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【音楽バトン】Finding My Roots -竹富島を訪れてみたい-|音楽と文:玉盛邦則@石垣島|石垣島の奏で vol.6

大好きで素敵なベーシスト、國分広年さんよりありがたくバトンをお受けしました。

みなさま、はじめまして。
トランペットを演奏しております。「KUNI」こと玉盛邦則です。
どうぞよろしくお願いします。

國分さん、月刊まーる さんとの素敵なご縁に感謝です。
少し長いですがお付き合いください。

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八重山は石垣島へ居を移して、早いもので今年2024年、11年目の年に入りました。

(左)RYUKYUDISKO廣山哲史くんと (右)トランペッター黄 啓傑くんと

思い起こせば大きなターニングポイントは、2012年3月、サポートとして参加した、ハナレグミの「TOUR オアシス」ツアーでした。NHKホールなど全国ホールツアーの最終公演は沖縄市ミュージックタウン音市場。

梅田大阪ホールから移動し翌日のオフ日、一緒にツアーをまわっていたアルトサックス奏者のヤマカミヒトミちゃんのライブ演奏を聴きに、那覇のライブハウス「トップノート」さんを訪れます。

素晴らしいライブのあと、トップノートのオーナーさんよりお誘いいただき打ち上げに参加しました。驚いたことにオーナーさんもトランペット奏者とのこと!話が弾みます。

オーナーさん「お名前は?」
玉盛「はい。プロフィールでは“KUNI”ですが本名は玉盛と言います。」
オーナーさん「タマモリィ?タマモリさんのモリの字はどんな?」
玉盛「はい。泡盛のモリです。」
オーナー「は!あんた八重山じゃないの?竹富でしょ?僕も竹富ですよ。」

テンションが上がります。

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僕の父方の祖父、玉盛栄八は竹富島の生まれです。
僕が1歳のときに他界していますので、記憶はほとんどありません。
祖父・栄八は長男・玉盛栄昌と共に島を出て内地で事業をはじめます。

僕の父は7人兄弟の三男として東京で生まれました。八重山、竹富島のことは話には聞いていたようですが、訪れたことはありませんでした。

時間は流れ、僕が留学先のアメリカより帰国後、祖母は「玉盛の名前はもともと竹富島に由来のあるお名前ですよ」とメッセージを残して他界しました。日本人という事実を超えて自分のルーツを強く意識したタイミングでした。

沖縄、、八重山、竹富島、玉盛。
思えば、東京では親戚以外に玉盛という漢字で同じ玉盛姓を持つ人と出会うことはなく、「なかなか珍しいお名前ですねぇ」と、いたるところで言われたものでした。

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話を戻します。

那覇トップノート・オーナーさん「お互い竹富ですね。竹富は行ったことありますか?ぜひ訪れてください。いま、僕の弟が竹富に住んでいます。素晴らしい島ですから」
僕は即答しました。
玉盛「ありがとうございます。行きます!竹富島に!」

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その年の8月、急遽スケジュールに空きが出ました。
すぐにフライトを確認。奇跡的に1席のみ空きがありました!
宿も奇跡的に「小浜荘」さんだけ一部屋空いていました。
運命的!決定!2日後、素敵な石垣旧空港に降り立ちました。

夕刻の到着だったので竹富島へのフェリーの時間にはギリギリ間に合わず、桟橋通沿いの「八重山荘」さんで一泊。僕の弟の同級生の営む「魚仁」さんで夕食。

オーナーシェフの仁くんと、東京下北沢で会って以来かなり久しぶりの再会!なんと石垣で会えるとは!現在も続く素敵なご縁に感謝。

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翌日、ついに竹富島へ初上陸。
後から知ったのですがこの日は竹富島うつぐみ企画さん主催のサンセットライブ当日でした。チケットは既に売り切れです。残念。

宿の小浜荘さん、その日だけはサンセットライブでお忙しく、夕食は、いんのた(西部落)でその夜唯一営業されていた「ガーデングリルたるりや」さんをご紹介いただきました。

新良幸人さん、下地イサムさんによる「ザ・サキシマミーティング」の心地よい音がコンドイビーチから微かに響いていました。
(新良幸人さん、ザ・サキシマミーティングさんとは後に演奏でご一緒するご縁に恵まれます。)

The SAKISHIMA meetingさんと @竹富島サンセットライブ

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翌日、集落を散歩していると赤瓦のお家から出てきた、笑顔が素敵なお兄さまから話しかけられます。

「なんで竹富来たの?」の問いにまずは自己紹介。
続いて那覇のトップノートのオーナーさんのお話をしたところ、
「あ、それ、オレの兄貴だ!」
なんとまた素敵なタイミングのご縁!

