家本政明の真実(自叙伝編)
□はじめに
みなさん、
いつもありがとうございます。
Jリーグで審判やってます
「家本政明」こと當麻政明です。
先日、noteの方で
「家本政明の素顔」(自己紹介)
を皆さんにお伝えしましたが
あまりに普通で、味気なく、
ハッキリ言って
面白くない!
もっと本音が聞きたい!
もっと面白い家本政明が見たい!
と言うような声を頂きました。
本音をありがとうございます。
そこで今回、
もう少し深いところの話を
本人にインタビューしてきました。
前のものとカブるとこもありますが、
より家本政明テイストが出ています。
自叙伝風にまとめてみましたので、
どうぞお楽しみください。
□家本の印象
初めての方も、
よく知る方も、
見飽きた方も、
皆さんこんにちは。
家本政明です。
サッカー好きの方なら
一度は聞いたことのあるこの名前。
そして、
多くのJサポーターの方にとっては
できれば、いや、
できるだけ聞きたくはない名前
ではないでしょうか。
その家本政明、
華々しいJリーグアウォーズの
「最優秀審判員」
には縁もゆかりもありませんが、
これまでに
「日本一嫌いな審判No.1」
「日本一下手な審判No.1」
「日本一誤審の多い審判No.1」
など、ᒍサポーターの方が選ぶ
審判投票ではみごと「三冠王」
に輝いております。
勝手な妄想ですが...
華々しい記録ではなく、
思い出したくもない記憶に残る審判員
これが日本サッカー界における
「いえもと まさあき」
という男の像のようです...
悲しい...
ところが、
ここ数年はそんな悲しい声に反して
試合会場でたくさんの方から
温かい声をかけてもらえるように
なりました。
ほんと、うれしすぎです…
家本さん、
あの戦わせるスタイル
けっこう好きです。
家本さん、
あのファールがあっても
試合を簡単に止めないところ
すごくいいです。
家本さん、
あの試合前の
変なアップとコイントス
けっこうツボです。
といった感想を
皆さん「コッソリ」
伝えてくださります。
この「悪名高き男」に
勇気を出して
声をかけてくださる方の
温もりと笑顔は、
本当に励みになっています。
ありがとうございます。
こんな
賛否が極端に分かれる男
家本政明(いえもと まさあき)
のこと、もう少しお話させてください。
□家本の形態
第1形態(基本モード)
明るく元気でよく笑う
色々でかいのでよく目立つ
よく観て、よく考え、よく話す
変化がないとすぐ飽きる
興味が湧くととことんのめりこむ
思い立ったらすぐ行動
人の意見は参考程度
とにかく自分であれこれやりたい
群れるのが嫌い
来る者拒まず去る者追わず
困ってる人の面倒見はいい
人の笑顔大好き
人と違うの大好き
人を喜ばせるの大好き
「大したことはない」
「なんとかなる」
「楽しくいこう」
「やってみなけりゃわからない」
「それって本当?」が口癖
第2形態(戦闘モード)
情熱的、挑戦的、革新的
そしてときどき攻撃的
頭はクールで心はホットそしてドライ
自分の感情に支配されるな!
でも人の感情には耳を傾けろ!
諦めたらそこで試合終了ですよ…?
諦めたらそこから次の始まりですよ
したたかに、そしてしなやかに
清濁あわせのむは大事
鳥の目、虫の目、魚の目は重要
でも「色メガネ」は外してみようね
ルールを守るは目的じゃなく手段
その背景を守ることがもっと大事
型はめ、押しつけ、決めつけが大嫌い
責任取るから自由でいたい
覚悟はいつも左ポッケに
批判はせずに代案出す
失敗なんて気にしない
嫌われることも気にしない
ゴマすりごめん、自分に正直でいたい
理不尽は嫌いだが
世の中そんなもんだと割り切ってる
何に対しても愛情深いが
家族に被害が被るのだけは
絶対に許さない
「やられたらやり返す、恩返しだ!」
最終形態(Xモード)
どうなんだろう...
自分でもよくわからない...
