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AT THE GATES の真実

Download Japan 22で来日を果たす AT THE GATES。メタルが多様に花開いた90年代前半の "ポスト・ファースト・メタル・タイム" において、いかに彼らが重要な役割を果たしたのか、いかに "Slaughter of the Soul" がメタルを変えたのか。再結成の前、2006年に発表された Revolver Mag の記事を翻訳しました。

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"Master of Puppets", "Reign in Blood", "Vulgar Display of Power"。こうした作品は、ほとんどすべてのメタル・ヘッズが尊敬の念を持って語るアルバムです。メタルの時代と場所、それに傾向を定義するだけでなく、後続の世代に多大なるインスピレーションを与えたレコードだと言えるでしょう。そして、それは AT THE GATES の "Slaughter of the Soul" も同様です。

このアルバムが定義した時代とは?1995年。場所は?スウェーデンのヨーテボリ。そして、傾向は?AtG の画期的なレコードがなければ、IN FLAMES, SOILWORK, ARCH ENEMY, DARK TRANQUILLITY といったスウェーデンの新たなデスメタルの波全体がその形を変えていたでしょう。さらに言えば、AS I LAY DYING, KILLSWITCH ENGAGE, ALL THAT REMAINS, それにTHE BLACK DAHLIA MURDER までアメリカのメタルコアは存在さえしなかったと言っても過言ではないでしょう。

1990年に結成された AT THE GATES は、3枚のフルアルバムと1枚のEPで、黒ずんだ叫び声、スラッシーなデスメタル・リフ、メイデン風のメロディーとギター・ハーモニーをミックスしたサウンドを完成し、以前のエクストリーム・メタルと同様にヘヴィでありながら、非常に多くのフックを持つ新たなメタルのスタイルを築き上げました。

"Slaughter of the Soul" はスウェーデンのグラミー賞にノミネートされ、ボーカリスト Tomas Lindberg とセクシーなブロンドの女性が火花を散らすリードトラック "Blinded by Fear" のビデオは、Headbangers Ball で最も再生されリクエストの多かったクリップの1つとなりました。AtG は "Slaughter of the Soul" に伴う2度の全米ツアーを行い、創造力と国際的スターダムの頂点に立ちながら、大作をリリースして1年もしないうちに解散を決めました。その決断はメタル世界に大きな衝撃を与え、AtGの "スワンソング" は伝説の領域へと押し上げられたのです。


「他のバンドと同じように、俺たちもアルバムを作るときは、それが特別なものだと思いたかったんだ」と、Lindberg はその "スワンソング" が今では神聖な地位にあることについて語ります。「でも、"Slaughter of the Soul" は長い年月の間に、独自の生命を持つようになった。後続のバンドがあの作品の重要性を挙げるのは、正しい理由であって、流行に流されるためではないと思いたい。しかし、おそらくそうではないだろう。いったんレコードが注目を浴びると、多くのミュージシャンは、自分もその作品を気に入っているように見られたいと思うものなんだ」

「あのアルバムの秘密は何だったのか?単純なことだ。EXODUS の "Bonded by Blood" や SLAYER の "Reign in Blood" と同じくらい良いアルバムを作ろうと思っただけなんだよ。そこに近づけるとは思っていなかったが、あれほど高い目標をかかげれば半分くらいはいけるだろうと思ったんだ。同時期にデスメタル・バンドはたくさんあったけど、彼らは皆、平凡なレコードを作ることに満足していた。俺たちはそれを選択肢に入れることはなかった。AT THE GATES は自分たちが巨人に対抗することが可能なのかテストしたかったんだ」

1995年7月に Earache Records に移籍する以前、AT THE GATES は Peaceville に所属しており、英国を拠点とするこのレーベルでの経験が "Slaughter of the Soul" の発展に大きな影響を与えることになったと Lindberg は言います。

「Peaceville を非難するつもりはないが、彼らは我々が発展するための十分な予算を持っていなかったんだ。最後通牒は、ツアーの後、1週間ほどイギリスで足止めを食らった時だ。俺たちはとても怒っていて、それは俺が "Slaughter of the Soul" のために書いた歌詞にも表れていると思う」

「Earache が現れたとき、それはまるで救われたようだった!彼らはすでに、NAPALM DEATH, CARCASS, MORBID ANGEL といったクラシックなデスメタルと契約することで良い評判を得ていたから、俺たちはまさに家にいるような気分だったよ」

Lindberg, ギタリスト Anders Björler と Martin Larsson, ベーシスト Jonas Björler (Anders の双子の兄弟), そしてドラマー Adrian Erlandsson という恐るべき5人組に、Earache はすぐさまレコーディング方法やその時間に関しより多くの自由とコントロールを与えました。これはバンドの創造的解放への決定的ステップとなりました。

「以前は、レコードを仕上げるのに2〜3週間しかないのが常だった。でも、Earache と契約して、その期間が2倍になったんだ!事前に曲の準備を入念にしていたことも役に立ったね。多くの時間を費やして、素材をあるべき姿に近づけていくことができた。プリ・プロダクションはあまり行わず、リハーサルで解決していくような感じだったな」

Earache の参入はバンドの成長に欠かせないものでしたが、そうは言っても彼らは Peaceville にいる間からすでに偉大な存在への道を歩み始めていました。技術的に複雑な作品を何枚もリリースした後、Peaceville の後期には音楽制作へのアプローチを再構築し始めていたのです。Lindberg は初期の作品について「時には複雑な音楽性が邪魔になることもあった」と語っています。そこで、1994年の "Terminal Spirit Disease" (Peacevilleからの最後のアルバム)において彼らは、よりシンプルでストレートなスタイルを採用します。

