしまうのは強く避けなければいけません。

「なんとかしてあげよう」と思うのは人情です。
けれども、求められてもいないのに、介入をするぐらいなら、口を開かないほうが良いでしょう。

「なんとかしてもらおう」が変異

自分が「なんとかしてあげよう」のうちは、まだ要注意で良いでしょう。
他人に「なんとかしてあげさせよう」が大問題。

自分が「なんとかしてあげよう」を「自分たちがなんとかしてあげよう」まで拡大してしまい、「なんとかしてもらおう」に変質させる老害は、一定数います。

どれだけ知力や体力が優れていようとも、他人は他人なんです。
他人に「なんとかしてもらおう」なんて、通常はどれだけ都合のいい話かわかると思います。

けれども、老害はすぐ「あそこにいる若いやつになんとかしてもらおう」と思いつきます。

「おい、アンタなんとかしてやってくれ。」
「おい、アンタなんとかしてくれないか。」

「なんとかしてあげよう」でさえ要注意なのに、「なんとかしてもらおう」に変異し、さらに、「なんとかさせよう」になる。

これが老害の恐ろしさです。
助ける能力はないのに、助けさせようとする。
他人は他人ですよ。

老害の息子が何歳であろうと、知りません。
他人は息子ではないのです。
息子の代わりにあいつに「なんとかさせよう」と思う老害が間違っているのです。

「なんとかしてやってくれ」は、極めて容易に、「なんとかさせる」になってしまう。
これを忘れてはいけません。

#もしもの備え

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