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『ダートバッグ』という生き方から、いま僕たちが学べること。


Dirtbag:ダートバッグという言葉がある。

あまりメジャーではない言葉なので、初めて聞く人が多いかもしれないが、
アウトドア、特にクライミングが好きな人なら、あーうんうん、と頷いていることだろう。

ダートバッグとは、クライミング文化の中でよく使われるようになった言葉で、
ヨセミテやスコーミッシュなどに集まってくるクライマーがその典型例だ。
(英語のアーバンディクショナリーにそう書いてある。やっぱりスコーミッシュはクライマーにとって特別な場所なんだと再認識した。)

いくつかの説明の仕方があると思うが、僕いつもこんな風に説明する。
仕事や出費を最小限におさえ、なるべく多くの時間をアウトドア(もしくは没頭しているなにか)に費やす生き方。

ーまたは、情熱を傾けている何かを、人生の最優先事項にして暮らす。
お金を稼ぐことや社会的地位を得ることよりもだ。

さて、そんな生き方はコロナ後の僕たちにとって何か関わりはあるのだろうか。
今回はそんなことについて見ていこう。

【補足】
他にも似た言葉で「バム」などの呼び方もある。そちらは主にスキーやスノーボードの世界で使われることが多い。

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ぼくの憧れのダートバッグ生活について


 実は昔、このダートバッグな生き方にとても憧れていた。
というか、今も頭の中にいつもある。だからこの文章を書いているのだけど。

当時、働いてたパタゴニアという会社がまさにそういうルーツを持っていたということもあったし、何よりお金を使って喜びを買うことが多いこの現代において、
彼らのライフスタイルには、どこか「人間の本質的な喜び」や「満ち足りた生活」というものを感じることができたからだ。

そんなこともあり、カナダに来てまずしたことといえば、北米のあちこちでクライミングやスノーボードが最大限できるよう、バンを買いそこに住めるように改造することだった。

そして、僕は実際に多くの時間をクライミングやスノーボードに費やした。
それは夢のような日々であり、まさにひとつの黄金時代だった。

ただ僕の場合、もうひとつの趣味への好奇心を甘く見ていたせいで、思っていた以上にすぐに働くことになったのだけど。
(新しいコーヒー屋さん、本屋さん、ブルワリーなどを見つけたら入らずにいられない...など。詳しくはまた別の機会に)

僕は根っからのダートバッグになるには出費が多すぎた。

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失われたダートバッグカルチャーとモダンダートバッグ


仕事をせず、観光客の残り物やキャットフードを食べ、森や洞窟の中で寝泊まりをするということは、正直今の時代には合わないかもしれない、と思うことがある。

ヨセミテ国立公園において、ダートバッグたちがホテルには泊まれないという理由で、こぞって集まっていたCAMP4も、今では超人気のキャンプ場だ。
常にサイトはいっぱいで、まだ暗いうちから受付の前に並び、その日の空きが出るのを待たないとけないぐらい、場所の確保が難しい。また、滞在できる最長期間にも制限がある。(ハイシーズンは最長2週間など)

他にも、昔のダートバッグの象徴だった
「(フォルクスワーゲンなどの)ボロいバン」は綺麗にメンテナンスされ、
ファッションアイコンにもなり、メジャーリーガーやインフルエンサーたちが所有する。定期的なメンテナンス費用を考えるとむしろ今では高級車にカテゴリーされるだろう。