とんがって、
叩かれまくって、
何度も消されかけたおかげで、
逆に後光とかでてこないかな...
と期待してるんだけど...
一度だけ「ゾーン」
みたいなのに入ったことあるけど
あの感じがそうなんだろうか…
□家本の呼称
よく言われる呼ばれ方
いえもっちゃん:小さい頃から
「本」が付く人あるあるですよね
いえ:オーソドックスなやつ
いえちゃん:これもあるあるなやつ
いえさん:これも、ですね…
いえぽん:審判仲間がつけた「レア」なやつ
家×本→もと→ほん→ぽん→いえぽん
トーマ:海外ではこれですね
マサ : これも海外あるあるですね
家本は旧姓で今は當麻
審判卒業しても
「ビジネスネーム」
として家本でいくか
本名の當麻でいくか悩み中
ちなみに下の名前で呼ばれるのは苦手
□家本の経歴① : プロ審判になるまで
学生時代(1973-1996)
広島県の福山という街で
次男坊として生まれ、
小3からサッカーを始める。
誰よりもうまくなりたい一心で、
一日中ボールを蹴って走ってた。
中2と高3の担任は最高の先生で、
本当に大好きだった。
なぜか受かった大学では、
当初サッカーをしていたが
高校の時に見つかった
内臓の病気が悪化、
選手を断念。
その後、体調と相談しながら
審判への挑戦をはじめる。
その後は大学に通いながら、
公式戦の審判とトレーニング
カイロプラクティックの専門学校
学費調達のためのバイトに没頭。
人生の岐路には
「なんとかなるさ」精神と
自分の大いなる可能性を信じて、
とにかくがむしゃらに
そして無我夢中で
いろんな事にチャレンジ
してました。
京都パープルサンガ時代(1996-2004)
入社一年目に
当時の史上最年少で1級審判になった
ものの、会社の判断で審判活動を
6年間もさせてもらえなかった。
Jクラブなのに!なんでなんだー!
もし、この空虚な時間がなかったら
僕の審判人生とその後の未来は
今とは別のものになってたと思う。
良いかどうかは別にして…
ま、そんなタラレバはさておき、
不服たれても何も変わらないし
何も楽しくないので
とにかくがむしゃらに働いた。
そのかいあって、
チーム管理、試合運営、
そして役員に提案して新設された
経営推進室の3部門の責任者になり
会社の中核として働くようになった頃
やっと審判活動が認められた。
「コトノちゃん」は
当時の僕のチームが生みだした
想い出深いマスコットです。
この時に関わった全ての選手
コーチングスタッフ
クラブスタッフ
試合運営スタッフ
ファンサポーターの方
支援企業の方
行政の方、メディアの方
そしてJリーグの方
本当にお世話になりました。
この時の経験は今も、僕が
審判をする時の判断の拠り所
になっています。
シミズオクト時代(2004-2005)
サンガが2度目のJ2に降格した時、
悩みに悩んだ末に
慣れ親しんだ愛着深い京都を離れ、
土地勘もなく知り合いもいない東京に
拠点を移した。
そこでイベント警備の営業をしながら
1年間、必死に審判活動に集中した。
この時の仲間とは今でも試合で会うし
今も僕のこと応援してくれてます。
本当に恵まれてました。
ありがとうございます。
□家本の経歴② : プロ審判になってから
プロ審判序盤時代(2005-2011)
明るい未来に期待を膨らませて
プロの世界に飛び込んだものの、
そんな淡い期待とは裏腹に
いろんなプレッシャーやバッシング、
はたまた自分と組織と周りとの
「サッカー観」や
「審判観」の違いに
当初からもがき苦しんだ。
もちろん自分に実力がなさすぎて
試合をうまく導けていなかったのは
わかっていたし、
そんな自分に苛立っていた頃だった。
この頃の僕は、
自分では「光の世界」に向かっている
つもりだったが、
実際には「暗黒の世界」に自ら足を
向かわせて、自ら背中を押していた。
進むべき道でない事に
気づくこともなく…
そして、当時の唯一の救いというか、
唯一の心の逃亡先が
「海の向こうに広がる世界」
だった。
プロになったと同時に、
国際審判員に任命されたので、
国内だけでなく海外でも
審判活動ができるようになっていた。
東南アジアや西アジアといった
