「宝石」概念から考える〜シャネルがブランドになったように,「だめ」と言われていることが,実はそうではない可能性について〜
カウンセラーが「当たり前」を盲信していて,どうする?
こんにちは!臨床心理士/公認心理師/精神保健福祉士/臨床発達心理士のまりぃです。
まだ若輩心理職で、【公認心理師試験・臨床心理士試験対策/心理学部生専用オンライン個別指導塾】や,【公認心理師・他専門職のための心理査定/カウンセリングはじめの一歩講座】,SNS発信/起業のお手伝い(伊藤まり名義)もやっています。
思いが高ぶって働き方・生き方の本まで書きました。読んでください。
私は普段,小学校や幼稚園でカウンセラーをしています。
小学校では「授業中は着席して,教科書を開いて先生の話を聞き,板書をとって,宿題を提出日までに出す」ことが当たり前の道徳とされています。
今からする話は,一見心理学とつながりがないように思えるかもしれませんが,まぁ,少し読んでみてください。
「コスチュームジェリー」という概念
少し前,京都で「コスチュームジュエリー展」という展示会がありました。
コスチュームジェエリーとは,宝石ではないものを用いた装飾品です。
つまり,ガラスとかビーズ,真鍮などを使ったアクセサリーのこと。
でも,とっても綺麗です。シャネルとかディオールでは,今も宝石を使わないアクセサリーが,結構なお値段で売られていますよね。ああいったものもコスチュームジュエリーに含まれると思われます。
リーズナブルなところでは,私はケイト・スペードのキラキラしたアクセサリーが好きです。
「偽物じゃない,本物のシャネルよ」
昔,シャネル(1983-1971)の映画を見に行って,とても心に残ったフレーズがあります。
映画の中の時代。
それは,まだ宝石を使って,金を使って資産価値のあるアクセサリーを見に纏うことが,上流階級のご婦人のステイタスだった時代です。
そんな中,デザイナーとして頭角を表したシャネルが,こういったガラス玉などのアクセサリーを作って販売し始めます。
すると人々はシャネルに対して,「(宝石じゃないなんて)偽物じゃないか」と批判しました。
「偽物じゃない,本物のシャネルよ」
(記憶が曖昧なので,このままの場面ではなかったかもしれませんが,ニュアンスは間違えていないと思います)
かっこいい……!!
そして,「確かに」と思いました。
そのガラスや真鍮でできたアクセサリーは,宝石ではないし,金でもありません。ですから,本来「そのもの」に資産価値はないわけです。
資産価値のあるジュエリーの意味
当時,まだまだ女性はお金を稼ぐことが難しかった時代,夫が亡くなったり離婚されたりしてしまうと,女性は1人で生きていくのが難しい時代でした。
そのため,お金持ちの男たちは,妻や娘を宝石=資産価値のあるもので飾り立て「自分には,女を養う力がある」ことを誇示しましたし,女たちは資産価値のある宝石を男にもらうことで,「男がいなくなっても,これを売れば(下層階級のような働き方をしなくても,セレブのままで)生きていける」というステイタスを見せびらかすことができたわけです。
3大コスチュームジュエリーの「ブランド」
ところが,です。
シャネルの頃,女性も稼ぐことが,少しずつですができるようになってきました。
そうすると,資産価値の有無よりも「これ,可愛い!」の気持ちの方が大切になってくるわけです。
結果として出てきたのが,コスチュームジュエリー。
ちょっと興味が湧いて調べたところ,「シャネル」「トリファリ」「ミリアムハスケル」という三大コスチュームジュエリーと呼ばれるブランドがあるそうです。
そうなんです。最初はガラスや真鍮でできたアクセサリーに,資産価値なんてなかったはずなのに,今や「本物のシャネル」という価値がついたわけです。
ここで私は,はたと考え込みました。
「美しい」ってなんだろう?
さて,ここで問題です。
最も美しい宝石ってなんだと思いますか?
