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古代人・現代人ゲノムから探る人の「こころ」の性質の進化

Song, et al. (2021) は、ヨーロッパの現代人・古代人ゲノムを用いて870の人の様々な性質の進化について解析した(Nature Human Behaviour 5, 1731–1743 )。本稿では、解析された870の人の性質の進化うち、92の精神的特性(「こころ」の性質)に焦点をあて解説する。解説においては、Song, et al.(1)の論文の補足データを用いて、精神的特性の進化傾向が分かるように新たに図を作成した。


「こころ」の性質の進化をさぐる

 「こころ」、あるいは精神的な性質は、人によって様々である。たとえば、ものごとをネガティブにとらえる傾向が強い人もいれば、ポジティブにとらえる人もいる。また、自己抑制的な人もいれば、衝動的な人もいる。また、ヒトが幸福を感じるかどうかは、その人の置かれた環境や状況が同じでもより幸福感を感じる人とそうでない人がいる。このようなこころの性質は、人が誕生してから、現代までに変化してきたのだろうか?
 これまで、こころや精神にかかわる進化は、人と近縁な霊長類の行動比較や人の化石、痕跡や遺跡などから推定される生活様式などから類推されることによって考察されてきた。あるいは、人は進化の過程で長年狩猟採集生活を経験し、農耕社会が開始されたのは約1万年前なので、「人の心の特性は狩猟採集生活に適応したままである」という根拠のない前提のもとに、「心」の進化を議論する進化心理学的考えもある。
 近年、「こころ」の性質の進化(本稿では、以降に精神的特性とよぶ)をゲノムから読み解くアプローチが行われるようになってきた。ひとつの方法は、現在の人のゲノム配列からその配列の変異(個人による配列の違い)が過去にどのように変化してきたを推定することで、その変異が影響する性質の進化傾向をみるアプローチである。もうひとつは、古代人のゲノムを用いることである。現在、数万年前のホモ・サピエンスやネアンデルタール人の骨の化石からゲノム配列を得ることか可能になり、多数のゲノム情報がデーターベースに蓄積されている。古代人のゲノム配列からその精神的特性を推測するで、時間とともにそれらの性質がどう変化してきたかをみることが可能になった。
 精神的特性にかぎらず、様々な性質の個人の違いは、その性質に少しだけ影響する多数の遺伝子(変異)によって影響を受けている(そのような性質をポリジーン形質とよぶ)。Song, et al. (1)らは、ヨーロッパ人について、870のポリジーン形質(身体的、病気、認知、生殖、代謝、精神的など)に関わるゲノム上の遺伝的変異を用いて、それら性質の進化的傾向を解析した。その論文の本文中では、全体的な傾向と特徴的な進化がみられた性質について記述しているが、精神的特性について焦点を当てては書かれていない。そこで、本稿では、論文の補足資料(Supplementary Tables)として公開されているデータのを使用して、92の精神的特性(psychiatric traits)を可視化し、解説する。

