空を鏡に。
ストレスって一口に言っても色々あるけど、本当に無くさないといけないほど悪者なんかと思ってます。
そもそも「重力」ってのは身体にかかるストレスだと思っていて、こいつがあるからこそ僕らは人の形を保ってられるなんて話を聞きます。
地球の中心に向かう一定の力があることで内臓や骨などの物質が「人」という鋳型に収まるんですって。
じゃあ宇宙飛行士はどうなのかと言われると正直わかんないんですけど、帰ってきたら運ばれたりしてるからそれなりに良くない影響があるのかなって思います。
まぁ、宇宙なんてものがあるのかとかどういう形なのかとか、そもそもNASAってなんて話をしてもキリがないので割愛しますし、知らないのでなんとも言えないんですけど。
ただ「負荷」というのは本当に必要で、こいつがあることでよかったことが実はたくさんあるんです。
僕は「PSYCHO-PASS」というアニメがすごい好きで、その中に「ユーストレス欠乏症」という作品内の病気があります。
PSYCHO-PASSという作品は言っちゃえば「日常我々が行なっていることほぼ全てをシステムによって行ってる」世界の話で、仕事とか能力とかそういうものをシステムが計算してその人に合うものを提供していくという世界になってます。
いわゆる「正解かわからない不安を抱えながら選択して生きていく」というのがほぼ無い世界です。
選択や決断にかかるストレスがほぼ無い状態で、あらゆるものにその人にとっての解答がシステムによって用意されてる感じです。
この病気は、人にとって必要なストレスがなくなった結果、身体が生きることを自然とやめるようになっていく、みたいなものです。
これは皮肉が効きすぎてるなぁなんて当時は思ったものですが、今になって思うといかに「ストレス」というものが重要かというのがわかります。
ストレスというか負荷ですね、適切な負荷。
環境を変えたいと思って仕事を辞める時に使うエネルギーは莫大ですが、それは職場に対する「不満」のエネルギーが大きいほど力になります。
「もう我慢できない!」というやつですが、実はこれはとても良いものだったりするんですよね。
職場や上司、環境が「悪役」を演じてくれるからこそ自分はそれを利用して爆発的な力を生み出せるわけです。
鬼滅の刃でもそういう描写がありましたよね。
本来なら眠っていた獅子である柱たちが、鬼の酷い行いによって目覚めてしまったみたいな。
「エネルギー」そのものに色や価値をつけるのはこの世界で生きている我々の特徴だと思っていて、これの注ぎ先や方向を指定することでどういう結果になるのかを日々無意識に決めて行動してるんだと思います。
自ら出ていく矢印である「発散」
背中を押して前進するという「推進力」
エネルギーのみという状態は注ぎ先が無い飲み物みたいなもので、適切な器に入れてあげることで初めて飲むことができます。
僕たちが感じる感覚やエネルギーというものは「中身」の話なので宙に漂っています。
こいつを認識してどういう方向で活躍させたいのかは個人の意図と裁量によって決められます。
文句を言い続けて消費するのか、目的のための力に変えるのか。
問題がないのはある意味問題でして、可もなく不可もなくという状態が実は一番変化しにくい状態だったりします。
今の環境を破壊して新たなものを創造するには自然現象的なエネルギーが必要です。
いわゆる環境が悪役になって背中を押してくれるというのが自然エネルギー的な話。
でもこれをテクニカルな形で、自然エネルギーに近い出力を出すために自ら不満を作って爆発させるなんてことが必要な時があります。
せっせと自分で爆弾作って、それを手頃な位置で起爆する。
そうすることで自然パワーに近い出力で今の環境を破壊していくことができます。
重力の話をしましたが、重力って「仕組み」「構造」じゃないですか。
なんでとかじゃなくてそういうものという感じのもの。
仕組みとかどうして重力というものが生まれたのかとかあるかもしれませんが、結果として今存在している以上は仕方ないわけです。
呪術廻戦の東堂がめっちゃ良いこと言ってて、
呪いの王である両面宿儺との戦いの最中、データにない「空中を蹴って移動する」というのをみます。
普通なら「なんで」とか「どういう仕組みで」となりますが、東堂は
「そういうことができるというのがわかればいい」と言ってます。
もうこれ最高でして、わかりゃあいいんす、とにかくそれだけわかりゃあいい。
「仕組み」として「ストレスって結構大事」というのを重力という形で表現しているのだからある程度のストレスって必須なわけです。
じゃあこれが日常生活にどう落ちるのかとなると
「コリ」とか「蓄積」とか「健康」とかになるんです。
僕は施術を通して「良いコリ」があるということを知りました。
今までの人生で色々経験してきて、良いも悪いもあったかもしれない。
でもその中でもよかったことはあるし、それがあったから今があるよね。
みたいな認識がある人のコリはとても充実していて明るいです。
触れててとても心地がいい。
でももう手放していいものはあるから、それはほぐしてみませんか?
