≪春菜の章≫ 『見てるっつーの』 アタシは空の上から、国崎さんと奥さんと子供を見ていた。 『アタシが死んでから離婚したってしょうがないっつーの』 と、声に出して言ってみる。もう届かないのに。 『アナタのせいで離婚したわけじゃないよ。きっかけだったけど、もしも、アナタと国崎 さんが出会ってなくても、あの二人は離婚する予定だった。もう使命が終わったからね。』 天使が私の横でやっぱり下界をのぞき込みながらそう言った。 『陽向君を産んで育てるっていう使命?』 『そう。そういう人って
≪国崎の章≫ 『この間電話くれた?』 と、久々に会う絵里奈は喪服を着ていた。もちろん僕も喪服で、 共通の知人の帰天式に来ていた。 『うん、したよ。』 『かけ直そうかな、と思ったんだけど、 IT 弱者のアナタのことだから、スマホで間違えてタップしちゃったのかな、と思って。急用ならまたかけてくると思ったし。』 『超、超、IT 弱者の僕だけど、間違えてタップしたわけじゃない。 陽向がさ。離婚しても法友だろ、って言うから。 なんだかキミに電話したくなったんだ。』 『法友か。そうね、
≪陽向の章≫ 俺は、階段の上から、カフェの方に歩く神津川を見つけて大声で呼んだ。 俺の声は風にかき消されて神津川には届かなかったようで、 神津川は 早足 でカフェを通り過ぎようとしている。 俺は、階段を二段飛ばしで駆け降りると 、 全速力で神津川の背中に向けて走った。 その気配を察したのか、神津川が振り返る。 『陽向君!?』 大きな目を見開いて俺を見る。 『か、神津川・・。よぅ、久しぶり。』 俺は息を弾ませながら、笑う。 『久しぶりー・・。あ、お父さんに会ったよ!』 『うん
≪国崎の章≫ 『神津川?あぁ、マジで父さんに会いに行ったんだ。』 その夜、僕は久しぶりに陽向に電話をした。 『陽向・・元気か?』 『え、なに、突然。元気だよ。ってか、学祭の準備でへとへとだけど。』 『いや、ならいいんだ。』 『父さん、学祭・・来れないよね?』 『あぁ・・うん。ちょっと無理かもな』 『わかってっけどさ。言ってみただけ。 支部 長やってたと思ったら 、今度は 選挙に出るっ ていうんだもんなー。』 『ごめんな、陽向。こんな父親だけど おまえのことをちゃんと考えてる
≪侑輝の章≫ 男子トイレのドアを開けたら、床にはいつくばって 雑巾をかけている人がいた。 『あ、ごめん。』 反射的に言ってから頭にはてなマークが浮かぶ。 あれ、ここ、男子トイレだよな。 『あ、ごめん。』 と、その人もオウム返しに同じ言葉を口にする。 『ごめん、ごめん、あまりに汚かったから。』 そう言って雑巾とバケツを持って立ち去ろうとする人が、 なっちゃんだった。 なっちゃんはいつも作務をしていた。 僕の信仰している神様の、お祈りの 場所 を掃除してい る 。 詩織と別れて
≪国崎の章≫ 『陽向君 のお父さん、選挙に出るんだ? 』 次の日の挨拶街宣が終わる頃、 また 陽向の友達の女の子がやってきた。 『そうですね。』 『なんで?』 『え?』 『なんで出るの、選挙。うちらも選挙権あるんだよね。今度から。』 『なんで・・。神様に言われたから。』 『え、マジ?マジでそんな理由なんだ。陽向君 の言うとおりだね。』 『いや・・説明すると長くなるけど・・簡単に言えば、それが今の 僕 の使命だから』 『使命かぁ。なんかすごいね、そういうの。 そういうので選挙
≪春菜の章≫ アタシは雨の中、高速をとばしていた。 緩やかなカーブと下り坂の続く道を、彼のことを考えながら走っていた。 少し前に彼が言った言葉、彼がそれを言った時の表情を思い出して。 私に言ったあの言葉の中に、少しでも希望を探してみるけど、どうやっても見当たらない。 なんで?なんで?なんで? グッとアクセルを踏む。 対向車線のライトの眩しさに一瞬目がくらんだ。 後輪が滑ったな、と思った瞬間、 アタシの車は高速道路の壁に激突していた。 アタシの車の前方部分がへしゃげている。あ
