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うつ病になって思ったこと

はじめまして。
京都市出身、杉並区在住のmaruと申します。
2022年の春で社会人2年目となりましたが、
2月末から適応障害→うつ病となり、
今はお仕事から離れてゆっくりと過ごしています。

帰省中、ずっとそばにいてくれた猫



大好きだった銭湯や読書、食事、映画鑑賞などに対する関心が失われてしまった3月〜5月初旬。
ただひたすらにベッドの中で、浅い睡眠とぼーっとした覚醒を繰り返す日々の中、この世から消えてしまいたいいと感じていました。ただその一方で、だれかに助けてほしいと感じながらも、唯一の救いが死であるのではと考え、まるで死を希望のように感じていました。

最近は少し状態も良くなり、日中起きている時間も増え、窓辺で日向ぼっこをしたり、調子がいい日は近所をお散歩したり、大好きな銭湯でゆっくりお風呂を楽しむこともできるようになりました。
死ななくてよかった。

日向ぼっこのおとも


社会との繋がりがほとんどなくなってしまった間、支えてくれた家族、恋人、友だち、銭湯でいつも声をかけてくれた方たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

実はうつ病になったのは人生で2回目です。
1度目は18歳〜20歳の頃で、この時はかなりつらい日々が続きました。家族からは病気への理解が得られず、父からは「うつ病は甘えだ」「根性が足りない」などの言葉をかけられ、「自分の努力不足が原因なんだ」「もっと頑張らなくては」と常に焦っていました。
当時は大学に入学したばかりで、周りの友達は楽しそうなスクールライフを楽しむ中、苦しみから逃れるためにひたすら眠り続けた日々を思い返すと、今でも悲しいような寂しいような気持ちになります。

しかし今回は、前回の経験からか父はとても優しく見守ってくれています。「何があってもどんな状況でも必ずmaruを守ります。見捨てることはもう二度とありません。それだけは覚えておいてね」「雨の日はつらくない?ゆっくり過ごしてね」と。

わたしが激務の父の体調を労った時には「maruは本当に優しい娘だね」と連絡があり、それに対して「ちょっとメンタル弱いけどね笑」と返すと「繊細なだけだよ」と優しく声をかけてくれました。
これまでのことを思うとこんなにうれしいことはないと思います。いつか社会復帰できたら、与えてくれた愛をたくさん伝えられたらいいな。きっと顔を出すだけで喜んでくれるけど、一緒に旅行に行ったりもしたいな。 

お酒に弱い父、デザートを前に眠る


恋人はうつ病になる前と変わらず接してくれています。
過度に気を遣われるのもつらいので、有難いです。
身近にメンタルを患った人がいないのに、偏見もなく、優しく支えてくれています。恋人と過ごす時間は、とても穏やかで優しい気持ちになります。
つらい時間:穏やかな時間=8:2だとしたら、
穏やかな2のうちの1.5は彼と過ごしている時間です。

うつ病になってからは、遠くにデートへ行ったり、アクティブなことはできなくなってしまったけれど、近くの古民家カフェで静かにお茶をしたり、その帰りに近所の銭湯へ行って、お風呂上がりに住宅街をお散歩したり、そんな日常を一緒に過ごしてくれています。
いつも穏やかな愛をありがとう、大好きだよ。

猫と全力で遊んでくれる優しい人


お仕事は休職するまでの11カ月だけだけど、精一杯頑張りました。11月頃から心身に異変を感じ、そこから4ヶ月続けられたのも、話を聞いてくれたり側にいてくれた人たちのおかげです。
みんなみんなありがとう。

これからどうなるのかはまだ分からないけど、
穏やかに心地よく、好きなものや好きな人に囲まれて、愛のある暮らしを送れるようになれればいいな。
そのためにはどうしたらいいのか、まだ分からないけど、絶対に幸せになるぞ!あきらめないよ。

こんな暗いお話を読んでくれてありがとうございます。
少しずつ明るくなれるよう見守ってくださるとうれしいです。

約1年ぶりとなりましたが、stand.fmさんで少しお話をしてみたのでよろしければぜひ聴いてみてください。

みなさんにとって幸せな1日になりますように。
おやすみなさい🌙

maru


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