それまでテレビや教科書でしか
見たことのなかったアジアの国々、
サッカーの本場ヨーロッパといった
さまざまな異国文化は
「かぶき者」の僕にとって
本当に刺激的で居心地が良かったし、
水を得た魚状態だったし、
そこはまるで
「ふるさと」のようにも感じられた。
もしプロになった当時、
国際審判に任命されてなくて
「海の向こうに広がる世界」を
見ることも経験することもなければ
僕はとっくに潰れてたか
おかしくなって壊れてたか
サッカーを嫌いになりたくないって
やめてたと思う。
そんな「日常世界」「非日常世界」を
行ったり来たりしながら思ったのは、
世界のどこかには
必ず自分に合う場所や空間、
自分を受け入れてくれる人や価値観
があるんだなってこと。
そりゃあ周りに自分を合わせるのが
必要なときもあるけど、
本当に辛いなら、苦しいなら、
自分を殺してまで生きなくてもいい
んだなってこと。
逃げるが勝ち
ってありだよなって。
楽しく生きることが最優先
だよなって。
自分らしくあることが大事
だよなって。
だからもし今どこかで
一人苦しんでいる人がいるなら
僕はその人に
こんな言葉をかけてあげたい。
大丈夫。
あなたはそのままでいいんだよ。
だって、
あなたを受け入れてくれる人も場所も
必ずあるから。
あなたがあなたらしく
心から笑ってられる
温かい世界は必ずあるから。
もちろんそこで踏んばっててもいいし
じっと隠れててもいいよ。
でももし動けるなら、
少しでいいから動いてみたら?
意を決して探してみると、
必ず見つかるよ。
自分の居場所が。
自分に合った世界が。
今いる世界が全てじゃないよ。
だって、世界は本当に広いんだから。
さてと、
随分と話が脱線したので
(お前がさせたんだっつーの!)
話を戻します。
僕はこの頃、
もっとうまくなりたい、
もっと成長したい、
もっとサッカーを知りたいと思って、
「夏嶋 隆」という知る人ぞしる
とんでもないバケモノ級の方に
弟子入りを志願して、
拠点を神奈川から静岡におられた
夏嶋先生の元に移した。
人の動作や怪我のメカニズム、
対処方法、
物の見方や捉え方等、
本当に多くのことを4年間、
徹底的に学ばせて頂きました。
それから夏嶋先生は
僕のことを考えて、
これまたとんでもない
サッカー界の重鎮である
「坂本 康博」先生を繋いで
くださりました。
坂本先生には
サッカーの「いろは」と
人としての「あり方」を
徹底的に叩き込んで頂きました。
このお二方から得た
全ての学びと経験は、
審判としてだけでなく
家本政明という人間全ての基盤
となっています。
あ、それと「くぼたつ」が
夏嶋先生のところに
リハビリ&トレーニングで来てた時の
「野生の牡鹿、素手で捕獲事件」
は、夏嶋先生との思い出の中で、
一番の珍事です。
プロ審判中盤時代(2011-2017)
結婚して二児の父親になった僕は、
人を愛するということ、
愛する人を全力で守るということ、
誰かのために
自分を犠牲にするということを、
家族と生活していく中で
自然と学んでいた。
そんなこともあってか、
自分の生き方や在り方、
サッカーとの関わり方に
これまで以上に
真剣に向き合い始めていた。
サッカーはルールが少なく
抽象的で主観的な判断を
大切にしてるスポーツ
だけど、それってなんでなんだろう…
それにはどういう思いや願いが
込められているんだろう…
サッカーの神様は
選手や審判に
何を求めているんだろう…
審判の役割って本当は何なんだろう…
僕はいったい
何がしたいんだろう…
僕はこれから
どうしたいんだろう…
そんな、はっきりとした答えのない
哲学問答をもがきながらも問い続け
逃げずに徹底的に向き合った。
そんなモンモンとした日々を過ごす中
2016年に突如「ベル麻痺」に襲われ
しばらく試合ができなくなった。
このときの後遺症は
今も僕を苦しめてます。
パッと見わからないでしょうが…
そんな、
「冴えないくもり日」
のような毎日をなんとかしようと、
気晴らしに通い始めた
ビジネススクールにどハマリし、
狂ったようにビジネスを学んだ。
ビジネススクールでは、
「え、あなた審判してる人なの?