人の様々な性質の違いに影響するゲノム上の違い

 現在、様々な人から個人のゲノム配列情報が集められている。東北では、2011年東日本震災後、東北メディカルメガバンク機構が発足した。そこでは、住民の方に健康診断などを提供する代わりに、個人の同意をえて、ゲノム配列データ(約30億の塩基配列情報のうち、個人で違いがある箇所が分かっている変異箇所の情報だけである場合が多い)や検診結果などのデータを集めて、医学研究に役立てている。また、日本では、ジーンクエストやGeneLifeといった遺伝子検査や診断を提供している企業は、同意を得た上で、ゲノムデータやその他の個人データを保存している。
 ヨーロッパでは、このようなゲノムデータの収集は早くから行われ、数十万人から数百万人のレベルでの膨大な情報が蓄積されている。研究目的ではUK biobankが、遺伝子検査サービスとしては23andMeが有名である。
 これらの研究機関や企業が収集した個人データの中には、ゲノムデータや検診結果などの他に、個人の様々な性質の指標となるアンケート回答のデータがある。アンケート項目は、データを集めている機関や企業によって異なっているが、病歴や健康状況の他、学歴などの履歴、食べ物の嗜好や摂取頻度、性格五因子とよばれる5つの性格指標など様々な項目がある。
 このような個人のゲノム配列の違いとアンケート項目などから得た個人の性質のスコアとを比較し、個人の性質の違いに関わっているゲノムの変異の箇所を検出するゲノムワイド関連解析(GWAS)が多数実施されている。また、その結果もデータベース化されている。外向性という性格特性の架空のデータを用いてみてみよう。個人のゲノムデータに紐付けられた外向性スコアがあるとする(図1)。外向性スコアの高い人ほど社交的で、成功報酬に対する反応が高い。外向性スコアに影響するゲノム上の変異カ所を推定するのがGWASである。例えば図1では、ゲノム上の4箇所の変異(それぞれの変異を一塩基多型(SNP)という)と外向性スコアが相関している 。右端の変異箇所では、AとGという変異があるSNPであり、Gだと外向性スコアを1.5スコアだけ高める効果がある。一個人はペアでゲノムをもっているので、AA, AG, GGのどれかの遺伝子型をもっていることになる。GGという遺伝子型をもつ人はAAを持っている人に比べ外向性スコアが3スコア高くなる。外向性に関わっている全ての変異の効果を足し合わせたものが図1の右に示したポリジェニックスコア(PS, ポリジェニックリスクスコアともいうPRS) である。このスコアは、個人の特性の違い(ここでは外向性)のうち、GWASで検出されたゲノム上の変異の違いで説明される値といえる。
   実際には、この例で示したように4箇所ではなく、性質に相関する変異箇所は多数ゲノム上に存在している。たとえば、身長については、その違いに影響する600以上のSNP(変異箇所)が特定されている(3,4)。

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図1. ゲノム配列上の変異と性質スコアの関係。この例では、ゲノム上の4箇所の変異カ所(一塩基多型=SNP)とスコアが相関していて、右端の変異箇所では、AA, AG, GGという遺伝子型があり、Gは外向性スコアを1.5高める効果がある。したがって、GGは3スコアを高める。実際には、このような変異箇所が多数ゲノム上に存在している。

精神的特性の進化をどう調べるか

 Song, et al. (1)らによって解析された中で精神的特性として分類されている項目は92ある。その中には、神経質性と外向性などの性格、幸福度、人生における満足度、感受性の他、アルコール摂取頻度(依存性としての精神性と関連)、統合失調症や自閉症なのどの精神疾患の項目などが含まれている。
 これらの精神的特性が進化するとは、どいういうことだろうか?進化は「次世代に引き継がれる性質が変化する」ことである。つまり精神的特性の次世代に伝えられる部分の変化、つまりゲノム上の変化が進化ということになる。上記のようにGWASで検出された精神的特性に影響を与えるゲノム配列の変異がどう変化してきたのかを調べることで、精神的特性の進化を探ることが可能になる。
   精神的特性の個人間の違いは、様々な要因の影響をうける。たとえば、人の幸福感は、脳波などで測定する客観的幸福感とアンケートなどの回答をもとにした心理的な尺度としての主観的幸福感がある。主観的幸福感は、アンケート結果などをもとにしているので、アンケート回答時点でのその人を取り巻く環境や経験などに大きく依存している。しかし、環境や経験が同じ人の間でも幸福感という感じ方は人によって異なる。そのような違いに影響しているのが遺伝的な違いである。親から子どもに遺伝する(幸福感をより感じやすい人は、その子どもを感じやすい)程度を遺伝率と呼ぶ。たとえば、主観的幸福感の遺伝率は30~40%と推定されてる(2)(遺伝率の解説は記事:「人なぜ宗教を信じるように進化したのか」の注1参照)。このことは、主観的幸福感の個人の違いの30~40%が遺伝的な違いによってもたらされるということだ。さらに、GWASなどで検出されたゲノム上の変異(SNP)によって説明される遺伝的な違いはSNP遺伝率(SNP-based heritability)とよんでいる。
 Song, et al. (1)らによって解析された主観的幸福感のSNP遺伝率は2%ほどで小さい。主観的幸福感の遺伝率が30~40%であるとすると、GWASで検出されていない変異がまだ多数あり、それが残り28から38%の遺伝率に寄与していると考えることができる。今回、紹介する92の精神的特性のSNP遺伝率はそれほど高くなく、多くは数%~10%であるが、ポジティブな感情や生活満足度、統合失調症などは40%から50%と高いSNP遺伝率を示している。
 今回解析されたゲノム上の変異は、実際に精神的特性と関わっている遺伝的変異の一部であり、解析精度が充分でない可能性があり、頑健な結果を提供するものではない。しかし、ある性質に影響する変異の一部が、その性質を高める(あるいは減少させる)方向に進化したことが検出された場合、その性質も変異から推定される方向に選択を受けた可能性を示唆している。

