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1.25 “時間”の価値観について

こんばんは。
はや、1月も終わりに差し掛かってきましたね。
こうやって、2021年もあっという間に終わってしまうのだろうと思うと
何だか人生ってあっという間だなと感じ、少し寂しくなってしまう私です。

今日は、私にとってけっこう大事なことを書こうと思います。

時間とは

Googleさんで [時間とは] と調べると、哲学的なことから心理学的なことまで難しい言葉を多用し様々な表現で説明してます。興味がある方は調べてみてください。

今日、私が言いたいのは
「世界中のみんな同じ時間を持っている」ということです。
1日24時間。日本では毎日、朝・昼・晩。とめぐってきます。
年齢や性別、立場や役割など、全く関係なしに、皆1日は24時間です。

そんなの分かっていることやわ!と思いますが。。。
時間は今一瞬しか巡ってきません。何ものにも代えれません。
正直、“お金より時間の方が大切だ”と私は思ってます。

しかし、お金がなければ、生活はしていけません。
なので、1人暮らし時代は、いかに時間を有効に使いながら
アルバイトをするか。ということに対して非常に考えてました。
アルバイトは基本、時間を売って労働するわけですから。
そんな生活は昔の話。

結婚、妊娠をすると環境がガラッと変わります。
それが原因かは、分かりませんが、お金に関係なく私以外の他人に私の時間を奪われることが多くなりました。
納得できる時間の使い方だったら問題ないのですが
どうにも、腑に落ちない時間の使い方をする機会が多くなり、気づかないうちにイライラすることがあります。

誰一人同じ価値観を持っている人はいないので
人の時間の使い方を理解するのは不可能

そう。これが原因だ。
当たり前のことだが、すっかり忘れてました。ついつい自己中心的に考えてしまい、勝手にイライラしてました。

時間の価値観は人それぞれ違います。
「仕事よりも遊びの方が大事だ!」と思っている人もいれば
「遊ぶより仕事をとにかくするほうが人生において重要!」と思う人もいるでしょう。
そんな中、他人と私は価値観が違うのだから
どこまで他人の価値観に対して許せるのか?どこからは許せないのか?
分かれ目の線をグレーのままにしていると苦しいです。

例えば、私の場合だと
私は正直、飲み会やご飯会はあまり好きではありません。多分、普段からあまりその場で楽しいと思った経験が乏しいから好きではないのかと思ってます。あとオフラインでお話をするのも得意ではありません。
付き合いで飲み会やご飯会に行くことはあるのですが
2~3時間までなら全然許せます。そのままテンションが皆高かったら長時間は全然平気なのですが、自分を含め、1人でも楽しいと思えない人がいると切り上げようよ。となります。なぜなら、時間がもったいないからです。
それも私の時間の価値観なのですが、人によっては共感できない人もたくさんいるでしょう。

他人の時間に対する価値観は自分とは違う

ほんと、当たり前のことですが、きっと自分中心に考えてしまいます。
だからといって、他人中心で考えすぎるのも、よくないと思います。
なぜなら「私の人生、私の時間」だもの。

私と他人。
皆さんはこの2つを天秤にかけた時、どのぐらいの比率ですか?
他人も誰かによって、比率は全く異なると思います。
どんな比率だろうが、それは皆さん(私)の自由です。

人と生活や仕事をする上で
意識しなければならないこと

「家族と共同生活をする」
「仕事でお客様や同僚と接する」
人は他人と共存しなければ、生きていけません。
しかし、一度は人間関係の悩みでつまづいてしまいます。

私もよくこれでつまづくのですが
これからは
“他人は他人。他人の時間の使い方に関しては人それぞれの価値観だからそっとしておこう”
“また何日か後、何年か後には私も皆もまた、違った時間の価値観も持っているはず”

そんなこんなで時間について考えながら
何かしらの仕事をしていたり
勉強をしていたりとあっという間の1日でした。

今日の晩御飯は
青椒肉絲、鶏胸肉のナゲットなどなど。
青椒肉絲を作っている途中にオイスターソースがないことに気づき
コチュジャンを大量に入れ、ん。青椒肉絲ではなかったけど美味しかったです。

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