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📖『転職ばっかりうまくなる』📖

就職率を非常に重要視する大学などでは、学生たちに就職活動の方法を積極的に教えたり、スムーズに就職活動ができるような何らかのサポートがあったり、するのだろうか。

私が通っていた大学は、もちろん多くの卒業生が企業に、しかも結構優秀な成績でないと入れなような名の知れた企業にじゃんじゃん就職していくような大学だったはずだ。
しかし私はといえば、就職活動というものがいつ始まって、どんな風に展開されていくのか、全く知らないまま大学院の修士まで修了し、大学院の博士を中退し、合計で9年くらいは大学にいたような気がするのだが、大学生活の次に来る一般的な社会人生活って何でしょうかね、と思いながらずっと進んできてしまった。
それは芸術という特殊ジャンルの音楽科で、ピアノの練習をするか演奏以外の講義のための勉強をするかアルバイトするかの3つで24時間が埋まってしまうような生活だったからなのか、極端に本人の就職への意欲が欠けていたためなのか、原因はわからない。そういえば同級生にはいつの間にか音楽とは無関係の大手銀行のシステムエンジニアに就職した子達も数人いたような気がするので、やはり私個人の問題が大きいのかもしれない。
身近な友人たちは音楽科の子達以外には、実習の過酷さや卒業に向けての医師国家試験の話題は出るものの就活の話題にはなりようもない人たちや、研究室でデータを取って農作物や宇宙の研究をして論文を書き、そのままそれが仕事になっていくような人たちしかおらず、私の大学生活に「就活」という二文字が浮かび上がるタイミングが全くなかった。



『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)
ひらいめぐみさんのエッセイを読んで、私は自分の就活の(正式にはそんなものはしたことがないのだが)思い出が蘇った。
世の大学生たちはいつ、どうやって、就活という行動を、いつの間に、しているのだ。

というよりも、最初から逃げていた。就活ガイダンスみたいなものがあったかなかったかも記憶になく、どうやってみんなが就活をしているのか、何社も面接に行って、それぞれの会社に合わせて志望動機を話したりするのがどういうことなのかも、よくわからなかった。

『就職ばっかりうまくなる』ひらいめぐみ著(百万年書房)pp.8-9

そう!ほんと、そう!そうなんだよ!それそれ!

この本を読み始めてたった数ページで激しく共感してしまった私は、大学時代の就活というものについて、私と同じように感じていた人がこの世にいたのだということに少しほっとした。よかった、私だけが変な状態ではなかったのだ。

しかし、ひらいめぐみさんはその後、就職をする。
本のタイトルからも想像できるように、転職に転職を繰り返し、この本に出てくるだけでも転職は6回。すごいエネルギーである。

おそらく今60代以上の人たちの世代は、就職したら一生その会社で頑張って我慢して勤め上げねばならない、という強い信念を持っている人が多い世代ではなかろうか。
極端なところでは無理をすることや仕事で体を壊すことは一種の勲章のようにも捉えられ、かつてあった「24時間闘えますか」というフレーズが流行った某飲料CMが存在していたことからもわかるように、身を粉にして起業のために働くことがカッコいい社会人なんだという風潮があったように思う。もしくは企業戦士たちにそうであって欲しいという、大きな何かからの洗脳だったのかもしれない。
そしてそういう世代の人たちと、今20代や30代の子達とは、おそらく全く感覚が違うのだと思う。当然である。時代はどんどん猛烈なスピードで変化している。そろそろ定年を迎えるであろう企業戦士たちが就職したころ、生成AIなんて存在しなかったし、まさかその技術を使った文章で文学賞を受賞する時代が来るなんて想像もできなかっただろう。
時代や社会が変化しても同じ感覚で労働しろと言う方に無理があるのだ。

そして気をつけなければならないのは、60代以上の世代でも今の20代の感覚で動ける人もいれば、10代20代なのに60代以上の感覚がみっちり詰まっている人も実はいるということだ。年齢で思い込んではいけない。確立的に多いか少ないか、という話なだけであって、あくまでも年齢は数値であり、参考程度の資料でしかない。

