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日本人の幸福感度が低いのは、圧倒的な消費社会がゆえ?フランスに住んで思うこと

こんにちは。フランス在住フリーライター/幼児教育者のMarikoです。このページでは、フリーランスライター/幼児教育者の私が、フランス移住3年目にして思うこと・感じることを綴っています。本日のテーマは「幸福の感度」。フランスに来てみたら、「幸せ〜」と感じることが増えたよ、というお話です。

幸福度が低い=自分に不足感を感じること

「幸福」と一言にいってもその定義を語るのは難しいものですが、ここでは「最低限の衣食住、そして教育は享受できる状況にある」ことを前提とします。いわゆる「普通の暮らし」がある程度保障された環境での「幸福度」ということですね。

食べるものはある。寝る場所にも困らない。欲しいものもある程度手に入る。

その上で、「何となく満たされないなぁ」「なんだか毎日不平不満を感じる」と、「自分が自分としてその生活を送っていることに、どこか空虚感や不足感を感じる」というような状態を「幸福度が低い」と呼ぶとすると、昨今の日本では、この空虚感や不足感を抱えた人が異常に多いなと感じることがままあります。(そして私もばっちりそのひとりでした。)

物資やサービスは飽和状態というほどに充実しているはずなのに、なぜなのでしょうか。

東京でつねに感じていた不足感

いち日本人女性として、20〜30代の10年間を東京で会社員として過ごした私。東京に暮らしていたころは、常にどこかで「これじゃ足りない」「何か満たされない」という思いがありました。

「新しい靴がほしい」「コンビニの新商品を試したい」「話題のレストランへ行きたい」「あのコスメが欲しい」「話題の展示を観に行きたい」「あの本を読まなきゃ」

SNSに上がる誰かの投稿と自分の日常を見比べては、「私ももっと日々を充実させなければ」「みんなはキラキラした生活を送っているのに、なぜ私は週末の夜、何もせず家にいるのだろう」などと焦燥感に駆られていたのです。今思うと、これはとても「幸福度が高い」と呼べる状態ではありません。

日本はとてつもない消費社会

この焦燥感と表裏一体になっていたのは、まず日本がとてつもない消費社会だという現実です。

私が感じていた不足感や焦燥感は、「新商品を買わなければ」「新しい情報についていかなければ」という、ある意味で社会的な強迫観念に近いもの。そこには、毎日のようにアップデートされ続ける広告や情報、それに飛びつき購買意欲を拡散する消費者の存在があります。

東京という都市構造もまた、消費社会をベースにうまく作られているなぁと感じます。駅から家までの帰路には、駅ビルに始まり、数々のコンビニにドラッグストア、書店が並びます。「つい」と足を止めては、「なんとなく必要かも」とお金を使う。お金を出して何かを体験・購買しなければ取り残されてしまう、そんな恐怖心のようなものが生まれやすい構造になっているのです。むしろ、そうした恐怖心を作り上げることで消費者がサービスを購買するという流れになっているのではと思うのです。

フランスに来て一気に消えた不足感や焦燥感

私が渡仏したのはおよそ3年前になりますが、フランスに来てからというもの、こうした不足感や焦燥感、満たされない感覚というものは一気になくなりました。(といっても、そこにはさまざまな暮らしの変化があるので、一概に「日本が、フランスが」と語れるものではありませんが。)

「なぜだろう」と考えた時、まず気がついたのは、「これがほしい」「あれを試したい」という、ものやサービスに対する欲求が大きく減ったということでした。買うものといえば生活に必要なもの。コンビニや駅ビルのような場所もほとんどありませんし、夜や日曜はほとんどのお店が閉まってしまうため、ふらりと足を運んで「なんとなく買う」という行動もほぼなくなりました。

さらに、フランスでは「新商品」と呼ばれるものが圧倒的に少ないということ。「季節限定品」「期間限定品」もほとんど見かけません。あったとしても、それを大々的に売り出す広告自体が少ないのです。「広告が少ない=購買意欲を掻き立てられる機会が減る」ので、何かを手に入れたいという焦りや不安を感じることがありません。

購買者のリテラシー

そこには購買者としてのリテラシーの違いも大きく紐づいています。よく「フランスでは広告費用にお金をかけても仕方がない。購買者が広告の影響を受けないから」なんていう話を聞きます。広告を出したところでわかりやすく「あ!あれ欲しい!」と動いてくれる層(つまり、実際に購買に掻き立てられる層)が少ないということです。

これは私の周りのフランス人たちを見ていても強く感じること。フランスでは、「新しい、珍しい」ことに価値を見出す人は、日本と比べると圧倒的に少数派です。フランスの人々にとって本当に大切なのは「新商品」や「限定品」という枕詞ではなく、「自分が気にいるかどうか」ということなのです。

この背景にあるのは、これまでの国の成り立ちや文化を含み、今現在、さまざまな人種や価値観を持った人が集まる国として機能しているということがあるでしょう。フランス社会はどこまでも個人主義。「自分は自分、他人は他人」という考えが社会全体のベースにあるので、「他者が持っているもの、体験したこと」に対し、うらやましい、欲しいという思いを抱く人が少ないのですね。

まとめ

今回は、消費社会という観点から、私が感じる幸福度の変化についてまとめてみました。フランスに来て劇的に自分の幸福の感度が高まったというより、必要のないネガティブな思いを抱きにくくなった。そういう環境があった、ということだなぁと思っています。

最後まで読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございます。まだ始めたばかりのNOTEですが、どんどん更新していきたいと思いますので、よろしければフォローをお願いします☺️

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