*人はバランスの中で生きている*リモートワークとフル出社と人間関係
友達はリモートワークで人と関わらなすぎて鬱になった。
わたしは人間関係で鬱になった(側面がある)。
最近彼女の立場と、以前の自分の間にいる。
それは出勤してはいるけど、“フロアに1人”の時間帯が多くを占めるから(恵まれた環境だと自覚している)。
人はヒマがあると
「人間とは」とか「人生とは」とかを考える。
日本で?世界で?“鬱になる人”が増えているのは、世界の機械進化だったり少子高齢単身化による人との関わりが減ったりで、ヒマになってきたということかもしれない。
(コロナによるリモート普及も同じく)
けれどヒマでなく、人との関わりがある状態は
それはそれで煩わしい縮図があって、疲弊する。
だからバランスなのだと。
ただ注目すべきは、ヒマになったからといって悲観的になるか否かという点。
それは、
ヒマ→誰かと話す
ヒマ→楽しいことを考える
ヒマ→歌を歌う、踊る、寝る
といったハッピーめな思考に“ならない”国民性に起因していそうだ。
真面目な日本人は、勤務時間中にだらけるということを知らない。
それがイコールで繋がりはしないけれど、不安感が勝って明るい方へと考えが向かない。
勤勉さはいいことのようで、生きるを辛いものにしているようにも感じる。
そんなことを言ったって、
ニュースで国会議員が寝ていたり私的な旅費を経費で落としたら取り立たされる。
((飛躍しているけど))
当たり前のようでいて、自分なんかはやらかしそうであるし、わたしたちは怠惰と誠実の際際のところで生きてはいまいかと思うのである。
話はズレたけれど、人と関わったり関わらなすぎたり、その塩梅が人類5番目の試練かと思うほどにむずかしい。
そういう話です。
*
わたしみたいな怠け者で人間関係が苦手(みんながそうだとは頭では理解していて…)な人間は、ただ居ればいいみたいな仕事が向いているのだろう。
東南アジアに逃亡しようか。
(東南アジアのことをよく知りもしないのにごめんなさい)
一方で、一人でヒマを持て余すと悲観的になるという日本人性も持ち合わせているから、
海外逃亡したところで「なんとかなるさ」と呆けては暮らせないのだろう。
(不要な自己分析をごめんなさい)
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