事業部ごとにバラバラだった事業運営を、オファリングモデルの概念がひとつにまとめ上げる

新体制が承認されてからしばらく経ったある日、浦田は久しぶりにソフトウェア本部長の大島のもとを尋ねた。大島は、今回の変革活動に浦田を招き入れた人物であった。たまにメールで状況を報告してはいたが、この日は直接に会って説明しようと考えた。

大島は大きな笑い声で「社長はそういう人だよ」と言った。
1時間ほど話したあと、大島の口から、浦田とのコンサル契約をあと半年は継続したいと告げられた。それゆえ腰を落ち着けて活動に当たってほしいというひと言も付け加えられた。

この日の午後から、笠間たちコアチームメンバーと浦田は事業計画に着手した。

大型工作機を主力としている小野寺工業は、ハードウェア本部に3つのハードウェア系事業部、ソフトウェア本部に4つのソフトウェア系事業部、そしてサービス本部に1つのサービス系事業部の計8つの事業部を抱えていた。
このほかに営業本部があり、そこには近畿工作機営業部のほか、海外営業部などの小規模な営業部がいくつかあった。

小野寺工業で事業計画と言えば、事業部それぞれで作成するのが常識となっていた。
事業部が決定した事業目標や事業方針に経営企画室が若干の手直しを加え、全社の年度計画が完成する。いわゆる「ボトムアップ」で成り立っていた。笠間はかねがね、このやり方に疑問を感じていた。

「うちの会社は加工制御装置を商材にビジネスを行ってきた。ハード、ソフト、サービスを単品として販売してきたわけではない。なのに、事業計画となると、ハード、ソフト、サービスがそれぞれバラバラに作成している」

笠間は理解を促すように、押し殺すような低い声で話し続けた。

「例えば、スマホメーカーをイメージしてみてくれ。はたしてスマホメーカーは、ハード、ソフト、サービスそれぞれに事業計画を立てたりするだろうか」

「… 」
村山と中本は押し黙ったままだった。

「そんなはずはない。ハイエンドモデルを年間200万台、エントリモデルを年間100万台販売すると決めるのは本社だ。それさえ決まれば、ハード、ソフト、サービスの売上目標などなんの意味もない。この目標を達成るために、ハード部門は先端技術を開発して製品に盛り込むだろうし、ソフト部門は次世代アプリ開発を支援するプラットフォームをリリースするだろう。サービス部門は販売店向けに新サービスを投入するかもしれない」

「… 」

「大切なのは、ハード、ソフト、サービスがひとつの目標に向かって力を合わせることなのに、うちは全くその逆じゃないか。今の事業計画の立て方は、改めるべきだと思う」

笠間は思い切って疑問をぶつけてみた。

「ハード、ソフトにサービスを加えたすべての事業部商材は加工制御装置に集約され、小野寺工業として顧客に価値を提供しているはずだ。これから始まる海外事業では、これをソリューションというカタチにまとめ上げて顧客に提案していくわけだから、ハード、ソフト、サービスの結びつきはこれまで以上に強くなる。つまり、それぞれの事業部には相乗効果やトレードオフが発生することになる。これまでのように、それぞれの事業部が独立して事業を運営いくわけにはいかないわけだ。これからは、事業計画をそれぞれの事業部に委ねることはやめようじゃないか」

浦田は、キョトンとする村山と中本を横目に「その通りです」と言って大きく頷いた。

「笠間さんがおっしゃったように、皆さんの会社は、加工制御装置を価値として提供するというビジネスモデルで事業を行っています。このような会社が年度計画を立てる際には、どのようなお客様に、どのようなソリューションで、どのような価値を提供するのかを会社全体としてまとめ上げるのが普通です。これが固まれば、次に年間目標を決め、全社の年度計画を完成します。結果的に、ハード、ソフト、サービスそれぞれが果たす役割は決まり、各事業部が作成する事業計画には、年間目標を達成するための戦術が書き込まれるわけです。各事業部がバラバラに事業計画を作成したりはしません」

何を説明されているのか理解できないといった表情のふたりに、浦田はオファリングモデルの説明を始めた。

「そのためには、オファリングモデルをベースに事業計画を練る必要があります。オファリングモデルという言葉は初めてですよね」

加工制御装置を購入する顧客は、ハードを買うわけでも、ソフトを買うわけでも、ましてやサービスを買うわけでもない。これらを効果的に組み上げたトータルソリューションにお金を払うのだ。これに対し、提供する側がハード、ソフト、サービスそれぞれの単位でバラバラに戦術を練り事業計画を立てたのでは顧客との接点にギャップが生まれ、それが非効率な事業運営につながる。

