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大事なことを思い出させてくれる子猫の「アタシ」:「ダライ・ラマの猫」
「ダライ・ラマの猫」は本のタイトルの通り、ダライ・ラマと暮らす子猫の物語。難しいと思われがちな仏教の教えが子猫の「アタシ」の視点を通してすっと入ってきます。
「ダライ・ラマの猫」はおすすめしたい仏教入門書!
ダライ・ラマといえば、テレビのニュースなどで一度は聞いたことのある名前。チベット仏教で最上位クラスに位置し、チベットとチベット人民の象徴たる地位にある方のことをいいます。
今回のダライ・ラマと子猫との物語はフィクションです。
本書を通してチベット仏教の教えを子猫の視点でコミカルに楽しく学ぶことができ、仏教に興味のない方でも子猫が仏教の教えをとおして成長していく様子は物語としても十分に楽しめる内容となっています。
また、物語はダライ・ラマと暮らす子猫の「アタシ」の一人称を使った視点から描かれていますので、ちょっと大人ぶって気まぐれな猫らしい表現が満載です。
子猫の「アタシ」が自分の身の回りに起きたことや、自分の行動、周りの人の行動を通して認識し、仏教の教えに納得しながら自分も周りの人々も変化していく様子には私にとっても多くの気づきが含まれている内容でした。
「ダライ・ラマの猫」あらすじ
「ダライ・ラマの猫」は、ある日ダライ・ラマが捨てられようとしてボロボロになった子猫を街中で見つけて助けるところから始まります。
子猫はダライ・ラマの住居兼オフィスであるチベット仏教の聖地ダラムマサラの中のジョカンという建物で暮らすのですが、好奇心旺盛な子猫「アタシ」が大人しくしているはずはありません。
周りの僧侶や近所のレストランのオーナー、ダライ・ラマを訪ねてくる人々とも関りながら、ダライ・ラマの教えを一番近くで聞くことで子猫は精神的にも成長していきます。
そして最後には子猫の「アタシ」もすっかり大人になって、周りの人々もそれぞれに仏教の教えから道を切り開いていくエピローグ。
「ダライ・ラマの猫」には子猫の「アタシ」の視点を通して、ダライ・ラマ、そして仏教の教えが随所にちりばめられています。
読んだ後は心があたたかく、そして安心に満ちたりたような気持ちになれました。
大事なのは、物事の見方を変えること
「ダライ・ラマの猫」は各章ごとに猫の「アタシ」にとっての成長のポイントが描かれていると同時に、1つずつ仏教の大事な教えを学べます。
その中でも一番印象に残ったのは、第7章です。
第7章 前世が猫であった読者のみなさんへー無常ということ
この章では、子猫の「アタシ」が猫は習慣を愛する生き物で変化を嫌う、それは人間も同じという切り出しから始まり、変化が起きてパニックになったその時とその後の心情の変化が描かれています。
住んでいる建物であるジョカンの改装工事のために僧侶の家に預けられた「アタシ」は、その自分の周りに起きた変化が恐ろしくて、3日間も羽毛布団の下で眠って過ごしてしまいます。
そして、その後に預けられた僧侶の家で運命の出会いを果たすのですが、時すでに遅し。
ジョカンの工事が終わり、僧侶の家を後にしなければならない「アタシ」は、3日も羽毛布団の中にいたことを「愚かな自己憐憫でチャンスを逃した」と後悔します。
ジョカンに戻った「アタシ」はこの出来事での学びを、ダライ・ラマと訪問客の中国の故事の「塞翁が馬」に例えた対話によって知ることになります。
人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ。
昔、中国の北辺の塞上(国境の砦(とりで))に住む一老翁の飼っていた馬が、ある日のこと胡(こ)の国に逃げたが、数か月後、胡の名馬を連れて帰ってきた。ついで翁の息子がその馬から落ちて足を折ったが、そのために息子は、のちに起こった胡人との戦いにも壮丁としての徴発を免れた、と伝える『淮南子(えなんじ)』「人間(じんかん)訓」の故事による。
そして、ダライ・ラマはこう語りかけました。
「遅かれ、早かれ変化はやってくる、ということを私たちは忘れがちです。大事なのは物事の見方を変えることです。」
この言葉を聞いた「アタシ」は、ジョカンの工事という環境の変化に自分の心がネガティブに反応してしまっていたことに改めて気づきます。
ですが、過ぎてしまったことも悔やんでも仕方ありません。
運命的な出会いのチャンスを逃してしまったことも、きっとまた意味があるのだと「アタシ」は思いなおし、「先のことは分からないわ、どうなるか見てみましょう」と気を取り直します。
私も仕事やプライベートでも失敗や「ああしておけばよかった」という後悔はもちろんあります。
でも、先のことは分からない、物語の中でもこの後の「アタシ」にも思いがけない運命が待っていました。
「先のことは分からないわ、どうなるか見てみましょう」
この子猫の「アタシ」の言葉は、これからも変化していく私にずっと勇気をくれそうです。
ダライ・ラマの猫と私の猫
「ダライ・ラマの猫」はうちの猫ムルクに少し似ています。
表紙のイラストの通り、美しいブルーの瞳はお揃いですね。
さらに、子猫の「アタシ」は大食漢でおしゃま、「触らせてあげるわよ」と人間に媚びているようで媚びていない態度はうちのムルクにそっくり。
ムルクはいつも乱暴者でおもちゃはすぐに壊すし、気に入らないご飯も口を付けません。気に入らないご飯は食べない癖に、夜中にワーンワーンと鳴いて別のご飯をくれと催促もします。
でも、夜に電気を消す前はキャットタワーの上にいたのに、いつの間にか朝になっていると足元にくっついていたり、私が仕事で辛そうだとわざとかは分かりませんが変なジャンプをして笑わせてくれたりします。
ムルクと出会えたこともきっと何かのご縁です。
そんなことを考えていると、ムルクと出会えたことや自分の周りのことって奇跡の連続で、嬉しくてちょっぴり涙が出てきます。
そんなやさしくて、安心して、しあわせな気持ちになれる
「ダライ・ラマの猫」は私にとって大事な一冊になりました。
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