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30.堂道課長は株を上げる

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「スポーツに貴賤はなかった!」

昼休み、小夜はいまだ興奮冷めやらぬ様子で、昨夜のことを夏実に語って聞かせた。

「小夜、いつから裏切者になった」

「いや、ホントに堂道課長ってばすごいんだって。バスケ超うまいし。後輩にプロ選手もいるんだって、草太君が言ってた」

「後輩がすごいんでしょーが。堂道、関係ないじゃん」

当馬も朝から課内で堂道のすごさを語っていたが、当然、周りの反応は鈍かった。夏実もしかり。

「確かにそうだけどー。頭もすごくいいって草太君が。数学は草太君でもゲシさんには勝てないって。意外に育ちもよさそうだしね。あの顔でおぼっちゃまくん」

「そうだよ! ただのヤカラじゃないんだって! 優しいし、女心わかってるし! すごくデキた彼氏だよ!」

「キモっ。うわ、見てよこれ、鳥肌立った」

夏実が差し出した腕は本当に粟立っている。

「ヒドい」

「ごめん。でも不可抗力の条件反射」

「草太君もゲシさん大好きって言ってたよー。いいトシした男がさ、かわいくない?」

「結局、小夜はなんなの? 堂道推しなの、草太推しなの? ラブラブなのはわかったから」

「堂道課長、おごってくれるしー」

「サラリーマンにたかるのおかしくない!? 草太君、腐っても医者でしょー」

糸は小夜に抗議する。勤務医の給料が少ないとはいえ、相場がそもそも違うのに。

「酒癖悪くない、ギャンブルしない、煙草やめた、あとなんだっけ。あ、家が医者。あとは借金は? でも玉の輿だもんね、借金はなさそう。反対に浪費家とか」

小夜が指折り数えるのに、「それもないと思うけど」と頷く。
 玉の輿に乗れないことは以前、釘を刺されたし、生活もなかなか堅実そうだが、ケチではない。
 さすがにダイレクトに借金の有無を尋ねたことはないけれど。
 先日、何かの話のおりに「マンションのローンあるし」と言っていたことはあった。

糸もかなり掘り下げたところまで堂道についてわかってきたが、小夜も草太経由で色々と聞き出してくれる。

「てゆーかさ、離婚原因は?」

夏実は改めて腕を組み直し、コーヒーのカップを持ちなおした。

「理由聞いたの? 一番そこ重要だと思うんだけど」

「うん……教えてもらった」

「なんの理由だったの? 性格の不一致とかはマジ当てにならないよ。あれは何にでも通用する免罪符だからね」

夏実の目がさらに鋭くなる。

「違う……」

「じゃあ、なに!? ってゆーか、なにその反応! DVなら絶対反対だからね!」

「それは私だって反対だよ! 糸、そうなの!? 課長がそんな人には見えないけど、DV加害者って見かけによらないからなぁ……っていや、堂々課長の場合、見かけによる、のか?」

心配げな小夜に腕を掴まれて、糸は視線を伏せる。
 言い淀んだのはDVだからではない。理由が勝手に、ましてや興味本位で吹聴していい話ではないからだ。

「……奥さんの浮気なんだって」

「え!? マジかー! 堂道が、じゃなくて!? 嫁が!?」

「……意外ー。それは草太君も言ってなかった」

「うん、私も驚いた」

「そうなんだ……堂道課長、そうなんだ……」

小夜がそう言ったきり、しばし三人は無言になった。

最近知ったことで、これについては、堂道がわざわざ時間を特別に設けて、話をしてくれた。
 糸にはきっと気になることだろうから、と。

確かに堂道の自宅には元妻のかけらが色々残されたままで、それらが気にならないわけはなかった。
 思い出や思い入れ、ましてや未練があると言うことは全くない、と堂道は言い切り、ただただ物に罪はないと考える派らしい。

「まさか残りの人生で彼女を家に呼ぶなんてこと、全く想定してなかったから、面倒でそのままにしてた」と謝られた。

小夜は長考の末に、
「私基準規格テスト、合格だよ。糸おめでとう。結婚まで応援する」と糸の肩を叩いた。

「何様」と夏実が突っ込む。

「いや、ホントに堂道課長、普通にいい人! 草太君も堂道課長の事、尊敬してるって言ってたし」

「好きにならないでよね! ダイヤの原石見つけたの、私なんだからね!」

「ならない、ならない。さすがに四十オーバーはないわー」

結局、小夜は堂道のことを褒めているのか、けなしているのかわからない。
 草太の堂道崇拝が伝染しただけかもしれないと思えてきた。

「まあね……」

今度は夏実は悩まし気に顎に手を添え、
「確かに、実際、あたしは被害には遭ってないんだよね。ミスしても怒鳴られたことない。なんか癪だから、気づかないふりしてたけど」