人が分化してから進化した精神的特性

  人が近縁の類人猿から分かれて、独自の進化を遂げてきたのが約700万年前である。その700万年前から現代の間に、突然変異で精神的特性を少しだけ高めたり、低下させてりする変異が突然変異で生じてきた。それら新たな変異を派生型変異とよぶ(図2) 。派生型か祖先型かは、人とその他の近縁な霊長類などのゲノム配列を比較することで特定できる。現代人のゲノム配列を調べて、ある精神的特性に関わる多数の変異箇所のうち、派生型変異の割合いを調べることでその精神的特性が、人が分化してから高まる方向に進化したのか、低下させる方向に進化したのかを推定することができる(1)。
 人は、チンパンジーの系統と分かれて、アフリカで進化を遂げてきた。約300万円前にアフリカで草原が拡大し、それまで森林に生活していた人の祖先は草原での生活に移行する。その後、約200万年前にホモ族が誕生し、そのころから、狩猟による肉類の摂取など狩猟採集生活をしていたと思われる。そして約20万年前にアフリカでホモ・サピエンスが誕生する(詳しくは記事「ヒトはいつ出現し、どう進化をたどってきたのか」) 。
  人が他の種から分かれてから、性質傾向を高める方法に進化してきたものとして、よりアルコールを摂取する精神性や外向性スコアがある(図2)。外向性は、報酬に対するポジティブな反応が強い人で、また、人といっしょにいることを好む傾向がある。人が集団で協力して狩猟をしたり、生活するようになったことと関連しているかもしれない。一方で、アルコールを好むという性質については、後述するように、より最近の時代でも検出されている。アルコール嗜好性の進化は、700万年からみるとごく最近に進化した傾向かもしれない。

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図2. ヒトが他の種から分化してきた後の精神的特性の進化傾向.一つの点が一つの精神的特性をしめす。赤い点線より上の点は、統計的に有意にその性質スコアを高めた精神的特性である(下の赤い点線より下の点は、低下した精神的特性) Song et al.(1)のSupplementary Table 7のデータによる。

古代人ゲノムからみる精神的特性の進化傾向

 数万年前のホモ・サピエンスやネアンデルタール人の化石から得られたゲノム配列を決定することが可能になり、多くの古代人のゲノム配列がデータベースに登録されている。これらのゲノム配列をもちいて、その人達が暮らしていた年代とゲノム配列の関係を調べることで、精神的特性が高まっているのか、減少しているのかを検出することができる。
 Song ら(1)は、3つの異なる時代区分ごとに、データがオープンとなっている古代人ゲノムのデータを用いて、解析を行った。解析方法を主観的幸福感を例にみてみよう。一人の古代人について、主観的幸福感に影響する変異(SNP)の数、主観的幸福感を高める(あるいは低下させる)効果のあるSNPの数を計算する。そして、その割合い(高める効果のあるSNP数/影響するSNP数)をその人の相対的な主観的幸福感の程度=f(ポリジェニック感受性)とする。そして、その古代人の年代とfとの関係を調べ、年代の新しい人ほど、fが大きくなる傾向があれば、その性質は年代経過とともに増加する傾向があることになる。性質のスコアとしてfの代わりに図1で示したポリジェニックスコア(PS, PRS)を用いることもできる。
 解析で使用した古代人は、過去の古代人ゲノムの解析研究をもとにしていて、以下の3つの時代や地域ごとに解析されている。(i) 新石器以前(4500年前から7000年前)、(ii) 新石器時代(8000年から4200年前)、 (iii)近東の農民集団(14000~3400年前) 。これらの時代背景は以下のBox1で簡単に説明した。