というイメージです。
頑張ってきた結果今があるんだからまずはそこに敬意と感謝を伝えないことには僕は人に触れてはいけないとすら思います。
ここまで頑張ったんだなぁ、俺には絶対できないことをこの人は超えてきたんだ。まずはありがとうだよなってマジで思ってます。
やってきたこととか背景とかぶっちゃけ知らないです。
でも身体に、心に出るので、そういうのを間接的に体験させてもらうことを僕はとても幸せなことだと思います。
いいんですか?
こんな頑張ってきたという証に触れさせていただいても!
という感じになっちゃって気持ち悪いよなぁ、ごめんねって感じです笑
そう言った意味では「健康」って割と難しいなって思ってて、
「壊れるべき時に壊れきれない」こともあるんだなって学びました。
なんのために改善するのかというそれなりに通った意思があればいいですがそうでない場合、脳や思考の方でコントロールする習慣が強いと、俯瞰した視点では休息のために壊れた方がいいのに、意識ではそうじゃないから頑張りすぎるというズレが生まれます。
割り切って休むって高度な技術になってしまいましたが、バイオリズムとか俯瞰視点とか物語の演目的にここは一度負けて修行する期間だ、みたいな時が人にはあります。
2年後にシャボンディ諸島で!
人生においてもあるのがマジな話なんですよね。
この世界は「枠」と「意図」と「イメージ」です。
自ら意図して枠を作り、そのイメージの通りに動く。
そうして得られたデータを体験して肚に落とす。
設定した枠が十分になったらそれを外してまた次の枠を設けて進んでいく。
人間として存在している以上、魂の器が肉体であり想いの器が言葉です。
我々は「器」という性質が基本である以上、ここを軸にしていくのがある意味ルールだと思います。
器の質とか、整備とか、形とかそういう前提、原理原則的な要素にいかに注目していけるか。
夢だってそうです。
「私」という、「個人」という「枠」があってそこの範囲内で創造されるもの。
制限を超えるためには制限がないと越えられないんですよね笑
鳥籠の中の鳥は大空を羽ばたいて自由になったのか。
この星に生きている以上「星」という「枠」が存在しています。
「自由」とはどの視座の「枠」を超えた話なんでしょうね?
僕は「自ら枠を設けるという自由」を大切にしてます。
自身の心身の身の丈を知り、枠を設定する。
基準を作ってそこに向かって進むことで枠の全容が掴める。
じゃあ次だねって言って前の枠を取って前より大きい新しい枠を設定する。
これが「歩く」ってことなんじゃないでしょうか?
僕はこういう感覚がとても好きです。
こういう話を無限にできます。
でもみんなできるしやってることなんですよね。
特別なことは何もない。
ワクワクしますよね。
この世界って意外と捨てたもんじゃあないんすよ。
人を見ていて、外見という基準を設けてみた後にその人の土台を視るという練習をしてます。
それを行うことでいかにみているもの全てが虚像なのかというのが良くわかる。
なんだよ、本当に「目」に頼りすぎてたんだなって笑えてくる。
ゼイリブっていう映画があります。
メガネをかけるとみんな機械で実は人間なんていないんじゃないかみたいなそういうやつです。
昔からそういうことを知っていて、エンターテイメントに昇華さえちゃうってめちゃロックだなって思います。
僕はこの目なのか脳の使い方なのかやるようになってから空を眺めるのが本当に楽しくなりました。
後頭部というか頭の後ろの奥の方がどこまでも広がっていく感覚があるんです。
すごくいい。空の端っこを認識できるような変な感触があって、天蓋みたいなのがあるんかなぁなんてぼーっと妄想してます。
当たり前にみていた景色に新たなレイヤーが加わって、より階層ごとに観察できるような不思議な感覚。
この感性と新たな感覚を通して僕はどれだけ突き抜けていけるのか。
施術を遠してどんな感覚を、気づきを、きっかけになるためのサポートができるのか。
どうか楽しみにしてほしい。
僕も僕を楽しみに生きていきます。
この世界は意外と悪くないし捨てたもんじゃないこと。
こんな面白い考え方もあるよっていうこと。
そんな、今までにない刺激を僕という人間を通して楽しんでもらえればなって思います。
2度死のうとした人間が言うので、そんなに悪くないと思いますよ✨
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