「そう! 理不尽に見えるけど見えるだけで、正当なんだよ!」
  
「言い方がアレなだけでねー」

「でも怒鳴り声で拒絶反応起こしちゃうからなぁ」

「……うん、堂道課長のこと好きでも、あの怒鳴るのは私もいい気分にはならないよ……」

糸の言葉に、夏実は渋々頷いた。どこか自分を納得させるように。

「でもね、堂道がキレてんのも当然かも。二課ってみんなほんっとに仕事できないからさぁ。マジやばいよ。特に尾藤」

「そうなんだ」

「ハイハイ返事するけど、あいつ、全部頭素通りだよ」

「意外と夏実と堂道課長、分かり合えたら仲良くなれるかも」

「堂道課長はギャーギャーうるさいだけでさ、いざ怒ると絶対羽切課長の方が怖いよねー」

「それなー」

みんなで納得し合う。
 軽いため息と共に、夏実が糸を見た。

「わかったよ、あたしも応援する」

「夏実!」

「堂道の事、暖かい目で見守る! だから、糸。今度の査定、よろしく言っといてね」

「そういうことじゃなくてー」

少しずつ知ってもらえればいい。
 堂道が、どれほど豊かで魅力的な要素で構成されているかを、少しずつでも知ってもらえれば、みんな堂道を好きになる、必ず。
 糸は満足げに微笑んだ。

「糸ちゃん! 堂道課長と付き合ってるってホントなの!?」

出勤するなり、先輩の女性社員に給湯室に連れ込まれる。

当馬と榮倉には、二人の関係をあえて口止めはしなかった。
 スポーツバー直後こそ、当馬にとっては堂道が糸と付き合っていることより、バスケテクニックの方が感動に値したようで、その種のひやかしを受けることはなかったが、日も経ち、ようやく社員の知れるところとなったらしい。

「ええ、付き合ってます」

糸は照れながら首肯する。

「嘘! 絶対、根も葉もない噂だと思ったのに!」

「えへ、ホントですよー、うふ」

社内に個人的な惚れた腫れたを知られるのは恥ずかしいが、逆にみんなに知って欲しい気持ちもあったので、交際が明るみに出たことに焦りはなかった。

「弱み握られてんの!? セクハラされた!?」

「へ? 違いますよー。私が告白して、堂道課長にオーケーもらったんで」

「嘘だ! ありえない!」

先輩は叫ぶように言ってから頭を抱えた。

「いえホントに。私が先に好きになってかなり強引に無理やり押した感じで」

大きなため息をつき、そして諭すように糸の両肩に手を置く。

「……ケアが必要だと思う。洗脳されてるうちは、事の異常さに気づけないと思うけど」

「洗脳なんかされてませんよ!」

「それは酔っぱらいが酔ってないって言うのと同じなの。会社の産業カウンセラーに行きにくいんだったら、どこか町の心療内科でもいいからすぐ受診しなさい! 不安なら佐代田さんについて行ってもらいなさい!」

「ストックホルム症候群ってか」

堂道はビールのプルトップを引きながら、大いにウケている。
 糸は、至急話したいことがあると言って、残業を終えた堂道に部屋に寄ってもらったのだ。

「先輩に、なんで心療内科なんですかって聞いたらそう言われて……」

「あれだろ、誘拐監禁とかされた被害者が、トチ狂って犯人好きになるやつだろ。ああ、糸が二課のヘルプに入ったからか? 誰だよ、そんな上手い事言う奴。座布団十枚だろ」

「笑いごとじゃないです!」

先に帰宅していた糸は、かんたんな夕食を作って待っていた。
 料理が特別に得意というわけではない糸だが、一人暮らしも長くなれば一通りは作れる。
 堂道は、大したことのないものでも喜んで食べてくれる。
 誰かが作ってくれる料理というのはあるだけでありがたいらしい。

ゴーヤチャンプルーを酒のつまみにしながら、
「まあ、みんながそう解釈してんならもうそれでいいだろ」

「よくない!」

糸は堂道に詰め寄った。

「たまゆらサン、趣味悪いとか、頭おかしいとか言われてんだったらダメだけど。まあ、俺を好きで趣味悪いっていうのはあながち間違いではない」

「私は趣味がいいんです! 先見の明があるんです!」

必死に言う糸の頭を撫でながら「恋愛ってマジ盲目になるんだなー」と感心さえしている。

「もう!」

「うそうそ、ごめん。すげえありがたいことだと思ってマス」

「いいんです! 私は、自分で自分を信じてあげてるから! 誰が何と言おうといいんです。堂道課長が信じてくれなくてもいいんだから!」

「なにそれ、すげぇかっこいいじゃんー、自分軸」

堂道の評価は以前とは変わってはきている。しかし、それはまだごく一部だ。
 変わってほしいとは願いつつ、羽切のようにミスした部下に笑顔で「次から頑張れ」と言うような堂道を望んでいるわけでもない。