BOX1. 解析で用いた古代人ゲノムの時代背景
新石器時代以前(45000年前から7000年前) 現代人は、アフリカを出て約45,000年前にヨーロッパに到着した。それ以降、ヨーロッパの大部分が氷に覆われていた25,000~19,000年前の最終氷期最盛期も含め、おおよそ8000年前(初めて農耕社会がギリシアに現れたおよその時期)までが、新石器時代以前(旧石器時代、中石器時代)である(5)。このころ人は狩猟採集生活をしており、打製石器や動物の骨や角を用いて作られた骨角器を用いていた。
新石器時代(8000年から4200年前) ヨーロッパでは、ギリシャで農業がはじまる7~8千年前から新石器時代である。ヨーロッパでの農業はアナトリア(今のトルコ)から徐々に西にもたらされた。農業をする人々が移入して、元々住んでいた人々と置き換わることで農業が広まったわけではなく、狩猟採集生活をしていたヨーロッパ人との間で混血が生じ、混じり合いながら移行ていることが示されている(6)。そのため、農耕民の子孫は、狩猟採集民のゲノムを部分的に受け継いでいる。Lipsonらは(6)は、新石器時代の人のゲノムのなかで、狩猟採集民由来のゲノム領域がどれくらいであるかを推定した。古いサンプルほど狩猟採集民由来の領域が多いことが示されている。Song ら(1)解析では古代人サンプルの年代と性質スコア(fやPS)の関係をみる解析と、年代の代わりに農耕民のゲノムに占める狩猟採集民由来のゲノム領域の割合いと性質スコアの関係を調べる解析を行っている。
近東(near East)の農耕民(14000年前から3400年前) 約12000年前から11000年の間に、人類は近東で農耕を始めたと考えられている。近東地域での農耕民は均質ではなく、地域内の集団によって遺伝的に分化している(7)。 南レバント(イスラエルとヨルダン)とザグロス山脈(イラン)の最初の農民は、遺伝的に分化しており、それぞれが地元の狩猟採集民の子孫であった(7)。この2つの集団とアナトリア系の農民は、お互いに、またヨーロッパの狩猟採集民と混ざり合って、遺伝的に異なる集団となっていった。このアナトリアの農民と遺伝的に関係のある人々が西方のヨーロッパへ広がっていった(7)。 

  これらの3つの時代と地域での古代人ゲノムを用いた精神的個性の解析結果を図3に示した。すべての集団で共通して高まる方法に進化した性質として、アルコール摂取に関わる性質がある。新石器時代以前の解析でもアルコール摂取頻度が高まる方向に進化しているるが、特に近東の農民や新石器時代における狩猟採集民ゲノムの割合いとの関係の解析で、アルコール摂取に関わる複数の性質が検出されており、その傾向は強いと考えられる。
 これは、農耕が始まったことで、穀類から作られるビールなどのアルコール飲料を飲む機会が増えたことと関連するかもしれない(ビールについては記事「ビール酵母の進化とビールの多様化」参照)。古代のビールは、殺菌された飲料として、また栄養供給源として飲まれたと思われるが、積極的にアルコールを摂取しようとする精神性をもつ人は、健康上あるいは社会的関係から生存に有利に働いたのかもしれない。これと対象的なのは、東アジアの人々である、東アジアの稲作農耕民で、日本人も含めアルコールが弱くなる方向に進化している(note記事「進化的視点からみる人間の「多様性の意味と尊重」"1.3.1 飲酒に関わる遺伝子の自然選択による進化"参照)。
 また、低下する方向に進化した性質として、緊張がある。緊張は、どの時代でも強く低下する方向に進化おり、この進化傾向は人に精神的進化に重要だった可能性を示唆している。不安や心配といった性質も低下傾向にあるが、同時に高くなる性質としても検出されている。これは不安やうつに関わる質問項目によって異なっている。不安やうつといった精神性には、複数の要因が関わっており、それにより違った影響をうけているのかもしれない。一方で、緊張は、精神的、身体的な影響を強く及ぼし、軽減する方向に進化しているのかもしれない。
 

