言葉にする力、言葉を見つける力。
こんにちは。承認されると嬉しさよりも恥ずかしさが先に出てしまいます。多分、言葉による人間関係構築が下手なんだと思います。
本仲間のありがたい言葉。
以前、新入社員のひとりと「本の勧め合い」をおこなっている話を書きました。今もずっと続いておりまして、良いか悪いかはともかくとして、今回、こんな書籍をおすすめしました。このようなプロレスの裏側に関する書籍は、人と人との心が交わる物語を代弁してくれているような気がします。
ちょっと前、そんな若者に自分自身の30年史をまとめた別のnoteを紹介していました。15万字ほどのかなり重たい内容でもありましたが読了してくれたらしく「人生の凄さに感動しました」とか「一番グッときたのが先生との件です」とのレビューもいただいた。本仲間の言葉はありがたい存在ですね。
言い回しや言葉遣い、言葉の癖。
本好きをひたすら公言していますので、新しい書籍も読むには読みますが、どちらかと言うと同じ本を何度も何度も繰り返して読むほうが多い。その本中での言い回しや言葉遣い、言葉の癖にかなり目が行ってしまいます。特に海外書籍の翻訳になると、訳者による個性が表れてくるのも楽しみですね。
前述のとおり、個人的にも結構なほど書き物をしている関係上、言い回しや言葉遣い、言葉の癖に意識をしながら書くようにしています。特に漢字とひらがなの使い分けや送り仮名、語彙も含めた言葉のひとつひとつに魂を宿すというか。作家の心身って真に強いんだろうなと書いていて思ってしまう。
紙とペンと知識だけの時代の終焉。
それでも断固として言えるのは、表現力=語彙力、ではないってこと。日本人成年男性の語彙力はたかだか5万語。いや5万語以上あったとしてもそれが直接的に表現力として活用できるか否かは個人に委ねられてしまう。それで本当に良いのか。特定の人の表現力だけで物事を決めてしまって良いのか。
まさにこれ。
物語を描く方法がすべて紙とペンと知識だけで正しかった時代はとうに終焉しています。それはゼロとイチ、白と黒がはっきりしていた過去の話。なにが良くてなにが悪いかという価値判断どころではなく、なにがあって、なにが無いのかすらわからない時代に突入しています。それがスタートライン。
レゴブロックが言葉を見つけてくれる。
紙やペンも使えず、知識武装すらしていない子供がしばしばとんでもない物語をおもちゃを使って描く場面に遭遇します。レゴ®シリアスプレイ®メソッドのなかに「子どもの気持ちになって」というフレーズがたびたび登場するのですが、今の大人に足りないのは子どもの気持ちなのではないだろうか。
2歳の幼児でも90歳のご年配の方でも同等におこなえるのがレゴ®シリアスプレイ®です。もしお子さんが使っていたレゴブロックがまだ自宅に存在しているようならば、とにかくなにも考えず「我が家の幸せ」なんていうキーワードで物語を描いてみてほしい。きっと言葉を見つけてくれると思います。
最後に。
今、前述の30年史の書籍化を目指しています。また、小説も少しずつ書き始めております。死ぬまでに書き終えることができるのか不安しかないのですが・・・。やっぱり言語化は難しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?