圓井仁志(Hitoshi Marui)

会社員/ラグビーコーチ/29歳/元教師です。 中学校の恩師に憧れ、一時は中高教諭兼、高…

圓井仁志(Hitoshi Marui)

会社員/ラグビーコーチ/29歳/元教師です。 中学校の恩師に憧れ、一時は中高教諭兼、高校ラグビーの監督になりました。しかし職場の内情に悩まされ、適応障害で退職しました。底辺と言える時期を経て、今は「幸福度高い社会の実現」と「教育機関の設立」を目指します。 日日是好日です!

最近の記事

現代に生まれ育った僕は、もう少し感情を表現してみたい

まだまだ中途半端な答えしか出ていないのだが、一言で言うとどうも「昔の人」の方が「今の人」よりも感情的に人と接し合っていたように思う。互いの感情をもろに見せ合い、特に怒るときは今の人よりも思いっきり怒っていたように思う。仕事柄、各年代の人と接する機会が多いが、日常会話でも年配の人の方が、回りくどい言い方などがなく、直接的にはっきり言いたいことを言ってくる傾向がある。 それは「思い込みが強い」と言えるのかもしれない。〜はこうに決まってると思い込んでいるから、はっきりものが言える

    • 外国人犯罪に対する日本人の反応

      最近、私が住む大阪某所で外国人が外国人を刺したという事件が起きました。 3車線ある国道で一部が封鎖され、一時街中は騒然となりました。 その際、私は自宅にいたので、Twitterを追いかけながら事件の目撃者によるコメントや、詳細記事を確認していました。 すると、思いもよらないコメントの数々がありました。 「大阪のあの場所の外人と言ったら、〇〇人か〇〇籍の在日しかいない。」 「また外人」 「国へ帰れ」 など。 これが意外なほど多い。まだこんなこと言う人がいるのか、と思いきや、な

      • 安倍総理とSNS

        今までは安倍総理に対し 批判する人の意見がSNS上では多く、 総理が辞めるとなった途端、 逆に感謝や敬意を表する 支持層のコメントの露出が増えた気がする。 この人たちの意見は今までと変わらなく、 前者はずっと反安倍派、後者は今までもずっと支持派だったのだとは思う。 しかしここで思うのは、 なぜ今まで支持派の意見が 目立ってこなかったのかということ。 なんとなく総理反対派の批判的な意見ばかりが出ていた気がして、 ここに来て、「あ、SNS上にも安倍総理支持派はこんなにいたんだ」

        • 思いが強すぎるあまり

          希望を持つということは生きる活力になる反面で、「あくまで今は不満足である」という自分を表す要因にもなる。 不満足な状態は、その人から出るエネルギーはネガティブな波動である場合が多い。 そして皮肉にもネガティブな波動は、ネガティブな結果を引き寄せやすい。 現象はその人の放つ波動とリンクしてその人に訪れるとされる。 その人が「今」に満足すればするほど、その人には満足のいく未来が訪れる。 「〜したい」と考えることは、もちろん活力の一つとなり得るが、 その思いが強すぎるがあまり

        現代に生まれ育った僕は、もう少し感情を表現してみたい

          どうせ私はダメ人間

          「自分はダメな人間です」と、 すっかり諦めてしまうことがある。 ダメな自分を受け入れるのだ。 すると、割とこれまでどうでもいい プライドに縛られていたことがわかる。 「〜でありたい。」 という自分で決めた根も葉もない正解の信念とやらが、ぱっと解き放たれていく。 途端に、様々な生き方がうまれる。 「〜でなければならない。」 というある種受動的な思考から、 「〜が自分にとって一番生きやすい。」 という能動的な思考に変化する。 受動的な思考とは、 言い換えれば外部からの刺激で

          どうせ私はダメ人間

          教育における脱近代思想

          テクノロジーの発展で、 社会は目まぐるしく変化しています。 誰も予想できなかったものが、 開発され、流行し、我々の生活に溶け込んできます。 情報は誰もが入手できるようになり、 今や我々は、「学校」に教わることよりも、スマホから学びとる量の方が圧倒的に多いのではないでしょうか? 今は手軽に個人の発言を、入手できるようになりました。 そんな現象の影響からか、 近年人々の価値観が、すごく多様化していると感じます。 「嘘やん」って思う行動や、思想がどんどん広がっている。 それは

          教育における脱近代思想

          田舎道、ふと地方創生

          今日は、地方創生の話が出ました。 私は大阪に住んでいますが、 仕事がら、田舎に行くことが多いです。 今日も奈良の田舎道を走り、 車中はそんな話題になりました。 どうしたら地方からイノベーションが生まれるのかな?と。 現在の日本は明らかに、 人も企業も都市に集中しています。 地方で新たなベンチャー企業やイノベーションが生まれることは多くありません。 地方出身の若者は、刺激を求めるのであれば、都会に出てくるのが一般的です。 しかし、その時点で課される負担は大きいのではないかと考

          田舎道、ふと地方創生

          幸せになりたければ神さまに祈るか、もしくは「〇〇〇」しよう。

          今日、仕事で京都に行きました。 さすがに寺社がすごく多いです。 仕事の現場も、お寺さんでした。 そんな流れから帰りの車では、 ついつい宗教の話になり、 「海外の宗教信仰はすごいよ」 とか言う、ごくありがちな会話になりました。 次第に話は深まっていき、 「人間の行動と、宗教の関係」 という具合に発展しました。 そこで私は仮説を立てました。 「そもそも人間は自己判断力がそこまで高くない生き物ではないか?」 要するに、本当は人間はなよなよした存在で、 「どうやって生きてい

