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28.堂道課長は腹をくくる

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「お待たせしました」

糸がシャワーを浴びて出てくると、堂道は所在なさげにベッドを背に床に座っていた。

「……ああ、俺こそお先」

ピンク色のハート型のクッションを抱いている。と言っても、かわいく胸に抱いているわけでは当然なく、手持無沙汰のあまり手慰みに押しつぶしていると言った方が正しい。

「水、まだ飲みますか? 大丈夫ですか? あ、ビール?」

「いや、もう水もらったし。大丈夫」

堂道が先に汗を流している間に、あらかじめ購入し用意してあったTシャツとハーフパンツを出しておいたのだが、それをちゃんと着ている。

糸もこの日のために新調したルームウエアだ。
 堂道の好みも、四十代にウケるものもわからなかったので、結局は糸の個人的な好みで選んだペールカラーのかわいい系だ。
『かわいい』でも『セクシー』でもなんでもいいので、とにかく堂道に魅力的に映ればいいのだが。

「あの、今夜はもううちに泊まるってことでいいですか」

「うぃ、すんません。世話になります」

「靴下の替えはございます。シャツは今から洗ってアイロンしますね」

今日はまだ木曜日で、あと一日仕事がある。

「どんだけ計画的なんだよ」

「ワックスも買ってありますから。先日、おうちで種類を拝見しましたので」

「すげえな。至れり尽くせりか」

「ストーカーですから」

堂道が笑う。

「俺のストーキングなんて自慢にもならねえよ」

糸は自分のコップに水を注いで、ローテーブルの対面に腰を下ろした。
 堂道の視線はものめずらしそうに、糸の部屋のあちこちを彷徨っている。

「どうしました?」

「つーか……かわいい部屋だなと思って……いちいち小物とか、若い女子って感じ」

確かに、堂道の部屋の雰囲気とは全く違う。
 そもそも平米数が違う。部屋の大きさが堂道の身体に合っていない。

「すみません、狭いですよね。もうベッドで横になってください」

そういう物理的な違和感もだが、それ以前にどうにも堂道がこの部屋で寛げる気がしない。堂道も落ち着かないのだろう。

「狭くはねえけど、なんつーか子供の部屋みたいな感じつーかさ。別にバカにしてるわけじゃなくて単純に、ワンルームとかもう懐かしい暮らしなんだよな。完全に場違いっつうか、もはやすげえ背徳的な気分」

それと逆のことを、糸も思ったかもしれない。
 ファミリータイプの分譲マンションは、自分たちにはまだ関係ない、父母世代、つまり別次元の大人のモノだという認識があった。

「こっち来い」

ラグの上で胡坐をかいた堂道のそこに呼ばれ、糸はおずおずと足の間に座る。
 後ろから抱きしめられる。
 普段はあまり目立たない髭が肌に当たった。
 少し痛いが、どこか気持ちいい。

「化粧落としたんだ?」

頬にキスされる。

「……すっぴん、微妙ですみません」

「別に今初めて見たわけじゃねえし。そういう意味じゃねえよ。かわいいと思って言ってんの」

「いや、かわいくはないですから」

「そうじゃなくて。糸くらいの年代の子って社内でしか接点ねえし、そういう若い子の素顔なんか、普通見ることもねえじゃん? だから、それを見れるって、すげえ事だなってしみじみさ。若い子の化粧とか、全くわかんねえからな。種明かしというか、おお、こんな風に変わるのか! 感動! みたいなさ」

「なんですか、それ。褒めてない」

「いやいや、優越感抱くっつー話なんだけど」

「えー? がっかりはあっても優越感は絶対ないと思いますけど」

腕の中で身体を捩じって振り返り、当てるだけのキスをする。
 深く交わるかと少し唇の近くで待ってみたが、それも再び軽く触れるだけだった。
 糸の身体も堂道の手中にあるが、腕の中に閉じ込めるだけで、次を誘ってくる気配はない。

「一人暮らし長いのか?」

「え? えーと、大学で東京に出てきてからなので十年近くなるかも」

「実家どこ?」

「S県です」

「ああ、Sなの? 俺、昔一瞬、担当してた時あったわ。へえ、Sのどの辺?」

「S市内です」

「じゃあ都会なんだな」

話は盛り上がったが、途中でこらえきれずにあくびが出た。

「寝るか」

「うん……でも、もったいない……」

「お前はすぐそれだなー。まあ、気持ちもわかるけどな。明日金曜じゃん。夜から会えばいい」

「うん。でも、今ももっと、話していたいです」

「わかった。じゃあ、布団で寝ながらな」

堂道は立ち上がるために身体を動かした。
 脚の間にすとんとはまるように座っていたベストポジションが崩れ、糸もしぶしぶ腰を上げる。

「もっとこっち来い」

「私は大丈夫ですよ。課長こそもっとこっちに……」

「ん」

「かちょー……すき」

「はいはい」

広げられた腕に頭をのせる。
 二人で寝るのにシングルベッドでは狭かった。
 歴代の恋人と添い寝した時には思わなかったが、今、堂道の姿勢はかなり無理しているように思えた。
 明日、身体が痛くなるかもしれない。

