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親の過干渉からの卒業

こんにちは。

2020年46歳コロナの春に会社の給与未払いのため退職。
この度、かきかた教室の「先生」としてスタートすることになりました。
まるです。

先生」になるというのは、わたしにとってずっとタブーなことでした。

なぜなら、父から
「先生なんてろくなものではない。」
「あいつらは、聖職者なのにふさわしい人格を持っていない。」
「先生にはなるな。」と
先生に対するマイナスイメージ、否定を植え付けられていたからです。

私の姉は、短大で幼児教育科に進学したのに
いざ就職活動をするときに
父から「幼稚園の先生になるな」と言われ
「なんのために幼児教育科へ行ったのだろう。」と絶望していました。

子どもにとって親が言うことは絶対です。
それは、どんな親であろうと子どもは親を愛しているから
そして、親に捨てられたら子どもは生きていけないことを
よく知っているからではないかと思います。

わたしも例にもれずそうでした。

物心がついてから、なにかやりたいと言って応援された記憶がありません。なにかをやりたいというと100%罵声と共に反対されていました。そうなると、わたしはなにをするにも前向きになれないようになっていきました。


大学生になり自分で稼げるようになると、噓をついてやりたいことをやってみることもありましたが、心から楽しみ熱中することはできませでした。
「ばれたらめちゃめちゃ怒鳴られる。否定される。」

なにをやっていても、父の気持ちに反したことをやっている罪悪感と罵声を浴びることへの恐怖心と自分の選択に自信が持てない劣等感が消えませんでした。

結婚するまでの25年間、父にやることなすこと反対されけなされる関係は続きました。

夫は父とは正反対の人で、わたしがやりたいということはなんでも応援してくれる人でした。
生まれてきてくれた子ども達のことも、それぞれのキャラクターを尊重し、おおらかに見守ってくれています。

そんな自由な家庭を築けたのだから、ぽんっと生まれ変わって、好きなことをできるようになればよかったのですが、わたしは父の影響からなかなか抜け出せませんでした。

「これをやったら父からなんと言われるだろうか?」
これが物事を判断する基準であり続けました。
父の考え方は嫌いだと思っているのに、
わたしはもう大人だから自分のやりたいようにするのだと思うのに、
「父はどう思うだろうか?怒られないだろうか?批判されないだろうか?」という思考から抜け出せませんでした。

父と暮らした年数と夫と出会ってからの年数が同じぐらいになってようやく、父の価値観をもとに物事を判断する自分から心が解放され、「かきかた教室の先生」を選ぶことができました。

父が亡くって6年もたってやっとです。

長くかかっちゃったな。

ここまで読んだ方は、父とわたしは仲が悪いまま別れることになったと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

結婚してからの父は「娘を守る」という重責から肩の荷が下りたためか、めちゃめちゃ優しくなりました。

6年前の桜の頃に天国へと旅だっていったので
毎年桜を観ながら父を思い出し、応援されているような気持ちになるぐらいです。

なのに、なぜこんなに時間がかかっちゃったのかな。

人の心は不思議です。

ようやく始まる自分がやりたい仕事をやる人生、楽しみます!

親の過干渉で悩んでいたわたしへ、今伝えたいメッセージ

自分も親になって分かったけれど、親は決して完璧ではないよ。

あなたより少し先を生きているだけです。

その中で経験してきたことは、あたなよりは確かに多いけれど、多いっていったってたかが知れているのです。

親が過干渉なのは、あなたがやろうとしていることが親の経験の範囲外のことで、どんな世界か分からなくてただ怖がっているだけかもしれません。

自分が子どもの頃にできなかったことをやろうとしているあなたへのただの嫉妬である場合もあるかもしれません。

親として失敗することを恐れ、自分が歩んだ道もしくは一般的に成功例が多いと思える道を子どもに歩ませることで、親が安心したいだけかもしれません。


「あなたのためだから。」といか言うけれど、違うかもしれません。
「自分のために。」実はそうして欲しいだけなのかもしれません。
本人もその本音には気づいていない場合もあるけれど。

だから、やりたいことがあるときは
どうか自分を信じて一歩踏み出してみてください。


自分が自分の一番の味方でいてあげてください。

やりたい気持ちを大切にしてください。

親の意に背くことをしたって
親はあなたを嫌いになることはありません。

あなたが幸せそうにしている姿を見れば
自分のことのように喜ぶでしょう。

そして、かつて支配したり過干渉だった原因は
自分の心の中にあったのだと気づくでしょう。

分身である我が子がいきいきしている姿を見て
「わたしもこんな風に生きれるのだ」と気づき
親も、自分の気持ちを大切にした生き方をできるようになるでしょう。

だから、どうか自信をもって、一歩踏み出してね。




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