          幸せになりたければ神さまに祈るか、もしくは「〇〇〇」しよう。

          未来の自分へ、過去の君より

          学ぶということや、環境の変化は、 良い意味でも、稀にそうでない意味でも、 人の価値観に影響を与えるきっかけになると思います。 もうすぐ、私はその双方に直面することになると感じます。だからか、ここにいる今までの自分を、自分が変わってしまうまでの間に、どこかに記録しておこうかなと思います。 プロフィールにもございますように、 私の人生の目標は、「幸福度高い社会の実現」 と「教育機関の設立」にあります。 理由は私のこれまでの人生で、自分が苦悩を強いられたことであり、またその時

          未来の自分へ、過去の君より

          働き方改革の前提 〜物理的環境整備の前に心を満たす取り組みをすべきでは〜

          ある人がパートを辞めたがっているそうだ。 理由を聞くと、 パート時間外に持ち帰りとなる業務が多いらしい。 もし当人がその職が好きで、 情熱を燃やして取り組んでいるのなら、 多少の負担でも耐えられるとは思う。 しかし、主婦である、ほかに時間を割いている、そもそも本業として捉えていないなど、 パートタイムという働き方を選ぶ理由や、仕事に対するモチベーションのあり方は個人様々にある。恐らく今回の当人も、後者のような理由での就業だ。 その場合であれば確かに、時給の発生しない労働は負

          働き方改革の前提 〜物理的環境整備の前に心を満たす取り組みをすべきでは〜

          継続は力なり?

          継続は力なりという言葉。 それはやり続けると結果が出る、 というよりも、 結果が出るまでやり続けるという 執念に近い思想だと思う。 しかしその言葉が通用するかは、 当人がなぜそれをやっているかという 理由の部分にかかっていると思う。 要はそれにより 継続できるかどうかが決まる。 そして、例の理由によっては万人に通用する言葉ではないということが言えると考える。 継続力とは、 「情熱」と「粘り強さ」で成るとされている。 情熱とは、自分の最も重要な目標に対して興味を持ち続け、ひ

          瞬発力がディフェンスを突破する

          もっと直感や感覚で生きたい。 感性をさらけ出して生きてみたい。 ある時からよくそんなことを思う。 自分はどこか計算というか、 放っておくと知識を利用してしまう癖がある。 より良く、より良くを考えてしまうから、 おかげで勉強は趣味のようになった。 (やりたい時にやっている程度ですが) 何をする時、話すときでも、 理論が理解できていないと嫌で、 下の表現が正しいかわからないが、 「左脳で動くタイプ」と言える。 どうしてこうなったのか? 自分では育ち方にあるような気がする。 幼

          瞬発力がディフェンスを突破する

          高校時代の先生との思い出

          今日の仕事の車中にて、 「学生時代の先生に言われて印象に残ってる話って何?」 という話題になった。 「全くない」とすぱっと言う人や(笑)、 問答無用に怒られた話など、 様々な男子ならではの 意味不明な思い出話で車内は盛り上がっていた。 先生のする話に対して、 人によっての受け止め方も 色々あるんだなあと考えていた。 ちなみに僕は恩師たちから本当に色々なことを 教えてもらったが、 覚えているものの中でも、 なぜか今日の車の中で すぐに思い浮かんだ二つのことがある。 一つ

          高校時代の先生との思い出

          昭和の親から学んだ我々は、令和の子どもにいかにして接するか

          教育に携わった者であり、 また人間観察が好きな僕としては、 その人の性格や価値観、行動の源に どうしても受けてきた教育を考える。 言い換えるとそれはその人の背景だ。 もちろん遺伝子によるそれらへの影響も 事実としてはあるんだと思う。 しかしそれだけではないと信じたい。 生き方や人生が「生まれつき」決まるのは、 何とも不平等で虚しさを感じる。 「やり方」で変わる世界であって欲しい。 人生は「道の歩み方」によって 成り立っていると僕は信じたい。 そうであれば、 「気づき」をき

          昭和の親から学んだ我々は、令和の子どもにいかにして接するか

          自由子育て、自由教育

          まずはなんでも夢中でやってみる。 もちろんしんどいこともある。 もちろん休憩しながらでいい。 自分が夢中になれることをする。 決して誰かにやらされてはいけない。 その瞬間、成果への欲求が 「自分の目標」と「誰かの期待」 の半分こっつになることがある。 誰かの期待に答えたいという 衝動は悪いことではない。 しかし、期待通りではなさそうな行動を 思い切って起こしにくくなる。 「怒られるんじゃないか」とか 思っているようでは最悪だ。 自らの思考と行動の制限は、 自らで操作できた方が

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          誰かの攻撃に苦しんでいる人へ

          批判や誹謗中傷は苦しい。 言っている側は独り言だと 思うようだが、受信者は違う。 わざわざ大勢を募って、押しかける。 壮絶な孤独感を感じる。 パワハラやモラハラは苦しい。 言っている側はこれも教育と 思うようだが、受信者は違う。 正論じみた言い方で攻めてくる。 されないとわからない絶望がある。 いじめやよそ者扱いは苦しい。 やっている側は自分が正義だと 思うようだが、被害者は違う。 煽り、馬鹿にし、皆に笑われる。 次第に自己嫌悪に陥る。 これは誰かを攻撃する人に、 わざ

          誰かの攻撃に苦しんでいる人へ