糸は歯がゆさを感じながらも、自分にできることが何なのかわからないでいた。

つきあっていることがバレたのは、正直なところ渡りに船だった。
 平々凡々な糸と付き合っているということは堂道も普通の人間なのだということがみんなに知れて、とっつきやすくなるのではないかと思ったのだ。

しかし、喜んだもの束の間、歪んだ心理状態から起こった幻想まがいだと解釈されているとは、正さずにはいられない。

ふくれっ面の糸に、
「まあ、俺みたいなのも必要なんじゃないかと思って、俺は俺自身でいるってのもあるんだよな。必要悪的な」

「なんですか、その自分軸」

「ホラ、集団心理で。嫌われ者がいることによって、団結とか不満の矛先が他に向かないようになるやつ。もちろん会社に頼まれてやってるわけじゃねーけど、昔は守るもんもなかったし、ヤケになってたとこもあって、素でただのイヤなヤツだったのが、最近はそういう役割に、社内での存在意義みたいな感じてたとこもあって」

「なにその自己犠牲。かっこよくないです。中二か」

「おいおい、自分の存在意義が見出せなくてこじらせてるアラフォー、多いのよ?」

納得いかない目で睨んでくる糸に、堂道は苦笑を返す。

「ま、普通に、あいつらが使えなさすぎてイライラしてんのもあるけど。つーか、むしろそっちの理由がほとんどだ」

「夏実も似たような事、言ってました……」

「ま、夏原は一番の被害者だな。迷惑かけてる。営業のやつらもなー、いいように言えば、育て甲斐があるっちゃあるっつーか、しごき甲斐があるっつーか。ああ、しごいちゃダメなんでしたね、最近の若者は」

「そうですよ……」

「んな顔すんなって」

堂道は糸を胸に抱き寄せた。
 糸の狭い部屋を、堂道は気に入ってくれている。狭さが若さの象徴と思うらしく、それがいいらしい。狭くて雑多で、いつも互いが近くにいる。

「心配すんな。最近は、そろそろ足洗わねぇとなって思ってんですよ、姐さんのために」

「私のため?」

「そうですぜ。姐さんに恥かかせたくねえですから」

糸は笑って、堂道の身体に手を回す。
 贅肉のない胴を抱く腕に力を込める。

「あのー、メシ食っていいっすか」

「どうぞ」

「糸チャン、食いにくいんだけど……。ちゃちゃっと食って、ちゃちゃっとシャワーしたら、一回くらいする時間がございますけど?」

「一回じゃやだ。二回確約が条件で解放します」

抱き着いたまま見上げると、への字口の堂道に見下ろされた。

「あんなー、糸がいつも一回でへばるんだろうが」

「もう待てない」

「おいおいおい、ちょ、待って。シャワーしてくるから」

「いいです。もうシャワー、しなくていい」

堂道の首筋に鼻をこすりつける。首筋に舌を這わす。シャツのボタンを外す。一つ。一つ。

「匂いが気になるオトシゴロなんだよ。ちょ、おま……待て」

「待てませんってば」

「あ、糸チャン、一緒にフロ入ろうか?」

「私もうお風呂入ったもん」

「自分は済んだからって。じゃあ、風呂でする?」

「うちのお風呂は声響くからやだ」

「そういえば、糸、そろそろオンナノコの日じゃね?」

「なんで、そんなこと、知ってるんですか。私だって、気にしてないのに……」

「そんくらいは男のたしなみだ」

「たしなみ? 本音はリスクヘッジでしょ。失敗しないための」

「お前、俺は鬼畜か、それとも遊び人か。これ以上、順番間違って減点されてる場合じゃねぇって話なの」

「関係ない。もう、なんでもいい。危険日でも安全日でも、明日起きられなくても」

堂道を押し倒す。

「バァカ、二人で遅刻なんかできるかよ……。は……あ、糸……」

「あ、あ、かちょう……」

「なんて顔、してんだよ」

「すき、です。すき、すき、なの……」

「わかった。わかったから」

堂道は困った顔で笑って、糸に口づけるとそのまま自分に引き寄せて、力強く拘束した。

「すき」

一晩の回数とか、体力差とか、どうでもいいのだ。
 臭くてもいい匂いでも、それが加齢臭でも、どうだっていい。
 ダサくて、コワくてもいい。
 みんなに嫌われてたっていい。
 一回り以上も年が上でも、オッサンでも関係ない。

ただ、堂道に抱かれたい。
 堂道に求められたい。

堂道とずっと一緒にいたい。

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