密着したまま話をすると、すぐ目の前で、堂道の喉仏が動く。
 糸の身体に堂道の声が反響するのを感じながら、いろんな話をした。

「えー、冬至さんってお医者さんなんですか!? かちょうのおうち、びょういん、なんですかーしらなかったー」

「言ってもちっちゃい町医者だ」

「えええ、かなりびっくりなんですけどー……」

「おい、もう無理すんな。寝ろ」

「えー、おかねもちじゃないですかぁ」

「言っとくけど、玉の輿とか狙ったところで無理だからな。もう俺家出てるし」

「そんなこと思わないですけどー。すごーい……」

話しながら、糸はいつのまにか眠りに落ちていた。

「榮倉、この添付資料間違ってんだろ!」

「あっ、やべ、すみません!」

「まず確認してから人に見せろ。焦んな」

「はい、すみません」

一週間の出張に出ていた堂道のデスクには確認書類が山積みだった。

ここ数日、特に二課のメンバーは鬼のいぬ間の平和を謳歌していたが、堂道の戻りと共にいまや営業部全体の空気が張りつめている。

「あー、堂道課長いるから肩凝るわぁ」

当馬とうまのぼやきを、糸は聞こえないふりでスルーする。

もちろん糸だけは、昨日まではひどくつまらなかったし、今日からは元気もやる気もいっぱいで浮足立っている。

しかし、出勤してから堂道と一度も目は合っていないし、今夜にしてもおそらく残業なので会えそうにない。
 出張中も夜は飲み会ばかりで、ろくに連絡を取れていなかった。

寂しいな、と心の中で呟き、糸は自分のモニタに視線を戻す。
 仕事中であれその姿が見られるのだから、十分恵まれた環境にいるのだが。

「尾藤、この価格は在庫分だから出せる価格だってこと、相手に念押ししたか」

「えーと、一応言ったと思います」

「一応、思いますってなんだよ? 来期の継続受注可能でも同じ条件では無理だって相手はわからせとけよ。可能ならどっかに一文でも入れて書面で残しとけ」

「はい、わかりました」

堂道を盗み見ると、眉間に深いしわを寄せていた。
 二人でいるときにあれほど難しい顔はしない。

先日、糸はどうしてそんなに会社で怒るのかと聞いた。

「はァ?」

堂道は、なんで今そんな話をするんだと言わんばかりに表情を歪めたが、もはや堂道に凄まれても怯む糸ではない。もっとも堂道の反応も当然で、ピロートークの中での質問だった。

甘い空気は霧散し、腕枕すら引き抜かれるほどに堂道を現実に引き戻してしまったようだったが、堂道改心計画の実行は、夏実に託された使命でもある。

「もちろん仕事ができていないからなんでしょうけれど、言い方とかもうちょっと優しく……」

「ったく、最近の若いやつらは」と年配者おなじみの文句から始まり、「言わねえとやらねえし、怒らねえと手を抜く。注意ぐらいじゃ何の改善にもなんねえんだよ」と吐き捨てるように言った。

「こっぴどく怒られたら、バカじゃない奴は次からは注意する」

「でも、最近の若い人たちは、まず萎縮してやる気なくすと思いますけど……」

「なら、次から気をつけようと思えるヤツだけが、デキるようになる奴ってことだ」

「今の人たち、打たれ弱いからなぁ……そういう根性論が通用しないと思います。体育会系って今、一番嫌われますよ」

「確かにな。……いい環境で仕事をさせるってのも上司の腕なんだろうな」

堂道は遠い目で言った。
 どこか寂しそうに言うので、糸はたまらない気持ちなって堂道の頬にキスをする。

「どうした?」

「いえ……別に」

堂道がにやにやと糸をのぞき込んできたかと思うと、

「……若いのに打たれ強いやつもいるじゃん、ここに」

「だって、私のは愛の力ですから……」なんて、いちゃいちゃムードになった話は今はいいとして、実際、愛の力がなければ糸も委縮してやる気をなくしてたに違いない。

数年前、堂道が課長になったとき、営業部の編成が大きく変わったと羽切に聞いた。

その時から人事部には、明文化されていない密かなカテゴライズがあって、正統派で一軍選手の集まる一課、ニッチな市場に特定の需要で勝負するマニアックな三課、他にも四課、五課とそれぞれに評価があるらしい。

全員が全員、各課のカラーに当てはまるわけではないし、実際に配属を決めるのに能力に従って分けられているということはないというのが表向きらしいが、羽切曰く二課は「よく言えば型破り、悪く言えば問題社員が集まっている」そうだ。

「だからさ、そのとおりなんだったら二課の指導育成は相当大変だと思うから。まあ、言い方の問題は俺もあると思うけどね」と先日、こっそりと教えてくれた。

堂道はけして悪い人間ではない。

だからこそ、糸は歯がゆさを感じる。

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