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幸せのカケラ➀

プロローグ・侑輝(ゆうき) の章 

2015年7月、僕は海を見ながら、なっちゃんと話をしていた。
荒い波がよせては、かえ している。
僕が育った街の海とは違う音がする。
詩織。その名前を思い出す度に胸が痛む。
『神様とアタシとどっちが大切なのよ!』
普段大きな声など出すことのない詩織の叫び声が頭から離れない。
僕は神様の方が大切だった。
だからそう答えた。
『冷たい、と思う?僕のこと』
なっちゃんは僕の方を向いて少し笑って、
それから首をゆっくり横に振った。
『思わない。思わないけど・・。その子の気持ちもわかる。
そうやって聞きたかった気持ちもわかる。』
入試の直前に交通事故にあった
詩織 は、いつも少し片足をひきずっていた。
『足の後遺症については気にしないの。
大学で体育の授業があるとは思えないし・・ ・。
あるのかな?体育とかって』
『どうかな?あっても高校の時みたいにハードではないんじゃないかな』
『・・・どこ、受けるの?』
詩織が僕に聞く。
『入れればどこでも』
と僕は、今まで何人にも聞かれたセリフに 、 また何度目かの嘘をついた。
本当は入りたい大学がまだ出来ていないから。
正確には今年出来る予定だから。
だから僕はどこの大学も受験しなかった。
『詩織は?』
『アタシは・・侑輝(ゆうき) と同じとこがいいかな・・』
そういう詩織に、僕のことを話したかった。
僕の信仰している神様のことを。
でも話さなかった。嫌われたくなかったから。
詩織に変な人と思われたくなかったから。
詩織とは予備校で出会った。
予備校の初日に隣の席に座っていた女の子。
長い黒髪をおろしていて、前髪をピンで止めていた。
昼休みに、一緒に食堂でランチを食べた。
その時に片足を少しひきづっているのがわかった。
僕の視線に気がついた詩織は、少し恥ずかしそうに
『受験の直前に事故にあって・・。』
と、言って笑った顔を見て好きになった。
毎日隣の席に座って、ランチを食べて、帰りに駅まで送っていった。
僕とは反対方向の地下鉄に詩織が乗って行くのを見送ってから、僕は祈りの場所へと向かう。それが 日課だった。
4 月の僕の誕生日に学業成就のお守りをくれた詩織をそっと抱きしめ た。そんな風に僕達は恋人同士になった。
『スリップした車が突っ込んできたの。』
と、夏 の終わりの 雨が降る夕方に、詩織が話しだした。
『こんな風に雨の降っている日だった。
1月だから もっと寒かったけど。たぶんもっと北
の方では雪が降っているのは間違いないってくらいの日 。アタシは父親が運転する車の助手席に座っていて、志望校に入ったら
東京で一人暮らしすること を 、父親と話していたの。
父方の祖母のところにお見舞いにいくところで・・
母は祖母とあまり仲良くなかったから、
私と父親だけで行くことになったの。
前を走る赤い車がスリップして、こっちの方にぶつかってくるのが、
よくドラマであるようなスローモーションで見えた。
父親は思い切りハンドルをきったんだけど・・
あ、これはもちろん事故の後 で 聞いた話だけどね。
ぶつかるな、と思った後の記憶はないの。
次に目を覚ました時にはベッドの上だった。
父親は軽傷で済んだんだけど、アタシは右肩と、左足の複雑骨折。
それで受験もできず、左足には後遺 症が残っちゃったの。 』
そう言って詩織は手にしたカップで、手を温めるように包んだけど、
そのミルクティーはとっくに冷めているはずだった。
『でも・・受験できなかったけど、今は良かったな、って思ってる。
だって侑輝に出会えたから。』
そう言って笑う詩織の手をそっと握った。
詩織を幸せにしてあげたいと心から思った。
『きっと神様が会わせてくれたんだね。』
と僕が言うと、詩織はびっくりするくらいに怒った顔をした。
『なにそれ、侑輝、神様なんて信じてるの?』
『え・・。う、うん。』
『信じらんない。神様なんているわけない
じゃない。神様が会わせてくれたって言うなら、
事故になんてあわないで、同じ大学に合格させてくれて、それで出会わせてくれればいいんじゃない。ありえないから。神様なんていないって。』
『いや、それはないよ。それは違う。』
僕は思わず大きな声を出してしまった。
『神様はいるよ。ちゃんといる。詩織が事故にあっても、今こうして生きていられるのは神様が守ってくれたからだよ。お父さんが無事だったのも、
全部神様 の 御加護なんだ。
だからそれをちゃんと感謝しないとダメなんだ。』
『ちょ、侑輝、なに熱くなってんの?じゃ、侑輝が受験に失敗したのは、
どういう神様のいたずらなわけ?』
『神様はいたずらなんかしない。
僕は受験に失敗したわけじゃない。受験はしてないんだ。 』
『意味わかんないんだけど。』
『僕の信じている神様が、今度大学を作るんだ。来年開校になる。
僕はそこの大学に行って、幸福について考える。』
『え、まさか、この間ニュースになっていたあの大学?
侑輝、あそこの信者なの?』
『うん。』
『信じらんない・・。あんなカルト宗教の信者なんて・・・』
『当会はカルトなんかじゃないよ。ちゃんとした仏法真理を・・』
そう言いかけた僕の言葉を詩織が遮る。
『じゃぁ、アタシのこの足直してよ!神様なら直せるよね!?
侑輝、神様に頼んでよ!走れるようにしてよ!できないんじゃん!
嘘っぱちじゃん!』
『それは違うよ、詩織、それは違う。神様はちゃんと見ているから。
乗り越えられない試練は与えない。詩織が事故にあって、
走れなくなったことで、魂の修行をさせようとしているんだよ。』
『そんな話、聞きたいわけじゃない!』
詩織は目に涙を浮かべて僕に言った。
『アタシと神様のどっちが大切なのよ!』

と。だから僕は神様の方が大事だ、と言った。
できれば詩織にも僕の神様の話を聞いてほしい、と。
そう言った僕を詩織は心底軽蔑したような目で見て
『もうアタシに話しかけないで』
そう言って立ち上がると、食堂を出て行った。
左足をひきづって。僕はその後ろ姿を哀しい気持ちで見送った。
立ち上がる気力もなかった。追いかける気すらなかった。
そして心の中で神様に問いかけた。
『神様・・僕に与えた試練はなんなんですか』
と。その日以来僕は予備校には通わなくなった。大学の開校が決まり、
僕は入学までの間、神様のいる場所で雲水修行をし ながら
日々考えて い た。そこでなっちゃんに出会った のだ 。
僕はなっちゃんの横顔を眺める。
波風にはためく髪の毛を右手で軽く押さえながら、波を眺めている。
『ねぇ、侑輝君、知ってた?波の音って、一瞬消える時があるんだよ。 』
『え?ホント?』
『うん。ほら、もうすぐ。』
波の音がごぉぉぉと、地鳴りのように大きくなったと思ったら、
本当に一瞬ぴたりと音がやんだ。
『ね?』
ちょっと得意げになっちゃんが笑う。
『なっちゃん』
『ん?』
『キスしていい?』
『え?』
『なんかキスしたくなった』
『いいよ』
そう言って目をつぶるなっちゃんに僕はそっとキスをした。

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