今度はその方がルーツを辿ってきた僕を、テードゥンムニ(竹富の島言葉)を自由自在に操る島の大先輩の方々に紹介してくれました。
おかげさまで、親戚である西表島の玉盛淳亮氏にもご挨拶に行く幸運に恵まれました。

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その後、東京と竹富島を往復すること数回、2013年、自分のルーツに近いところで生活したい想いで移住を決行。
以来、島の方々との数々の素晴らしい出会い・ご縁がスタートしました。

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時を遡り、36年前、1988年。

高校卒業後、ジャズを志したく、奨学金を得てアメリカ、マサチューセッツ州ボストン・バークリー音楽院に音楽の道を進みました。
9月の入学前、どうしてもジャズのメッカを体験したく、暑さ蒸し返す真夏のニューヨークに降り立ちました。

ボストン バークリー音楽院時代

友人のお家に滞在しながら連日連夜、ジャムセッションや一流ジャズミュージシャンたちの演奏に足を運びました。

充実の音楽体験の毎日でしたが、ふとあることに気がつきました。
この国の歴史、伝統、文化、人種、言葉、空気、匂い、日々の生活が基盤となり現在進行形のジャズが脈々と息づいていることに。

ジャズに恋焦がれたとはいえ、東京で日本語を話して生活してきた生粋の日本人の僕にこの音が目指せるのだろうか。
日本にいた頃にはまったく気がつかなかったシンプルな事実。衝撃でした。

1982年の来日以来とても親しくしていただいていたトランペッター、ウィントン・マルサリス氏に会いに行った時のこと。
真剣な眼差しで「僕たちはアメリカ黒人として自分たちの伝統と文化に立脚したジャズの歴史と理解、再興と探究の道を選んでいる。さらにそれを発展
させたいと真剣にこの道を進んでいる。でも今やジャズは世界中で愛され演奏されている。この世の中にKUNIはたった一人でしょ。KUNIは自分の伝統と文化、自分の育ったバックグラウンドを使って自分の個性を活かした音をジャズで表現していいんじゃないかな」

そして続けました。

「でもジャズの歴史と発展の理解、それと楽器の練習はシリアスにね」と、最後にウィンク。
僕の迷いはすっと消えました。
この日以来常に、心と頭に自分のルーツのことがあります。

1983年 Wynton Marsalis氏と

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大変ありがたいことに、レジェンド大工哲弘氏、沖縄を代表するアーティスト新良幸人氏と共演・交流のご縁にも恵まれました。

また、竹富島の種子取祭では音響担当で関わるご縁に恵まれました。
先の「ガーデングリルたるりや」さんにはいつもお世話になっています。心のホームです。
伝統と文化に対する尊敬と敬意の念がたくさんの素晴らしいご縁を繋いでくれているのだと思います。本当にありがたいです。

竹富島、石垣島をはじめとする八重山、沖縄でのたくさんの素晴らしいご縁とご先祖さまに心から感謝です。

今後もどうぞよろしくお願いいたします。

ベルギーにて

玉盛さんの音楽たち

玉盛さんの所属バンド「SLY MONGOOSE」

他、玉盛さん参加楽曲

HI-FLY


wild flower


Yukihiro Fukutomi


Magenta Rain



この記事を書いた人

玉盛邦則  trumpeter | composer | producer | DJ
国内外で根強いファンを持つインストバンド、スライマングースのトランペッター。
1988 年バークリー音楽院(ボストン)へ奨学生として入学。帰国後、個人のソロ活動の他、ゲストソロイストやツアーサポートメンバーとしてハナレグミ、m-flo、柳ジョージ、ロイ・デイビス Jr. 等国内外の様々なアーティストと共演。現在は自身のルーツでもある八重山に居を移し新たな音 楽性を開拓中。ジャズをベースにジャンルにとらわれない独自の世界観を発信している。


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