「人によっては、このスタイルは時代に逆行していたように見えるかもしれないが、俺らにとっては、音楽を不必要な荷物でごちゃごちゃさせないための重要な方向転換だった。もっと直接的で、もっと残酷になりたかったんだ。"Terminal Spirit Disease" で俺たちはそのプロセスを開始した。このアルバムから "Slaughter of the Soul" が生まれたんだ」

AtG は "Terminal Spirit Disease" でその音楽性を徹底的に合理化します。その反面、このアルバムでは、より多くのことも学びました。
そうして、AtG は "Slaughter of the Soul" で音楽性をさらに洗練させ、多様化させ、彼らの理想と現実を完全に調和させたのです。例えば、"World of Lies" は THE OBSESSED や TROUBLE といったドゥーム/ストーナーのバンドから強く影響を受けていますが、インダストリアルなテクスチャーやサンプルもミックスし、音楽にさらなる硬質さとリフの息吹を与えています。"Suicide Nation" の冒頭で流れる銃のコッキング音は、クエンティン・タランティーの1992年の映画 "レザボア・ドッグス" から引用されており、Lindberg が「ドラムマシンとキーボードによるバンド最初(そして最後)の実験」と語るアンビエント曲 "The Flames of the End" は、もともと Anders が趣味で作った超低予算ホラー映画 "Day of Blood" のために作ったもの。

Lindberg の歌詞はより直接的となった音楽と相まって、ますます辛辣で、空想の要素を廃し、社会の衰退(1993年の映画 "Menace II Society" を観て書いた "Cold")、組織宗教( "Unto Others" )といった現実のテーマを多く取り上げるようになりました。

「以前と比べて、俺が書くものはもっとハードコアなものになった。ドラゴンやヴァイキングの話は一切出てこない。実生活と社会問題に集中したんだ。より地に足の着いた、神話的でないものになったんだ」

より削ぎ落とされたアプローチにおいて、AT THE GATES は細部まで完璧を期すために、臨床的で機械のような正確なサウンドと、ボーカルを含むすべての楽器のバランスを追求しました。

「リズム・ギターの音を出すのに3週間はかかったと思う。おかしいと思うかもしれないけど、このアルバムがギターによってどれだけ判断されるか、みんなわかっていたからね」

一方、ボーカルのレコーディングは3日間だけ。非常に濃密な時間を過ごしました。アルバム・タイトル曲のメイン・リフに導入される「ゴー!」のシャウトだけでも、バンドとコ・プロデューサーの Fredrik Nordstrom が満足するまで40回以上はテイクを重ねたのです。「プレッシャーはあったけど、やる価値はあった」

メンバーは、このアルバムにゲストとして参加する地元のミュージシャンを一人だけ選びましたが、それは賢明な選択だったと言えるでしょう。MERCYFUL FATE と KING DIAMOND の大ファンだった彼らは、KING DIAMONDのギタリスト、Andy Larocque が、Fredrik Nordstrom も時々働いていた地元の楽器店に勤めていると知り、大喜びします。そうして偉大なプロデューサーは、Larocque を説得してスタジオに呼ぶことに成功します。

「"Cold "で素晴らしいソロを弾いてくれた。彼が僕らのリフの上に乗ってシュレッドしているのを聴いて、本当に嬉しかった。彼以外、他の人を入れることは全く考えていなかった。俺たち5人はこのレコードを作ることに没頭していたから、それ以外の外のことは何も存在しないように思えたんだ」


"Slaughter of the Soul" は1995年11月にリリースされ、すぐに世界中のメタル・ファンや批評家を虜にしました。

「このアルバムがとても話題になったのを覚えているよ。少なくとも、俺たちがそれまでやってきたことと比べたら、すごく売れた。そして、物事はとてもうまくいっていた。イギリス、ヨーロッパ、アメリカをツアーして、次のアルバムのための準備が整っていたんだ」

しかし、突如 Anders が脱退を発表し、バンドメンバーを驚かせることになります。

「Anders はそのプレッシャーに耐えられなかったんだ。それはとてもシンプルなことだった。俺たちは彼を説得して気持ちを切り替えさせようとしたが、すべてが彼の手に負えなくなってしまったんだ。アルバムの成功は、俺たちを新しいレベルへと引き上げてくれたが、同時に問題ももたらした。5回連続のツアー、注目度など、大きな波すべてが一度にやってきた。Earache がスタジオに戻れとうるさく言うので、Anders の心が折れてしまったんだよ。今にして思えば、彼の後任を探して続けるべきだったかもしれないが、みんなまだ若かったし(メンバー最年長の Lindberg にしてもまだ23歳)、そんな気分じゃなかったんだ。それに、Anders はとても多くの曲を書いていたから、彼抜きで続けるのは不公平だったんだ」

こうして、驚くべきことに、アルバム発売からわずか10ヶ月で、AT THE GATES は活動を停止しました。対立も議論もなく、ただプラグを抜いただけ。

「ある意味、あの決断を後悔している。もっと大きなものになる途中だったから。でも、"Slaughter of the Soul" はやっぱり俺たちの最高傑作になるはずだったんだ。そして、最高のアルバムを出した後、やめるべきなのに賞味期限を過ぎてもなお続けることに固執するバンドをどれだけ君たちは知っている?だから、AT THE GATES が素晴らしき高みで活動を停止したことは、みんなが理解しているよ」

2008年、この5人で再び "ゲート" を開いた AT THE GATES は、世界中のビッグフェスを総ナメにし、強力な作品を送り出し、Anders を再度欠きながらも、現在も第一線で活躍し、大いにリスペクトされる存在であることはご承知の通り。北欧の氷で拵えたアイスのように、きっと彼らに "賞味期限" はありません。

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