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女の子を育てて一周回ってたどり着いた場所

バブル世代の私が初めて子どもを授かったのは平成初期。まだ良妻賢母という今ではお蔵入りしてしまった言葉がうっすらと存在していたそんな時代でした。こどものとも社の本などを買い集めてお腹の子に読み聞かせをするなど、教育熱心さの片鱗が見え始めていました。

お腹の子が女の子と分かった時に、気立てさえよければ何とか生きていけるだろうと楽天的に考えました。男の子だったらいい学校に入れたりいい会社に入れたり一生奥さんを養わないといけないから大変そう。責任重いだろうし、なんて考えた時代です。

それから幼稚園、小学校と上がるにつれてバブルも崩壊して世の中女性も働く時代にと急激に変化していきました。え、うかうかしてられないんじゃない?気立てだけじゃダメなのかぁ。世の中甘くないなあ。

というわけで長女はピアノを習いバイオリンを習い家庭教師にもつきました。これはアメリカ時代英語の補習だったので特殊ではありますが、とにかく上の学校へ上の学校へと目指すようになりました。

私自身も長女でしたが、すぐに弟が生まれたので両親の期待はそちらに集中。ツイていました。ところが私の長女の下はまた女の子。私たちの期待は偏ることなく二人の娘に対等にかけられることになります。二人ともまあできる限り一生懸命教育した、と思います。

その成果もむなしく、二人は特に優秀でもなければ運動ができるわけでもない、遺伝子通りの普通の子に育ちました。この、普通の子に育つ、ということの難しさとありがたさを知るのは大人になった証拠とでも申しましょうか。子どもが小さい頃は多くの人が我が子が末は博士か大臣になるような錯覚を起こしもするようでございます。その夢もはかなく破れ、それどころか心身健康に育つことがなかなか大変だと人生は教えてくれます。

そうしてピアニストにもバイオリニストにもならず特に上の方の学校へ行くこともなく素直にのびのび育った子どもたちですが、社会に出てからは学校の成績以上に周りの人に引き立ててもらって居場所を見つけて元気に過ごしています。年頃になった娘を気に入ってくださった男性はただただその素直で誰にも同じように接し笑顔を絶やさない娘の気立てに気づいてくださったようです。

あれこれずいぶん遠回りをしましたが、一周回ったその過程も無駄ではなかったような気もするの子育ての道のりでした。人は皆それぞれ持って生まれた天分のようなものがあるように思います。それが相応に引き出されて適度に張りのある生活を送ることが何にも勝る幸福な状態かもしれないと50半ばの私には思えます。

今この大変な時代に子育てをしておられる皆様に大いなる恵みがありますように。そして子どもたちが希望をもって過ごせる世の中にするために今の私にできることを見つけたいと考える朝です。

まずは今日一日を暑さに気をつけて元気に過ごしましょう。

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