ひらいさんは多くの職場を経験しながら、さまざまなタイプの人と接してきた経験がある。仕事を探して新しく始めることも大変なエネルギーを要するし、その仕事をできる限りスムーズにやめられるように画策することはその数倍の精神的肉体的負荷がかかるものだろう。
そして最終的にフリーランスを選んだひらいさんの「肩書き」についての考えは、ここ数年私が悩んでいたことへの一つの答えのようにも感じられた。

「肩書き」はあれば簡単だし、相手に肩書きを求められた時には、なるべく多くの人との共通言語の範囲内にある肩書きに、どうにか自分を当てはめて伝えようとする。けれどやっぱり、なんか違うんだよな、と後から少しだけモヤモヤすることもあるのだ。

私のことをよく見ていてくれる人たちは、「麻里さんって、何屋なんですかね」というし、そう言ってくれる時点で私が「うーん」と困っても「そうですよね、なんと説明していいのやら」と一緒に納得してくれる。
いつも思っていたのは「私は、私をやっている」ということ。
でもそれを第三者にうまく説明するのは難しい。

ひらいさんは、この本の中で

わかりやすい言葉は、時に必要である。 ー(中略)ー また、初対面の人に「なんの仕事をしているんですか?」と聞かれたときに、まわりくどく説明するよりも「ライターです」と一言で答えた方が、その場は穏やかに収まるだろう。

『転職ばっかりうまくなる』ひらいめぐみ著(百万年書房)p.205


と述べている。
まさに私も同じような事態に直面したことが何度もある。

「転職する」ということは、言わば「これまでの肩書きを捨てる」行為だ。

『転職ばっかりうまくなる』ひらいめぐみ著(百万年書房)p.206


ひょっとすると、いくつもの肩書きを捨てることで、自分がなにをしても自分であることを、たしかめたかったのかもしれない。

『転職ばっかりうまくなる』ひらいめぐみ著(百万年書房)p.206


ここまで読んだときにこの一年くらいで私が何を自分に課していたのか、ようやく理解できたような気がした。1年ちょっと前までの私は「私は、私をやっている」と言いながらも、安易な肩書きに逃げ、大きな組織に守ってもらい、その企業の名前を言えば大体の人が何者かすんなり理解してくれ、接し方まで180度変わるという状況だった。それを今一度、本当に自分は自分をやれているのか、確認したかったし、もうそろそろ真剣に確認しないと人生のラストまでに何かが間に合わなくなりますよっていうことだったのかもしれない。

一年前の今頃よりは、自分を信じられるようになってきた。
今思えば、去年の1月にタイのチェンマイで私と話をしてくれた人生の先輩たち(ピーたち)は、私のそんな状況はとうにお見通しであり、私がどこに向かっていこうとしているのかも、この先何に向きあおうとしているのかも。全て分かっていたのだと思う。けれど彼らはあえて、何かを強く言うことはなかった。それは自分で辿り着かねばならない場所だと彼らはよく知っていたからこそ、安心してそのまま進めばいいよと私を温かく見守って背中を押してくれていたのだ。

ひらいさんの今回の本『転職ばっかりうまくなる』は、もちろん就職と転職の話ではあるのだが、実は自分自身にとことん向き合うにはどうしたらいいのか、ひらいさんが正直に自分と向き合った軌跡の話だった。

だからうまく転職するための方法は書かれていないし、たくさん転職したらどうなるのかというメリットやデメリットを学ぶための本でもない。

1人の人が、どう「在る」べきか、どう「在り」たいかを、必死に探した時間を、6つの職種という章立てを借りながら、人生を修行していった話のように私には感じられた。

そして思いがけず今回この本を手にすることで、好きな作家さんがまた1人増えた。
ひらいさんがこの先に出される文章も今から楽しみだ。

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