ここスコーミッシュも例外ではなく、街に集まってくる路上で寝泊まりする車が増えるたびに、町の中で新たな規制が設けられていっている。


僕は決して昔はよかったと嘆いているのではない。
ただ、人口や人々の価値観、テクノロジーなどが変化したのだ。

むしろ今では、より快適なインターネットや多様化する働き方により、リモートで働くなど、キャットフードを食べなくてもいいという選択肢もあるのだ。

実際にクライミングのエリアでポッドキャストを収録している人もいれば、
システムエンジニアなどのフルタイムのオンラインの仕事をしている人もいる。

昔は、結果諦めないといけなかった社会とのつながりも、最近はどちらを取るかで悩まなくてもよくなって来ているのだ。

ただ変わらないものもある。
ダートバッグの目的とは、金銭的なものからは程遠い、自分だけの無償の栄光だということだ。

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これを観ればより雰囲気がわかる

この文化をもっと知りたい人のために、おすすめしたいムービーがある。

『Vally uprising』というアメリカ・ヨセミテ国立公園でのクライミングのヒストリーについての映画だ。


この中に出てくる人物は年代は違えど、1960年〜2000年台にかけてのダードバッグたちが次から次へと出てくる。クライミングに全力を捧げ、クライミングに対する考え方、登る技術、イマジネーションに革命を起こしていたダートバッグたちだ。

注目すべきは、彼らの情熱と目の輝き。
なぜ彼らは仕事をすることよりも、クライミングをすることを選ぶのか。

映画の中の彼らの姿を見れば、ダートバッグというものがどう言ったものかがイメージ湧きやすくなるだろう。


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あなたならどうする?

3年ほど前になるが、縁があり、ソニー・トロッターというカナダ人クライマー(そして自分のヒーローでもある人物)の家で夕食を食べていた時、
彼がこんな話をしてくれた。

彼はぼくより4つぐらい年上なのだが、その彼がまだ若くクライミングだけの生活をしていたある時、(あたりまえなのだけど)ついに所持金が尽きてしまったという。

あなたならどうするだろうか?

僕なら、もちろん働くことを視野に入れるが、もしかしたら金銭を少し借りれる人がいれば、借りてもう少しだけ旅を続けるかもしれない。

彼の場合はこうだー。

「本当に必要なクライミングシューズとチョークバッグだけを残し、ロープやカラビナ、その他たくさんのクライミングギアを売ることで所持金をつくり、クライミングを続けたんだ。ボルダリングに集中するいい理由にもなったよ。」

僕がこのストーリーを聞いた時、
「あぁ、だから彼はプロクライマーになったんだ。」と妙に納得した。

ダートバッグは選択肢のなくなるそのギリギリまで、今熱中していることやり続ける。

あなたの心の中にもいるダートバッグ


最後に、昔読んだパタゴニアのカタログで、ジョン・シャーマンというクライマーが書いた「ダートバッグの再発見」というエッセイがあったので紹介したい。

詳細は忘れてしまったけど、覚えている限りだとこんな感じだ。

70年代ダートバッグな生活を送っていた彼は、年月がたち、自分が消費者になってしまったことに気づき嘆く。そして自分のダートバッグを再び呼び覚まそうと決心する、というものだ。そして最後はこんな風に締めくくられていたー。

''もしあなたの心の中のダートバッグがうずきだしたら、今すぐ会社に電話して体調がすぐれないと伝えよう...そして、心の中のダートバッグを解き放とう。''
-John sherman

ここでの電話とは、固定電話を指すのかもしれない...とか考えるのはさておき、

ダートバッグは、楽しいことが大好きだ。
ダートバッグは、自然を愛する。
ダートバッグは、金銭的には貧しいけど心は豊かな暮らしだ。

それはまるで子どものことを書いているかのようだ。
こどもたちは理由なく遊ぶ。
「遊び」という言葉を辞書で調べてみると、心を満足させる行為とある。
それ以外、遊びに理由などない。そして、みんなこどもだった。

誰もが心の中にダートバッグを抱えているということは、こういう解釈の仕方もできるのかもしれない。

 もし今この瞬間、何か満たされない感覚があるのなら、あなたの中のダートバッグの声に耳をすませてみよう。そしてそれを発見したなら、明日もしくは来週でもいい、上司や仲間にラインをしてから、その心の中のダートバッグを解き放ってみるのも悪くないかもしれない。
(ズル休みの電話をしなくても、Zoomの背景でなんとかなるかも)


心の中のダートバッグを発見し、解き放とう。
僕たちはそういう選択肢もある時代に生きている。


ではまた。




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