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図3. 古代人ゲノムから推定した92の精神的特性の進化傾向。一つの点が一つの精神的特性を示す。t値(回帰分析統計値)の高い順に並べている。上の赤い線より高いt値を示す精神的特性は、統計的に有意(P<0.05)に、時代を経るにつれてその特性スコアが上昇してていることを示し、下の赤い点線より下は、時代を経るにつれて特性スコアが低下していることを示す。赤い点は、P<0.01。Song et al.(1)のSupplementary Table 5のデータによる。(このデータはPRSではなく、効果SNPの数をカウントしたデータの解析、PRSについては、後日、追加予定}

約100世代前からの進化傾向

 現在のゲノム配列の情報から、過去のゲノム配列の変異の頻度変化を推定する様々な方法が開発されている。それらの手法の一つであるRHPS(8)とRelate(9)という手法を組み合わせて、約100世代前(約2800年前)からのポリジェニックスコアの変化を推定した。約2800年前のゲノム上の変異の頻度を推定し、そこからポリジェニックスコアを推定する。そのスコアが現在と比べてどう変化したかを推定する手法である。
 約3000年前の近東では、ヘブライ王国、アッシリアが、ギリシャではエーゲ文明が栄えていたことろである。また、北ヨーロッパでは、ケルト系と呼ぶ騎馬民族がアルプスから北のヨーロッパへ広がり、紀元前1200年頃から紀元前500年にかけて文明を作っていた。また、人口の急激な増大が約5000年前から生じている。一方、縄文人が生活していた日本では、約3000年前に大陸から稲作ととも渡来人が移住し、弥生時代が始まった(13)。
 傾向が高まる方向に進化した精神的特性として、ポジティブな感情や生活満足度といった肯定的な感情が検出されている。この2つの性質のSNP遺伝率は、それぞれ51%,46%と高く(1)、遺伝的な違いが感情の違いに大きく影響している。統計的に有意な傾向ではないが、主観的幸福感は高まる傾向にあることが、近東農民でみてとれる。農耕社会に伴う人口増加や社会構造の変化がポジティブな感情を向上させることと関連しているのかもしれない。
 また、うつ病や自閉症が高まる傾向として、統合失調症や注意欠如・多動性障害(ADHD)が低下する傾向として検出されている。これらの精神疾患は、一般的に高い発症率(1~3%)と高い遺伝率(30~60%)を示し(本解析でのSNP遺伝率も20から60%と高い値を示す)、なぜ人の集団に維持され、進化してきたのか、については議論になっている。人の脳の進化に伴う副産物であるという説やこれらの精神疾患を持つヒトは、なんらかの進化上の利点(生存率向上や繁殖成功など)を持っているとする説などがある(たとえば9,11)。新石器時代以前、新石器時代、近東農耕民のにおいても、うつ病に関連する特性が高まる方向にある性質として検出されている。うつ傾向や自閉症などがここ数千年で本当に増加していきているのかは、より精度の高い解析が必要である。
  統合失調症に関しては、他の複数の研究で、アフリカ集団を除いてリスク変異が減少する方向に働いていることが示唆され(9,10)、今回の結果と同様の傾向を示している。ゲノム配列からの詳細な解析から(12)、統合失調症などの精神疾患の遺伝率が高い(遺伝的変異が大きい)理由が推測されている。解析の結果、精神疾患を引き起こすゲノムの領域は有害な変異(リスク変異)が自然選択で取り除かれている傾向にある。そのため、Hill-Robertson効果とよばれる現象で、そこに生じる変異は自然選択を受けずらくなり、変異が維持されやすくなっているらしい(12)。このことは、精神疾患に関わる変異の増加傾向は、自然選択に有利な変異が増加していることが原因とは、必ずしもいえないことを示唆している。

