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田辺聖子さんの『残花亭日暦』を読んでまた人生の楽しみが増えた

しばらく手にしていなかった田辺聖子さんの、日記形式のエッセイを読みだすと止まりませんでした。どなたかが「小説やエッセイを読むのは消費でビジネス書を読むことは投資だ!」と書かれているのを見てなんともったいないことよ、と思ったのを思い出しました。魂のこもった著作に触れることはどれほど人生を豊かにしてくれることでしょう。軽く異議を申し立てたい気分です。

この日記は2001年6月に始まり翌年2月まで、仲睦まじかったご主人、カモカのおっちゃんを看取られる頃に書かれています。田辺聖子さんは大阪弁の柔らかい言葉遣いで平易に読めるという印象がありますが、なかなかどうして美しくも難解な、今の私たちはまずは使わない、あるいは知らない言葉がたくさん出てきます。

落花狼藉、泰斗、野に遣賢あり、神寂びた風韻などなど、前後の脈絡から読み進めますがその文体の香しいこと。召し上がるもの一つも鱧のお刺身や茄子とずいきの胡麻和え、湯豆腐やカ鰈の焼き物、鱈の白子のお清汁など風流この上ありません。たまにお好み焼き談議が差し挟まれるところが小憎いです。

小中学生四人のお子さんがあるカモカのおっちゃんと結婚されてそれぞれを育て上げ、車椅子になられたおっちゃんとご自身のお母様と暮らされている日常は心楽しいことばかりであるはずなく、会食も辞退されてお仕事が終わり次第ご家族のもとへ飛んで帰ってはお食事を共にされている様子が、有名作家でありながら最後まで家庭を大切にされて深みと凄みを増したのかと思わされます。

宝塚ファンで、スヌーピーたち大勢のぬいぐるみに囲まれて過ごされているところは永遠の少女そのもの。苦しい時こそぬいぐるみに話しかけては慰められているシーンが何度も出てきます。生まれつきの小説家なのだなぁ、いくらでも物語を編み出すことができるはずと、納得もしました。

田辺さんの作品は乙女心満載でわたあめのようなものもありますが、ご多忙な中でも新聞に細かく目を通し社会の出来事にも目を配られていたこともよくわかります。ちょうどニューヨークで9.11のテロがあった頃の日記なのでおどろおどろしく思い出しました。ウイットに富んだ作品はこういう勉強の裏打ちがあってこそなのでしょう。

いくつも文学賞の審査員をなさったり、源氏物語などの古典の講演会でお話しされたり、数々の著名な方と対談をされたりと本業の執筆の締め切りに追われたりのお仕事が充実されているその裏側で、最愛のご主人さまは悪性腫瘍に侵され日に日に衰弱されていきます。36年間の掛け合い漫才のようなご夫婦も1月14日にお別れを迎えられました。参列者にカモカシリーズの文庫本を記念に渡されたアイデアはとても気が利いています。

夫婦になる縁の不思議とその全うの仕方のお手本のようなこの本はこの先ごきげんママ♡がごきげんパパ♡と目指していく針路を指し示してくれているように思えました。苦しい時こそユーモアを忘れない知性を持ち合わせた女性でありたいです。それとともに高校生以来の古典文学への重い扉をそろそろ開けてみる時が来たような気にもなりました。あー人生いつもここから、楽しみが尽きません。



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