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ESSEX39:チャー・ミーさんと私の違いは何だったのか

10月23日、英国エセックス州でトラックのコンテナから15歳から44歳までのベトナム人39名の遺体が発見された事件から1年になる。

この衝撃的なニュースは世界的に注目を集めた。近年ベトナムからの移住労働者が急増している日本でも大きく報じられ、記憶に残っている人も多いのではと思う。

犠牲者のなかに、亡くなる直前に故郷の家族へ向けて携帯電話からメッセージを送っていた人がいたことも報じられた。彼女の名前はファム・ティ・チャー・ミー(Pham Thi Tra My)ベトナム中部のハティン省出身、当時26歳だった。

メッセージには「ごめんなさい。私の渡航は失敗です。お父さん、お母さん、心から愛している。息ができなくて死にそう」とつづられていた。

チャー・ミーさんは英国へ渡航する前、2016年から2019年6月までの3年間、神奈川県相模原市の食品工場で技能実習生として働いていたとも報じられた。また、父親のティンさんはHNKの取材に答えた際、チャー・ミーさんは家族の借金返済に協力し、両親の負担を減らそうと、日本から帰国後すぐに英国への出稼ぎを決めたと話している。

2016年から、神奈川県で働き、2019年の秋に中国、フランス、ベルギーなどを経由して英国入りを果たした直後に、冷凍コンテナの中で亡くなってしまったチャー・ミーさんは、私にとって、どうしても他人には思えない。

私は彼女が神奈川県で働いていた2016年から2019年、東京に住み、働いていた。もしかしたら、彼女が工場で生産に関わった食品を口にしていたかもしれないし、どこかですれ違っていたかもしれない。そして、私は彼女が亡くなった約1か月後に、同じく英国へ渡った。

でも、彼女と違って私は有効なビザを持って、いわゆる「正規」のルートで安全に入国することができた。この違いは何だったのだろうかと、何度も何度も考えている。

私たちは両親を選べないように、どのような場所や、社会に生まれてくるかを選ぶことはできない。

シリアの戦禍を逃れ、小さなゴムボートで英国へ渡った映像作家のハッサン・アッカド(Hassan Akkad)さんは、自身が経験したように現在も多くの移民・難民がゴムボートで英国に到着するドーバー海岸の白い崖に映し出した映像作品の中で、「戦場になったシリアを逃れて、安全な英国へ渡りたいと思ったときに、安全で合法的に庇護を求める道はなく、密入国仲介者を頼るしかなかった」と語っている。

「私たちとあなたたちの間にある唯一の違いは運です。私たちは、母国がこんなにも危険な場所になることを選んだわけではない。死の危険がある海でさえ、より良い未来を与えてくれるように思った。(…)あなたと同じように、自分と家族にとって一番良いと思える選択をしたいのです」

この映像は、優しげな表情のハッサンさんが、排他的な道を進んでいる英国社会へむけて力強いメッセージを語り掛けるもので、日本社会にも通じるものが多いように思う。


ベトナムから海外へ出稼ぎに行く人の出身地の多くが、チャー・ミーさんの故郷があるハティン省などのベトナム中部に集中している。この地域は農業や水産業以外、主だった産業がなく、ホーチミンやハノイなどの経済発展からは取り残されている。

先ほどのハッサンさんの言葉にあるように、チャー・ミーさんも経済的に恵まれてない農村に生まれることを選んだわけではない。困っている家族を支えたいと海外への出稼ぎを目指しても、安全で正規のルートを通ることは誰にでも簡単に出来ることではない。現在の英国の移民制度では、EU圏外からの低賃金労働者が正規のビザを取得することはほとんど不可能である。英国政府の統計によると、2019年に救出された人身取引被害者数は国籍別に英国人が最多でその後、アルバニア人、ベトナム人と続いた。

昨年のエセックス州での事件をめぐっては、当時のトラック運転手が今年初め、39件の過失致死と密入国の支援を共謀した罪を認めたほか、過失致死と密入国への支援を企てた罪に問われている運送業関係者が、自らの罪を認めた。英国では、本件に関するすべての裁判が来月に終わる予定になっている。また、ベトナムの裁判所は、外国への違法な渡航を仲介した罪で男女4人に対して実刑判決を言い渡している。

密航に携わった個人を犯罪者として裁くだけで、犠牲者に対して本当の正義がもたらされるのだろうか。

困難な状況を脱出したいと思う人たちの渡航を手助けする密航ビジネスや、最も安価な方法で労働力を確保し利益を追求する企業だけでなく、海外出稼ぎを外貨収入の国策とする送り出し政策、紛争や貧困から逃れたいと思う人たちに安全な移住ルートを提供せずに密入国者を「犯罪者」として扱う国境管理、これらの行き過ぎたグローバル資本主義と弱者に対する排他的な移民政策の犠牲となったのがチャー・ミーさんを含む39名のベトナム出身者、地中海やアメリカ・メキシコ国境の砂漠地帯などで命を落とした多くの移民・難民の人たちではないだろうか。国際移住機関(IOM)のデータによると、2014年の1月から2019年の10月までの間に、海外への移住プロセスの中で命を落とした移民や難民は記録されているだけでも33,686人にものぼる。

「息ができなくて死にそう」チャー・ミーさんが残した最後の言葉。ブラック・ライブズ・マター(黒人抗議運動)の象徴的なスローガンにもなっている「I can’t breath」。世界の様々な場所で制度的な人種差別や排他的な国境管理の犠牲になった多くの人々が最後に残した言葉と重なる。

「移民」「難民」などの言葉の違いはあっても、安全で安心できる暮らしを実現するために、愛する人を支えるために、危険を冒してまで国境を渡ろうとする人々。いつ誰がその立場になるかはわからない。昨年の今日、遺体で発見された39人の一人一人はどんな人生を送ってきたのか、渡航を決めた理由は何だったのか、どんな希望があったのだろうかと、ここに名前を書き写しながら想像を巡らせる。

Pham Thi Tra My (26) / Nguyen Dinh Luong (20) / Nguyen Huy Phong (35) / Vo Nhan Du (19) / Tran Manh Hung (37) / Tran Khanh Tho (18) / Vo Van Linh (25) / Nguyen Van Nhan (33) / Bui Phan Thang (37) / Nguyen Huy Hung (15) / Tran Thi Tho (21) / Bui Thi Nhung (19) / Vo Ngoc Nam (28) / Nguyen Dinh Tu (26) / Le Van Ha (30) / Tran Thi Ngoc (19) / Nguyen Van Hung (33) / Hoang Van Tiep (18) / Cao Tien Dung (37) / Cao Huy Thanh (37) / Tran Thi Mai Nhung (18) / Nguyen Minh Quang (20) / Le Ngoc Thanh (44) / Pham Thi Ngoc Oanh (28) / Hoang Van Hoi (24) / Nguyen Tho Tuan (25) / Dang Huu Tuyen (22) / Nguyen Trong Thai (26) / Nguyen Van Hiep (24) / Nguyen Thi Van (35) / Tran Hai Loc (35) / Duong Minh Tuan (27) / Nguyen Ngoc Ha (32) / Nguyen Tien Dung (33) / Phan Thi Thanh (41) / Nguyen Ba Vu Hung (34) / Dinh Dinh Thai Quyen (18) / Tran Ngoc Hieu (17) / Dinh Dinh Binh (15)

*トップ写真は2019年12月18日、国際移民デーに英国内務省前で行われた抗議活動の様子(筆者撮影)

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