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非正規移民の訃報が保健大臣に届くまで、そしてこれから

前回の記事で、新型コロナウイルス感染拡大の中、イギリスの「Hostile Environment Policy(敵対的環境政策)」という移民政策の結果、非正規移民がいかに困難な状況に追い込まれているかについて書きました。その記事を書くきっかけになった非正規移民Elvis(仮名)の訃報は、その後、市民から国会議員を通じてマット・ハンコック保健大臣へ届けられました。この出来事は、イギリス国内の非正規移民やその支援者たちに、前に小さく一歩進む勇気を与えてくれました。このパンデミック下において非正規移民のおかれた現状が政治の中枢へ伝えられることになった経緯を、ここに記しておきたいと思います。この記事では私が実際に関わり、事実として記録できることに限って書くこととしますが、私の知らない他の多くの方々の努力もあって実現した出来事だということを添えておきます。前回記事「ウイルスに対して私たちは平等ではない:非正規移民に起きていること」はこちらから。

- Open Letter -

4月8日にElvisが亡くなった後、仮名を使い彼のケースを公表したいという遺族の勇敢な意思を受けて、Kanlungan Filipino Consortiumというフィリピン系NGOのネットワーク組織が代表団体となり、国会への公開状を発表した。Elvisというフィリピン出身の非正規移民男性が、新型コロナウイルスへの感染が強く疑われるにも関わらず、当局による摘発や高額な医療費の請求を恐れて、国民保健サービス(NHS)に助けを求めることができずに自宅で亡くなったこと、彼の妻もまた似たような症状で体調を崩しているが同じ理由から医療を受けようとしていないことを記した。彼らのような非正規移民の中には、人身取引の被害者であったり、制度の変更により資格を失うなどして、本人の意思に反して滞在許可を有していない人も多く含まれ、そして、彼らは現在「Key Workers」と呼ばれているケアワークや清掃業、食品販売などを担ってきた人々であるということを示し、このような人々が当局に対する恐怖により医療や社会保障にアクセスできず命を落とすというようなことは起きてはならないと訴えた。このような状況を阻止するために、新型コロナウイルス感染が拡大する中、非正規、法的手続き中、もしくは困窮している(にも関わらず社会保障の対象外となっている)移民に対して、公共医療や社会保障の対象となる滞在許可を与えることを求めるという内容である。

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- 国会議員への陳情とメディア-

イギリスでは、政治に訴えるキャンペーン手段のひとつとして、国会議員に手紙(メール)を書くという、一見地味な手段が日常的に使われる。この公開状をウェブ上で発表したあと、すぐに私たちは国会議員への陳情に着手した。とは言え、EU離脱を問う2016年の国民投票に代表されるように、移民問題はイギリスにおける選挙の最も重要な争点のひとつであり、政治家はこの問題に対するスタンスをなかなか変えることはない。そこでまずは、移民の権利擁護に対して協力的な政治家からあたってゆく。この数日前に、NHSで働く外国人とその家族に対して永住権を与えることを内務大臣へ求める書簡に60名を超える国会議員が署名したとの報道があったので、まずはこれらの国会議員ひとりひとりに宛てて、公開状と同じ内容の陳情を団体としてメールで送る。

国会のHPに貴族院(上院)と庶民院(下院)議員のディレクトリ―があり、電話やメールアドレスなどの連絡先、ウェブサイト、ツイッターやフェイスブックといったSNSのアドレスなどが書いてある。それぞれの議員をどう(どの敬称で)呼ぶべきかも書いてあり、議員によっては敬称なしで呼んでほしい、Mr. Ms. Sir.などを使ってほしいなどの他に、フルネームの場合や、敬称+ファミリーネームなど様々な希望があるので、それに従ってメールの宛名を書く。

組織としての陳情よりも効果的なのが選挙区の住民個人からの陳情だ。そこで、次のステップは関連団体の同僚、ボランティアや友人たちに広く声をかけ、自分たちの選挙区の国会議員に対してメールを出してもらう。選挙権の有無は関係ない。自分の名前と住所(これがかなり重要)を記入すればすぐ送ることができるように、メールのテンプレートを作成した。もちろん、自分なりにアレンジして、どうしてこの事が今重要なのか、それが自分の暮らす地域にとってどういう意味があるのかとか書くことができれば尚良いが、それは個々人に任せる。

