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『少年と犬』【エッセイ 感想文】一〇〇〇字

 映画『ボブという名の猫』を観た翌日、広告で『少年と犬』を目にする。ハードボイルド物は苦手で、馳星周は読んだことがなかったが、犬並みの嗅覚が働き手にすることになる。動物と人間の話はよくあるけど、猫を観た後もあって、犬に誘われたのかもしれない。
 作品は、「オール讀物」二〇一七年十月号から二〇二〇年一月号にかけて、一話ずつ六回にわけて連載され、六話の短編を一冊にまとめたオムニバスというのが、一つの特徴だ。
 読後、最終頁の各話の掲載時期を見て、プロットの妙を感じた。連載は、単行本の最終話から始まるのだ。各話が三か月から一年のブランクがあるので、結末を先に提示したほうが、興味を持続させられる。しかし、単行本は通しなので、結論を想像しながら読み進むほうがいいとの、作者の判断なのだろう。
 物語の舞台は、仙台から、名取、南相馬と東日本大震災直後の被災地から始まる。主人公の犬の名は「多門」。なぜか西へ南へと、目的地をめざしているかのように、「旅」する。郡山、会津若松、魚沼、富山、大津、島根を経由し、終話は熊本に至る。各地の人々との物語が六つの連作になっている。そう、東日本大震災後に始まって、熊本地震で終わる。北海道浦河の出身の馳ではあるが、震災を風化させてはいけないとの想いが、根底にある。
 五話「老人と犬」で、猟師だった弥一が、全体を括る、象徴的なことを語る。
「多門」(ここでは弥一が「ノリツネ」と呼んでいる)は、「なんだっておれのところにとどまっているんだ?」「孤独と死の匂いを嗅ぎ取ったからじゃないか」と、弥一は思った、と。(二三三頁)。
 二話まで読むと読者は想像することになると思うので、ネタバレにはならないだろうから、書くと。「多門」が出会う者たちは、話の終わりには、死ぬ。ただ、みな孤独な者たちに寄り添う「多門」に感謝し、「目的地」にたどり着けるように、見送りながら。
 冒頭に戻れば、『ボブという名の猫』のボブは、今年の六月十五日、ひき逃げに合い死亡した。あと一人の主人公の幸せを確認して天国に逝った、「多門」とも、重なった。
 (余談だけど)島根に住む弥一が、ニュース映像に総理大臣が映っているのを見て、「品のない顔しやがって」と、隣の県が地盤の政治家に毒づかせる(二一〇頁)。
 ハードボイルド作家はこうでなくちゃね。反骨の馳らしいセリフ、と思った。

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