フィンセント・ファン・ゴッホ
美術館に行ってきました。
美術館巡りは趣味の一つです。
しかし
精神科に通院するようになり、
なんだかんだで5年以上
美術館から遠のいてました。
田舎の美術館ですが
そこそこ名画があります。
ルノアールの「和泉のそばの少女」
エドガー・ドガの「舞台の袖の踊り子」
クロード・モネの
「ヴェトゥイユ水びたしの草原」
私の大好きな
印象派の有名画家の作品が沢山あります。
今回
私の目を惹きつけたのは
フィンセント・ファン・ゴッホの
作品
「サン=レミの道」です。
たまたま
ゴッホの作品がある館内で、
私は1人きりになりました。
1人きりで、
精神病を病み狂気に駆られた時期に描かれた
ゴッホの作品
「サン=レミの道」に見入り、
狂気の世界に入り込んでしまった
ゴッホを想いました。
ゴッホが入院した精神科病院が
サンレミにある病院。
この道は
まさに
精神を病んだゴッホが何回も通り
眺めた景色なのです。
サン=レミの道
オランダに生まれたゴッホ。
独学で絵の勉強をしました。
最初の頃は暗い色調の絵を好んでましたが、
パリで他の印象派の画家や日本の浮世絵の強い影響を受け、
明るい色調の絵を描くようになりました。
南仏アルルに移り住んだ頃の作品
「ひまわり」シリーズは有名です。
私も独身の頃、
上野の美術館で行列を並び観ました。
その後、
ゴーギャンと共同生活を始めた頃から、
ゴッホは精神を病み始めました。
現代の精神科医は
ゴッホを
おそらく
「双極性障害」
もしくは
「境界性人格障害」だと推測してます。
この頃、
ゴッホ独自の表現法として
「うねり」が始まります。
素人の私が見ても、
そこに「狂気」を感じることができます。
「うねり」と呼ばれる独自の表現法で描かれた作品
「星月夜」
この頃
ゴッホは有名な「耳切り事件」を
起こします。
カミソリで自分の耳を全部そぎ落とし、
それを馴染みの娼婦に手渡しに行きました。
また
この頃、
何度も精神病の発作を起こしてたようです。
事件後ゴッホは精神科病院に収容されます。
その後退院して自宅に戻りましたが、
絵の具を飲み込もうとしたり、
不安発作を何度も引き起こし、
周辺住民から
「頭のおかしい画家は監禁すべき」
という
嘆願により、
再び精神科病院に収容されます。
結局
ゴッホはピストル自殺してしまいました。
ゴッホが唯一心を許して頼っていたのが、
弟テオ。
テオは病弱でした。
その後
弟テオも精神的に不安定となり、
結局ゴッホの死後半年後に、
精神病院で亡くなりました。
ちなみに
ゴッホとテオの両親。
父親は真面目な牧師でしたが、
母親の家系に神経症の遺伝をもっており、
母親もまた精神病を患ってました。
ゴッホも幼い頃から、
友達とすぐ諍いを起こし、
突如として怒りを爆発させる子供でした。
現代なら、
発達障害児として向精神薬を飲まされてたでしょう。
そしたら、
ゴッホの芸術はおそらく生まれませんでしたね。
「双極性障害」って、
私の中では
ゴッホでありヴィヴィアンリーです。
とても激しい精神病。
周りの住民がおかしい!
病院に収容させてくれ!
と
騒ぐレベル。
(現代の双極性障害2型なんて、
ビョーキじゃない!)
でも
フィンセント・ファン・ゴッホは
精神が病んでたからこそ、
狂気にとりつかれたからこそ、
後世に残る名画が産まれたのです。
ゴッホの絵画は、
ゴッホ生存中は一枚しか売れませんでした。
「ひまわり」の絵画を、
日本人が58億円で落札したのは
記憶にまだ新しいです。
フィンセント・ファン・ゴッホ
精神病でピストル自殺。
享年37歳
ゴッホと弟のテオの死から23年後、
亡きテオの妻が、
テオの墓をゴッホの横に移し、
「永遠に一緒にいられるよう」に
取り計らいました。
精神病発作を起こす兄を心配し、
医師を探した弟テオ。
最後までゴッホが心を許して頼ったのは
弟テオだったそうです。
美術館の後は
カフェタイム。
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