 
国会議員への陳情と並行して、メディアを通じて広く世間に訴えていく。ロンドンにあるMigrant VoiceというNGOは、移民問題に関するメディア報道が専門家による議論ばかりで構成されるのではなく、当事者の声がもっと取り入れられるよう様々な取り組みを行っている。その活動のひとつに、移民コミュニティーで起きていることを主要メディアに届けるため、当事者の自助グループや活動家を対象に、メディアへの取材依頼やインタビュー対応に関するトレーニングや支援を行っている。このMigrant Voiceに相談し、Elvisの件を事例に非正規移民のおかれた現状を主要メディアに取り上げてもらうための取材依頼に関してアドバイスをもらった。まだどのメディアも本件を取り上げていないこと、遺族は直接取材を受けることを拒否しているが、支援者へのインタビューは可能であることなどを考慮したうえで、移民問題に精通しており、非正規移民の死というセンシティブな問題も丁寧に扱ってくれると期待できるインディペンデント紙のジャーナリストを紹介してもらった。このジャーナリストに取材をお願いしたところ、すぐに電話をくれて、Kanlunganの支援者への取材が実現した。


なんと偶然にもこの取材の日(17日)、地道に国会議員へ送った陳情がある形になって現れた。3名の労働党女性議員の呼びかけにより、60名の超党派議員が共同でマット・ハンコック保健大臣へ書簡を提出したとの知らせが届いた。Elvisの事例を取り上げたこの書簡は次のような内容だった。

新型コロナウイルス感染症の検査と治療は法的地位に関わらず誰でも医療費免除の対象であるとの情報は、移民コミュニティーには広く伝わっておらず、長年にわたる「敵対的環境政策」によりこれらのコミュニティーはNHSへのアクセスは高額な医療費請求、収容や強制送還に繋がる恐れがあるという恐怖を植え付けられている。WHOやUNHCRなどの国際機関、イギリスの市民社会が求めているように、パンデミックの状況下において、誰もが自由にそして安全に医療にアクセスできる環境を整えることを保健大臣に求める。具体的には、①移民に対するすべてのNHS医療費請求を停止すること、②内務省や移民法執行を担うその他の機関に対するNHSからの情報共有義務を停止すること、③医療へアクセスすることが安全であるということ、ルールの変更について、NHSスタッフと市民が充分認識するように情報拡散のキャンペーンを行うこと、この3つの施策の実行を求める。

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この日の夕方、インディペンデント紙は、この超党派議員による保健大臣への書簡とElvisの事例について下の記事にし、大きく取り上げてくれた。

翌日にはガーディアン紙の報道も続いた。この記事によると、政府は「新型コロナウイルス感染症はすでに医療費免除対象のリストに追加されており、検査と治療は外国人も含め誰もが無料で受けることができる。無料だということは、NHSは在留資格の確認する必要はなく、それは明確に伝えられている。コロナウイルス感染症の治療費は無料だという情報を約40言語で近く発信する予定だ」と回答している。

しかし、新型コロナウイルスを疑って診察を受けたものの、ほかの病気だった場合はどうなるのかは不明なままであるし、新型コロナウイルスが重症化しやすい基礎疾患に関しては何の配慮もない。この記事を書いている5月4日時点で、約40言語での情報発信はまだなされていないようだ。

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‐これから‐

アメリカのシンクタンクであるピュー研究所は、イギリスには80万人から120万人の非正規移民が滞在していると試算している。Elvisの死は、たった一人のPersonal Storyが多くの人の暮らしを変え得る力を持っているということを改めて思い出させてくれる。この出来事が、個人や、市民社会、政治家を動かし、それを重く受け止めた60人の国会議員が、保健大臣へ要望を届けてくれたことは、移民コミュニティーにとって非常に心強い経験になった。同時に、選挙で選ばれる庶民院議員650人中の60人という数、最大政党の保守党の議員は1人も署名しなかったという事実に、この問題の難しさや高い高い壁を感じている。

非正規移民の問題は、「違法」というイメージが先行してしまいがちで、市民からの同情の念や支援もなかなか受けにくい。「非正規移民」と言われる人たちの中には、人身取引や現代奴隷制の被害者、制度のひずみにより法的地位を失った人、難民申請の法的手続きに不備が生じた人などが多くいるということを伝え続けていくと同時に、そういった人々を当人が法令を守らなかったと一括りにして「違法化」し、個人に責任転嫁するということが本当に正しいのか問い続けていく必要がある。

このロックダウンの中、医療だけでなく、生活必需品の生産・輸送・販売、公共交通機関、介護など人々の生活を可能にしている職業が多くの外国人により支えられてきたことが広く再認識されているイギリス。「このモメンタムを逃さずに、移民コミュニティーの声が多くの市民や政治に届いていくようにみんなで頑張ろう」と励まし合いつつ、ロックダウンによる失業や収入減により日々の生活もままならず、渡航前費用の借金返済や母国に残した家族への送金ができないことに悩み、心身の健康に不安を抱える人たちへの支援活動が毎日続いている。これはイギリスだけの話ではなく、世界中の移民コミュニティーやその支援者に共通するのではないかと思いを馳せる。


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