ありきたり、行き当たりばったり散歩4日目
久しぶりの散歩
余裕を保つための散歩、なのに天気が良くてもしばらく外に出る気になれなかった
今週末は天気が良いので帰京しようと思ったがそんな気分でもなかったから外へ出ることにした、今日は海まで
一人で歩いているとこんなも周りを気にしなくてはいけないものか
隣に他者がいることで周囲に認められているような気がしていたのか
だあれも見ていないのに本当に嫌、車のランプまで目に見えてくるんだもん
なにかの小説で、
喫煙所で煙草を吸っていると、人は“あの人は煙草を吸っている人”と認識してくれるから安心する
といったようなことが書いてあってひどく共感した記憶がある
横断歩道を渡るときに待ってくれている車に対して走ったほうがいいとか
海を見るためにベンチに座っても近くにお年寄りがいるからやめておこうとか
公園に寄りたいけど帰宅中の小学生が怪訝そうな目で見るからただ目的もなくぐるぐるしているその様が一番不審だったりとか
自分のために歩くことが、街へ出ると社会と共存しなくてはならないので疲れる
今は誰もいない公園を見つけて青いベンチに座ってこの文章を書いている
20分もかけて海を見に行ったのに、怖いトンネルを歌をうたいながらくぐり抜けたのに、一番近い公園が一番安心するんだよな
犬を連れて散歩するおばあちゃんに話しかけたいし、今そばで草刈りしてるおじいちゃんに話しかけられたい、心配されたいな
ほんの何週間前に見たマーブル柄の椿は茶色く萎んでしまって
真っ白いガーベラが下水道に落ちてこちらを向いていた
この2ヶ月間、確かに私は一日一日を日記に記録していたし、今日が何日かも理解していた
なのに振り返ってみるとなぜ5月が終わるのかわからないし、なぜ時が過ぎるのをこんなに焦らなくてはならないのかわからない
街の気が緩みだし、生活が変化したまま元に戻ろうとしている
置いてけぼりな気分
時の流れに身体をまかせてゆけたら楽なんだろ
うけど、社会はそれを許してくれないしどこへ向かったら居場所があるのか今の私にはわからない
そして今日も目の前にいない“誰か”のことを考えて一日を終える
気持ちが沈んでいるな
今日を別の日にするための散歩
おわり
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