この問題を解決するのが「オファリングモデル」という概念だ。オファリングモデルの本質は「顧客起点」にある。

オファリングモデルとは、あるトータルソリューションを提案(オファー)するに当たり、あらかじめ想定しておいた標準的な提案(オファリング)内容を指す。ソリューションの構成要素、この場合であればハード、ソフト、サービスをひとつにパッケージ化しておき、そこに、提案に必要なさまざまな要素を加える。

浦田が考えるオファリングモデルは以下の要素で構成されていた。

 ソリューションの提供価値
 ソリューションの構成要素(構成するハードウェア、ソフトウェア、サービスの種類)
 ターゲットとする市場や顧客、市場規模や目標とする売上規模
 ビジネスモデル(価値提供モデル、収益モデル、販売促進・ブランディングモデル)
 ソリューションを提供するためのプロジェクト計画
 提案やソリューション提供に必要なリソース
 提供価格と利益率
 提案書、見積書、事例などの提案ツール

オファリングモデルは顧客の購入形態と一致しているため、オファリングモデルを事業計画の単位として採用すれば、事業計画と顧客が直結することになる。この間にギャップが生じることなどあり得ない。

オファリングモデルを採用することで、会社としては、一貫性のある投資計画、リソース戦略、パートナー戦略を立てることができる。おまけに、アカウントプランと全体戦略との関係も明確になる。
ガバナンスの「軸」の役割をオファリングモデルが果たすことで、事業運営と顧客は1本の線としてつながり、経営と現場の間には連続性が生まれる。
言い換えれば、「オファリングモデル」とは、効率的な事業運営を実現するためのビジネスの「単位」なのである。

欧米の大型工作機メーカー向けに加工制御装置を提供する事業には、先ほど挙げた8つの事業部のうち半数が関わることになる。これまでのようなやり方では、それぞれの事業部が個別に事業計画を立ててしまうことになる。笠間は、それだけは避けたかった。

笠間は、オファリングモデルベースで事業計画を作成することに同意した。ほかのふたりもそうだった。
彼らは、関係する事業部に熱心に説明して回った。
議論に時間はかかったが、結果的に納得のいくオファリングモデルが完成し、ほどなく事業計画もでき上がった。

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[ポイント]
事業計画に先駆けて、自分たちの事業の在り様を整理しておくことは大事である。
顧客は誰なのか。どんなソリューションを通じてどんな価値を提供するのか。顧客はなぜ自分たちを選ぶのか。いくらで作りいくらで売るのか。どれだけ売るのか。どうやって案件を発掘し、価値を提供するのか。事業活動にはどんな経営資源が、どれだけ必要なのか。どんな販売ツールやマテリアルを準備しておけばいいのか。これらの質問に答えることは、オファリングモデルを作る作業そのものだ。
ターゲットセグメントごとに提供価値を明らかにし、ハード、ソフト、サービスの組み合わせを考えれば、オファリングモデルの骨格が決まる。この周辺に、ビジネスに必要なその他の構成要素を付け加えることでオファリングモデルは完成する。

オファリングモデルを整理できれば、これを起点に事業計画を作成することができる。投資計画、リソース戦略、パートナー戦略なども作成できる。

[場当たり的な後藤部長の思考]
事業計画は、実態を知っている事業部に任せておけばいい。経営陣や経営企画部門のようなスタッフ部門が考えたところで、絵に描いた餅になってしまうだけだ。事業部だって、そんなものには従いっこない。
事業部が当事者なので、事業部に計画させれば、彼らだって達成に向けて一生懸命に努力するはずだ。
事業部はそれぞれに自覚を持ってやっている。経営企画部門は、事業部からの相談に乗ってあげれば、それでいいではないか。
事業部が作成した事業計画をひとつに束ねれば全社の年度計画が完成する。事業部の計画に対して経営陣やスタッフ部門が実現性云々と口を挟んでも、まったく意味がない。

[本質に向き合う吉田部長の思考]
会社を単なる事業部の集合体として捉えることは間違っている。事業部が作成した事業計画というのは自分たちの願望や思い込みで出来上がっていて、経営の観点は乏しいのが普通だ。
ましてや、私たちが提供するのはトータルソリューションだ。ハード、ソフト、サービスの組み合わせにはパターンがあり、どのセグメントの顧客に、どのような組み合わせでシステムを提供するかは、戦略を考える上での柱となる。
ハード、ソフト、サービスの売上比率は、パターンごとにおおよそ決まってくる。これを無視して、ハード、ソフト、サービスの事業部がバラバラに事業計画を立てても意味がない。そんな事業計画は、それこそ絵に描いた餅になってしまう。

経営陣や経営企画部門は、事業部任せにすることなく、全体最適の観点から、戦略や事業計画に魂を込めなければならない。

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