「ダイヤモンド」と答える方が多いのではないでしょうか?
ガラスだったら「バカラ」とか「スワロフスキー」,って思いませんか?
でも,それってなんで,そう思うのでしょうね?
知り合いに,ダイヤの鑑定士資格も持っている経済界の人(投資家?なのか何者なのか,いまだによく分からないんですが。タイで学校の見学に連れて行ってくださった方です)がいらっしゃるのですが,その方いわく,ダイヤはやっぱり非常時に資産価値が高いそうです。
で,私たちはある程度,そのことを知っています。
ダイヤは世界で一番硬いとか,カットが大事とか,気泡の有無がクラスに影響するとか,まあある程度は知識がある方も多いでしょう。
だから,「ダイヤモンド=価値がある」と思い込んでいる。
でも,そのことと,純粋に「綺麗」と思う気持ちって,実は別なんじゃないだろうか?
常識を疑え
話をぐるっと一周して,戻します。
私は,カウンセラーという仕事をしています。
持ち込まれるご相談は本当に様々ですが,
「子供が学校に行きません」「宿題をしません」といったご相談も多くあります。
先生方からは
「授業中座ってられません」「すぐに気持ちを爆発させるので,感情のコントロールを学んでほしい」といったご相談も多く受けます。
で,それって,本当にダメなことなんでしょうか?
同業者でも,「アドバイスはしません」と言いつつ,その社会の枠にはめるために必要な方法や工夫を保護者さんに伝える方が多いように思います。
でもね。
私たちが,「資産価値のあるダイヤモンドなどの宝石こそが美しい」と思い込んでいるのと同様に
実は,「合理的に社会の役にたつ人間であることが素晴らしい」ということも,単なる思い込みなんじゃないでしょうか。
教室で座っていられなくて,困るのは本人ではなくて周囲です。
感情のコントロールができない,と言いますが,それは本当にコントロールができないといけないことなのでしょうか。
本人にとって,不快なことがあり,その苦痛を表明しているだけならば,問題は「感情がコントロールできない」ことではなくて,「思わず苦痛を表明してしまうような環境」ではないでしょうか?
靴下が嫌で脱いでしまう子,じっとしていられなくて立ち歩く子,
何がいけないんでしょうか?
「いけない」のではなくて,日本社会が「靴下は履くもの」「上履きは履くもの」「授業中は座っているもの」と決めているだけではないでしょうか。
だから,今,誰かの問題行動に困っている方は,
「当たり前」と思っていることを,一度疑ってみてほしいのです。
そして,純粋にその行動,その想いそのものを見てみてほしい。
ガラス玉は,価値がないんじゃありません。「美しい」という事実がそこにあります。
もちろん,他者と協力して生きていくことも大事です。
だけど,社会の方が変わらないといけないことも,あります。
そうです。
「女は資産価値のある宝石を男にもらわないと生きていけない社会」ではなくて,
「女も(歯や髪や体を売らなくても,あるいは低所得の仕事につかなくても)生きていける社会」になるのが正解だったように。
同様に,スマホやタブレット,ゲームなども,今は有害とみなす方も多いですが,時代とともにもしかしたら,見方は変わるかもしれません。
世界は変わります。
だから,今,型にはまらない誰かについて悩んでいる人がいたら,「そのこと」そのものを見つめてみてほしい。
授業中走り回るから,薬を飲んで落ち着かせましょう,とか
工夫して座らせましょう,とかも有りだけれど,そうじゃなくて
「走り回る」こと,そのことの事実です。
あちこちに気が散る,ということは,
とってもよく気がつく,ということ。
とっても気がつきすぎで,本人が困っているなら,気づかなくてもいい場所で集中することもできるし,
「気がつく」ことを活かすこともできる。
今,シャネルのアクセサリーは,宝石でも金でもないけれど,「シャネル」という資産価値のあるものに変わりました。
あなたがお困りの「そのこと」も,もしかしたら,価値があることかもしれません。
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