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働き方改革の前提 〜物理的環境整備の前に心を満たす取り組みをすべきでは〜

ある人がパートを辞めたがっているそうだ。
理由を聞くと、
パート時間外に持ち帰りとなる業務が多いらしい。
もし当人がその職が好きで、
情熱を燃やして取り組んでいるのなら、
多少の負担でも耐えられるとは思う。

しかし、主婦である、ほかに時間を割いている、そもそも本業として捉えていないなど、
パートタイムという働き方を選ぶ理由や、仕事に対するモチベーションのあり方は個人様々にある。恐らく今回の当人も、後者のような理由での就業だ。
その場合であれば確かに、時給の発生しない労働は負担と捉えるほかないだろう。

ただし、たとえパートタイムの就業と言えども、慣れてきた職場をすっと離れるのは他者が思うほど簡単ではない。
それまで築いた人間関係や、職場の人材不足の現状、新しい職場を見つけ出す手間など、色々なことを考えなければならない。

そこで最も容易且つ端的な解決方法として、
「同じ職場にいながらも労働環境を改善する。」という方針が考えられる。
その場合、「不満を上司に報告して、何らかの対応をしてもらう」
という解決策が、真っ先に思いつく確実で近道だと思う。

ただしこれがなかなかできない、
というのがこの社会の特徴であり課題だ。

上司や周囲の人間に、悩みをパッと言いづらい傾向。
「怒られるんじゃないか」とか、
「どうせ聞いてもらえない」、
「そもそも言うのがめんどくさい。」
こんなことを部下側が考える。
または遠慮して言うことができない。
これは組織として良くない状態だと思う。

「はっきりものを言えないのは弱者だ。」
もしかしたらこう言う考えを持っている人もいるかも知れないが、
正直言ってそんな強い人間ばかりではないきとは確かだ。

理想は組織に関わる全体が、
より満足に近い状態で業務に取り組む。
この方が生産性の向上につながりやすいのは言うまでもない。
ブーブー言いながら仕事をしていては、
よほど特異な人でない限り
モチベーションを上げることはできない。
言いたいことが言える関係、そんな組織がベターではないか。

しかし社会の風習は逆で、
部下がある程度我慢を強いられる。
言いようによっては「部下のわがまま」は、
ほとんど上司は聞き入ってくれない。

だから、日頃からゴマを擦ったり媚びたりといった、何とも周りくどい方法、
俗に言う政治力をつけて、
いざという時に話を聞いてもらえるように
部下側から仕向けたりする。

しかし、そんな手間を惜しんでパートタイムに励む人はどれだけの数がいるだろうか。
そんな政治的な能力を、大半の人が持っているとも限らない。

どう考えても、まず上司側が話を聞けばそれで済む話だと思う。
従業員のことを想い、日頃から話しやすい環境や、皆が働きやすい環境を考え、作っておけばいいだけの話だ。
これは決して部下の役割でなく、上層部が考えなければならないことだ。

働き方改革改革と言って、物理的環境を整える以前に、仲間たちの心を満たす取り組みがもっと成されても良いのでは?

仕事以外のシーンでも同じだ。
クラブ活動、学校、家庭、
どんな組織でも誰もが今より満足を求めてイキイキと暮らす、そんな状態を作ることができれば、個人の幸福度も高まり、また組織の向上性も高めることができるのではないかと僕は思う。

この環境作りの作業は、上司の心持ちひとつで変わる。どうして社会のほとんどの組織でこの現象が起こらないのか、僕には甚だ理解ができない。ただでさえ上下関係を意識する日本人の特性からすると、この環境作りの作業は上司側からしたら比較的簡単なことだと思う。

思い切った発言ができない、
遠慮してしまう。
恐らくこんな社会性質も、
学校教育の影響が大きい。
例えば先生は生徒より「上」であり、
言うことを聞かすのが役割だと言う風習。
これは今に始まったことでなく、
明治時代の一致団結心を育む方針や、
戦期の強制教育が基となる。
それが教育文化として根付き、
この国ではいつまで経っても、「前習え」しないと「怒られてしまう」のだ。

そんな状態で成長期を終えるから、
大人になっても上の人間は一向に部下や現場の心情を理解しようなどと降りては来ないし、
部下側も上にものを言いにくい。

正直教員時代の経験から言って、
優秀な生徒ほど言うことをすぐ聞かない。

自分の信念を曲げずに向かってくる。
満足を追求する力が高く、その環境を整えた方が力を発揮できると知っているのだ。

学校や職場で過ごす時間が、
いかに満足な状態になるかは、
その人の日々の幸福度合いに
大きな影響を与えると僕は思う。

皆が働きやすく、職場が好きで、
モチベーション高く毎日を送れる。
こんな社会の実現は、そんなに難しいことかと思ってしまう。