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図4. 約2800年前からの精神的特性のPRS(ポジジェニックスコア)の変化。一つの点が一つの精神的特性をしめす。赤い点は統計的有意な点を示す(P<0.05)。Song et al.(1)のSupplementary Table 3のデータによる。

精神的特性の進化傾向解析の今後

 人や生物の多くの性質は、多数の遺伝子の多数の変異に影響されているポリジーン形質である。Song et al. (1)らの解析は、精神的特性にかぎらず870のポリジーン形質の進化傾向を解析している。そこでは、皮膚の色や髪の毛、身長や体重、顔の形などが自然選択によって変化していることなどが示されている。近年、現代人の多量のゲノム配列や古代人ゲノムが利用できることで、このような研究が可能になった。Songらの研究は、大規模に人のポリジーン形質の進化について解析した最初の研究といえる。
 しかし、前述したように、今回の研究で解析された変異は、性質の数%しか説明できないものが多い。これは、GWASによって検出できない変異がまだ多いからだと思われる。また、現代人で検出された変異が古代人や過去の現代人でも精神的特に同じような効果があったかどうかは確かでない。このように、Song et al. (1)らの研究の結果がより信頼を得るものになるためには、まだまだ解決しなければいけない問題は多い。また、今回の解析はヨーロッパ人を対象としているが、ヨーロッパ人のGWAS結果が、アフリカやアジアなどのその他の集団に適用できないことはすでに指摘されている。東アジアや日本人の性質の進化傾向をみるためには、独自の解析が必要とされる。
  今後、データの充実や解析方法が洗練されることで、より信頼性の高い結果が得られることが期待できる。ゲノム情報解析やそれを基盤として分析される脳神経科学研究や心理学研究が進展することで、これまで、人の精神的特性、「こころ」の進化が仮説にとどまっていたのが、データによって実証できる時代になりつつある。


引用文献

1. Song, W. et al.(2021) A selection pressure landscape for 870 human polygenic traits. Nature Human Behaviour 5, 1731–1743 .
2. Nes, R. B. & Røysamb, E. (2017)Happiness in Behaviour Genetics: An Update on Heritability and Changeability. Journal of Happiness Studies 18, 1533–1552 .
3. Wood, A. R., et al. (2014) Defining the role of common variation in the genomic and biological architecture of adult human height. Nature Genetics, Nature Genetics 46:1173-1186.
4. Akiyama, M., et al. (2017) Genome-wide association study identifies 112 new loci for body mass index in the Japanese population. Nature Genetics, 49:1458–1467.
5. Fu, Q. et al. (2016)The genetic history of Ice Age Europe. Nature 534, 200–205 .
6. Lipson, M. et al. (2017) Parallel paleogenomic transects reveal complex genetic history of early European farmers. Nature 551, 368–372.
7. Lazaridis, I. et al. (2016)Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature 536, 419–424.
8. Edge, M. D. & Coop, G. (2019) Reconstructing the History of Polygenic Scores Using Coalescent Trees. Genetics 211, 235–262.
9. Speidel, L., et al. (2019) A method for genome-wide genealogy estimation for thousands of samples. Nature Genetics 51, 1–13 .
10. Liu, C., et al. (2019) Interrogating the evolutionary paradox of schizophrenia: A novel framework and evidence supporting recent negative selection of schizophrenia risk alleles. Frontiers in Genetics 10, 389.
11. Power, R. A., et al. (2013) Fecundity of patients with schizophrenia, autism, bipolar disorder, depression, anorexia nervosa, or substance abuse vs their unaffected siblings. JAMA Psychiatry 70, 22–30.
12. Pardiñas, A. F. et al. (2018) Common schizophrenia alleles are enriched in mutation-intolerant genes and in regions under strong background selection. Nature Genetics 50, 381–389.
13. Osada, N. & Kawai, Y. (2021)Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data. Anthropological Science 129, 45–58 .






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