≪国崎の章≫ 『陽向君の お父さんだよね!?』 と、僕 の前に来た女の子がいきなり言った。 駅でのあいさつ運動が終わって、 旗を片付けている時だった。 『アタシ、陽向君 の友達なんだ。大学で一緒なの。』 『あぁ、そうなんだ。陽向、元気にしてる?』 『うん。今、学祭の準備してる。アタシのうち、 この街だから、朝、 駅に行くとお父さんがいるよって教えてくれたの。』 『あぁ、ありがとう。わざわざ。』 『明日もいる?』 『うん、いるよ』 『じゃあ 、また明日!』 そう言って短いスカ
≪絵里奈の章≫『奈津美!』 と、私は新宿の駅の雑踏の中で、なぜ彼女の姿が目に入ったんだろう、 と思う前に彼女の名前を呼んでいた。 ちょっといぶかしげに振り返った彼女は、すぐに笑顔になり 『え、絵里奈!?うっそ、久しぶり・・なにしてんのぉ?』 と人の波を逆流しながら私の方に歩いてきた。私達は 人の邪魔にならない 柱の陰の方に移動しながら 『今から支部に行くとこ』 と答えた。 『あ、そうなんだ。あれ 、旦那さん、今、こっち?』 と奈津美に聞かれて 『あー。うん。旦那ね。ってか、元
プロローグ・侑輝(ゆうき) の章 2015年7月、僕は海を見ながら、なっちゃんと話をしていた。 荒い波がよせては、かえ している。 僕が育った街の海とは違う音がする。 詩織。その名前を思い出す度に胸が痛む。 『神様とアタシとどっちが大切なのよ!』 普段大きな声など出すことのない詩織の叫び声が頭から離れない。 僕は神様の方が大切だった。 だからそう答えた。 『冷たい、と思う?僕のこと』 なっちゃんは僕の方を向いて少し笑って、 それから首をゆっくり横に振った。 『思わない。思
あの日 あの人は 「気になってたけど 行ったことない店に 行ってみても良い?」 って私に聞いた。 いつか あの人は 違う誰かとあの店に行った時に 一番初めに一緒に行った私のことを 思い出すだろうか。 私はどうだろう。 またいつか あの店に行くことがあったら あの人のことを 思い出すだろうか。 あの人が飲んでいた 生クリームが乗ったコーヒーや 私のミルクティや 壁の不思議な雷神の絵とか。 あの人のことだから 違う誰かにも 「気になってたけど行ったことない店」 って言う
私がカウンターで 手続きをしていると 斜め後ろから こんにちはって声をかけてくる。 背の高いあなたは 私の顔を覗きこむようにして笑ってる。 あの瞬間が 私はけっこう好きだったんだよなぁって言ったら 「そんなら今からやりましょうか?」 って言うから 私は照れてそれを隠すように 「ダメ。制服じゃないから。」 って言ったら 「それもそうだな」 って笑うから 待って、ウソ、制服じゃなくて良いよ、 そのままで良いよって 言えなくなっちゃったんだよね。
京都駅も イノダコーヒも 定宿も 八条口の交差点も 留守電に残る声も 全部がせつなくなってしまった。 車で横付けにされた 前の定宿も 待ち合わせの場所も 人混みのデパートや うっかり話しちゃった未来人の話も いつか私は いつか私はきっと もっとせつなくなるだろう。
1番初めは電話だった。 2回目は私が朝食を食べてる時。 初めて顔を合わせた。 カウンターで手続きをしてると 後ろから私の顔を 覗きこむようにして こんにちはって言う。 お土産をあげると 「今度はどこに行ったんですか」って 笑う。 ソファに座って話してたら 女性のお客さんに呼ばれて 「また後で」 と言った後ろ姿。 あれが最後。 同じようにソファに座って あの日のことを思い出す。 初めの電話から今までのことを。 あなたがいたはずのこの場所に あなたが あたりまえにい
そういえば 『高校教師』に こんな場面があったな、と 改札口で 好きな人を待ちながら思い出す。 あれはクリスマスじゃなくて バレンタインだったっけ。 ドラマでは雪だった。 今は雨が降っている。 繭はつながらない電話。 アタシは既読にならないメッセージ。 繭は羽村先生を待って 日付が変わる前に チョコを渡せたけど アタシのイヴの日は 25日に変わってしまった。 ありえなさ過ぎて 泣いた。
この間、このコインパーキングで あの人は何て言ったんだっけ? 星が綺麗に見えるね、だっけ。 あの日、私は あなたしか見てなかったな。 夜に浮かぶ観覧車も 流れていく高速の景色も 全然見てなかったな。