なんで審判がここに来てるの?
審判とMBAってなんか関係あるの?
役に立つの?」って、
それはもう来る人くる人
何百回と同じ質問をされました…
とにかく、
家族との生活と哲学的問答から
逃げずに向き合ったこと、
ビジネススクールでの学びと経験が
それまでの家本を大きく変えた、
ということです。
プロ審判終盤時代(2017-2020現在)
数々の失敗や辛く厳しい出来事、
累計2,000万人以上からのブーイング、
葛藤と絶望、多くの学びを経てやっと
サッカーの望ましい姿
審判の望ましい姿
審判としてではなく
一人の人間として
実現させたい世界
が自分の中ではっきりとみえた。
はっきりとみえたことで、
自分が本当に
実現させたい審判スタイル
を僕はようやく確立できた。
その結果、
試合中や終わった後の選手や
見ている方の反応が昔と比べ
格段に変わっただけでなく、
試合という「創造物」が
かつての家本の「創造物」とは
明らかに違うようになった。
とはいえ、
相変わらずミスはしまくるし、
下手さも相変わらずなんだけど...
□家本の経歴③ : プロ審判の今思うこと
今まで周りに迷惑ばかりかけてきた
現役として残された時間はあと僅か
目の前には新たな分かれ道が見えきた
今までいろいろあったけど
誰よりも失敗を経験して
誰よりもバッシングを受けてきて
僕は今
こんなふうに思うようになった
プロの試合は
見る人あってのもの
見る人たちがいてくれるからこそ
応援する人たちがいてくれるからこそ
僕たちに存在意義がうまれる
プレイする人も
チームの監督も
試合を裁く人も
このことだけは
決して忘れてはいけない
見る人が喜び
見る人が楽しみ
見る人が感動する
そんなプレイを
そんなレフェリングを
そんな試合を
見る人は求めている
美しい勝ち方を
美しい負け方を
美しい戦い方を
見る人は求めている
もっと見る人が増えるように
もっと応援する人が増えるように
もっと子どもたちが
夢と希望を抱けるように
僕たちは協奏しなければならない
僕たちは共創しなければならない
僕たちは協働しなければならない
全ては見る人のために
僕はこの思いを実現させるために、
しっかりと準備をして
「サッカーが もっと 面白く」
なるように、そして、
「サッカーで もっと 豊かに」
なるように1試合1試合、誠心誠意
審判していこうと思ってます。
おわりに
皆さんいかがでしたか?
「家本、つまんねー」
「家本、意外じゃん」
「家本、かっこつけんじゃねー!」
皆さんそれぞれいろんなことを
思ったり感じられたかと思います。
それでいいんです。
それがいいんです。
人の感じ方や受け止め方は
人それぞれですので。
スタジアムでの「ブーイング」も
お気になさらず
どんどんしてやってください。
それで皆さんが
ストレスから解放されて、
スッキリしておうちに帰れるのなら
本望です。
あ、他の審判には
優しくしてあげてくださいね…
みんな必死で頑張ってますので。
特に、街のお父さん審判の方
お母さん審判の方には。
家本には厳しく、みんなには優しく
でお願いします(^-^)
長々と語ったわりには、
僕の全てをお話できていませんが、
今日はこのあたりで終わりにしようと
思います。
興味ある方は、
こちらも見てみてください。
今の僕がつくられる前の
とんがった「わかぞう」家本が
色々語ってます。
次回は、
【教えて!家本さーん】
サッカーってどんなスポーツなの?(前編)
をお送り致します。
どうぞお楽しみに^^
家本政明
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