文を書くことは恥をかくこと
運転には人の性格が表れるとはよく言われることです。また、ゴルフをしても1ホール目でどのような人かすべてわかると言います。それらと同じように文章にも人となりが嫌でも出るもののようです。
国語指導の中でも一番難しいのが作文。まったく書こうとしない生徒もいます。書くという作業は漢字力や語彙だけでなく内面も如実に曝け出します。ほんの少しでも書けたら徹底的に褒める、書いたものは決して批評しない。その積み重ねでほんの少し書くようになります。
書くことで批判されたり叩かれたりということも悪くするとあります。幸いnoteは穏やかなプラットホームで楽しく書いていますが読み返して冷や汗が出そうなものもたくさんあります。
日本文化を恥の文化ということもありますからこのように感じるのは自分自身が日本人の特徴をしっかり持っているということかもしれません。
昔から秘すれば花、とも言います。言い過ぎはお品がないし神秘的でもありません。黙っていれば美人なのに、という人に会ったことありますよね。それほど書くということはある意味危険を孕んでいます。
それなのに何故noteを書き続けているのでしょう、私。今日はふとそのようなことを考えてたちどまってしまいました。いくら匿名とは言えこのまま恥ずかしい投稿を続けていいものか。
やはり人間なのでスキやフォローされると嬉しくてまた書きたくなります。あるいは書き残すことが生きた証かと書き続けているのかもしれません。恥の上塗りのようですが心に浮かんだことを呟いてみました。
寒さも本番ですね。今日は今読んでいるとても手応えのある本と、資格試験の過去問が私を待っています。皆様もどうぞ良い1日を。
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