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高校時代の先生との思い出

今日の仕事の車中にて、
「学生時代の先生に言われて印象に残ってる話って何?」
という話題になった。

「全くない」とすぱっと言う人や(笑)、
問答無用に怒られた話など、
様々な男子ならではの
意味不明な思い出話で車内は盛り上がっていた。

先生のする話に対して、
人によっての受け止め方も
色々あるんだなあと考えていた。

ちなみに僕は恩師たちから本当に色々なことを
教えてもらったが、
覚えているものの中でも、
なぜか今日の車の中で
すぐに思い浮かんだ二つのことがある。

一つは、
高校2年の時に、
ラグビーの怪我で入院していた時。
当時の担任だった先生で、
年齢は60歳ぐらい。
野球部の総監督的な立場だった人だ。
熊のような大柄な体で、
菅原文太みたいな髪型の先生は、
野球部員の僕の友達と2人でお見舞いに来てくれた。
っと言っても、
病室に来てくれた覚えはない。
急に携帯に電話がかかって、
「すぐ降りてこい。飯行くぞ」的な。
消灯間近の入院患者相手とは思えない、
めちゃくちゃな要望だったと記憶している。
昭和の俳優のような振る舞いだ。
僕は当然ご飯を食べ終わり、
若干お腹は張っていたのだが、
嬉しさが勝ってすぐ外へ出た。
お腹がほぼいっぱいの中でも、
「腹ぺこですわ」と嘘をついていた。
チャーシューラーメン特大を奢られた。
その時は「もう無理」と言えなかったけれど、
食べきれないほど苦しかったはずだ。
その時に聞いた、恩師の言葉だ。

「高校生の間ってのは、ラーメンの汁まで肉になる。だから汁まで全部飲め。」

全く意味のわからない、
身体学には人一倍詳しいはずの
体育教師からのまさかの一言だ。
恐らくモンペならクレームをつけるだろう。
それ以外は確かひたすら
「清原はやばい」っていう内容の話だった。
本当に吐く2秒前ぐらいの満腹状態でで病室に戻った。

もう一つの話は「会話」ではないけれど、
これも高校時代の体験だ。
入学したての高1の5月ごろ、
僕はさっそく喧嘩して謹慎になった。
1ヶ月間ぐらいだったと思う。
その間は誰にも会うなと言われ、
1人だけ7:30に登校し、
会議室みたいなだだっ広い部屋で、
1人で課題して、飯食って、課題して、
14:30ぐらいに帰るみたいな、
そんな生活だったと思う。
定期的に指導との名目で、
数人の先生が来てくれるのだが、
申し訳ないことにほぼ記憶にない。
しかし、その中で印象に残っているのは、
現代文の女の先生だ。
当時で、40歳ぐらいだったか?
(間違えていたら本当にすみません!!)
古典も習っていたような気がする。
その先生は、冗談とか言わずに、
また、熱い言葉をかけるわけでもない。
それどころか、謹慎中の僕に向かって、
何も生活指導的なお説教とか、
励ましの言葉とか、
そんなものは一切口にせず、
ただ淡々と国語科の課題の内容について
教えてくれた。
本当に申し訳はないのだが、
その内容も僕の頭には一切残されてはいない。
はっきり言って、その日帰る頃には忘れてた。
っと言うよりも、
「わざわざ来はっても困るわ〜。」
「まじめにやってる振りせなあかんやん。」
みたいな、そんな具合に思っていたと思う。
でも、なぜか謹慎が明けた後、
「あの先生だけは毎日来てくれた。」
その事実だけが心に残った。
勉強も嫌い、国語は興味なし。
せっかく丁寧に教えてもらっても、
帰る頃には全て忘れてる。
そんな感じの馬鹿生徒だったのに、
来てくれた事実だけが感情に残り、
それ以降その先生の授業では、
「感謝」の気持ちで臨むようになった。
その先生が優しすぎるため、
他の生徒がちょけてボイコット作戦をしたり、
授業中にワーワー遊び始めても、
僕だけはなぜかその気になれなくて、
ずっと座って、みんなの代わりに
先生に謝った記憶がある。
多分みんなは僕のことを相当へんな奴だと
思ったと思う。

っていうことぐらいしか思い出せないが、
僕の中で最もあたたかい、とっておきの素敵な記憶だ。