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29.堂道課長は今夜ヒマ

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「オイ、榮倉。やり直しー」

「ハイッ」

「尾藤ー、数字間違ってんぞー」

「すんません!」

「椎野ー、まだかー」

「あと十分くらいで……!」

近頃の堂道は少し変わったと糸は見ている。

昼休憩、最近の堂道の変化について明るく考えていたのに、夏実が殺意たっぷりにハンバーグにフォークを突き刺した。

「マジで堂道うざいわー。あ、糸、ごめん」

「……いや、いいよ。気にしないで……。続けて、どうぞ、私に遠慮せず」

「ごめんよ。だってやっぱムカつくんだもんー」

悲しいかな、変わったからといって、いきなり『仏の羽切』のようには変われない。

それでも、堂道なりに特に言葉遣いに気をつけているようだ。
 語尾を伸ばすようにしてみれば優しく聞こえると説くマネジメント本で読んで、それを実践しているらしい。
 そんな素直でかわいいところが堂道にもあるのだが、対外的にその努力は全く伝わっていないことがわかった。

「なんか最近喋り方、ムカつくんだよね」

「あー、わかるー。最近のアレ、なんかバカにしてる感じするよねー。え、糸ため息でか! 幸せ逃げるよー?」

「糸ー、ごめんって」

往々にして、被害者が加害者の更生に気づくには、倍以上の努力と時間を要するものだ。
 怒鳴る回数を数えていれば、以前からすると明らかに減っているのに、それをグラフにして表すくらいしないと誰にも気づかれない。
 逆を言えば、数えていた糸だからこそ気づいたし、それくらいしないと気づけないささいな変化だということだ。
 変えたいと思うのは、堂道の評価のためでも出世のためでもない。もちろん糸自身のためでもない。

「しいて言えば健康のため……?」

「ん? 何が?」

「いや、ううん。独り言……」

付き合うようになって、堂道が慢性胃炎で薬が手放せないと知った。

悪い人間ではないのだと、糸が触れ回るのが早いのかもしれない。
 しかし、どれだけ声高に叫んだとて、少し前の自分を思い返せばどんな反応が返ってくるかは想像に難くない。
「ハイハイ、奇特な人が何か言ってる」くらいで、話半分にも聞かなかっただろう。
 現に今なお、夏実と小夜にどれだけ堂道の話をしても、熱に浮かされている糸の迷言としてしか取り合ってもらっていない。

「……なにより私みたいな年端も行かない小娘に助言とかされても、上から目線で何様だって感じだし、プライド傷つけるよね」

「何、もしかして、堂道の事で悩んでんの!? そんなの限りなく時間の無駄だよ! 別れろ別れろ」

「そうじゃなくてー」

何事も、そこに中身が伴っていないことには、なかなか人は目からウロコにはならないらしい。

恩着せがましくならないように、押しつけがましくならないよう、力になれたらと思っていたら、意外とすぐにその機会はやってきた。

「全然、話変わるけどさー」

悩む糸など意に介さないテンションで、スマホをいじっていた小夜が嬉々として顔をあげる。

「糸、今夜暇ー?」

「今夜? 何? 暇だけど」

風向きというものが変わっていく様を、糸は目の当たりにすることになる。

タイミングを待っていた糸は、堂道が席を立つのを見て、そのあとを小股で追いかけた。

「課長! 堂道課長!」

壁の角に隠れて、小声で叫ぶ。

「アァ?」

けして、恋人に対するものとは思えない態度で堂道が振り返る。
 二人の時もけして甘くはないが、そこそこ優しくはある。今はそのかけらもない会社仕様だ。
 二人きりの残業もなければ、資料室のシチュエーションにも程遠く、堂道に社内恋愛を楽しむつもりはないらしい。

「たまゆらサン、何か御用っスか」

「ねえねえ、今夜、暇です?」

「あー? 外で打ちあわせ入ってっから忙しい。会うのは無理」

手にしていたファイルで自分の肩を叩くという年寄り臭いパフォーマンスに加えて、首を鳴らす。

堂道は意外にも糸のわがままを聞いてくれるし、難しい予定でもなんとか調整して合わせてくれるところがある。
 理由も聞かずに無理だというのだから、今夜は本当に忙しいのだろう。

「草太君と小夜がデートらしくって、私たちも一緒にどうかって誘われたんです。私は行けるんですけど」

「そんなに馬に蹴られて死にたいのか」

「打ち合わせ終わってからで構わないから合流してくださいよー」

「草太とダブルデートとか絶対嫌だ」

「ダブルデートって」

「うっせーよ。どうせ死語だろ」

「いやいや、言いますから。普通に今でも使います」

「ま、行けたらなー」

「よく通ってたスポーツバーがあるんでしょ? そこでオリンピックのバスケ、観戦しようって草太君が」

「まじで」

堂道の顔つきが変わる。

「なんだよ、それ、言うの遅えんだよ、草太のやつ。まじかー、行けっかなー。いや、さすがに無理だわなー」

堂道はぶつぶつ言いながらスマホを見つつ、ファイルで肩を叩きながらエレベーターホールの方へ歩いて行った。

「絶対来てくれる、ゲシさんは」と草太が言った通り、堂道はやってきた。
 思ったより、ずっと早い時間に。

「あっれー? ゲシさん、打ち合わせだったんじゃないの?」

「無理やり切り上げたわ。おい、試合どうだ」

からかうように言う草太に悪態もつかず、鞄や上着もおざなりで、来るなり堂道は大きなモニタに映る試合中継にくぎ付けになっている。
 なんなら糸と小夜がいることも忘れているのではないかと思うくらいだ。

「糸ちゃん、この人意外とバスケバカだからね」

「おい、草太。バドワイザー買ってきて」

「あ、私が……」

腰を上げた糸を、草太が笑顔で制する。

「いいよ、座ってて。パシらされんのは慣れてるから」

湾岸にある大箱のスポーツバーは時節柄、盛況だった。
 店内に設置されたたくさんのモニタに、様々なスポーツが映し出されている。
 基本的にはスタンディングバーだが、周りにはシッティングスペースがあって、そのテーブル席に草太が予約を入れておいてくれた。
 最近こそなかなか来なくなったが、昔は通った時期があったらしい。

「ゲシさん、マスターいたよー。テルさんとトオルさんも来てるって」

「お、マジか? 後で挨拶してくるわ」

「草太くんもバスケ部だったんだって」

小夜が教えてくれた。

「ゲシさんに影響されてね。ゲシさん家にバスケットゴールがあってさ。勉強ついでにバスケも教えてもらったなー」

草太と小夜も、驚くことについ先日付き合うことになった。
 堂道と糸の仲の進捗を報告しあっているうちに、親密になったという。
 草太は、自分はもちろんだが、堂道に彼女ができたことも心の底から喜んでいるようで、糸はいろんな意味で恩人だとひたすらに感謝された。

「言ってもうちは、ゲシさんとことは比べものにならないくらい弱小チームだったけど」

「その代わり、お前んとこは偏差値は日本一じゃん」

「ゲシさんとこだってかなりの進学校でしょうが」

スタンディングのフロアはクラブのように人がひしめきあっていて、みんな汗だくで画面の中の試合を応援していた。
 ボールがネットを揺らすたびに店内は大歓声に包まれる。

「ちょ、ゲシさん、今のパス、エグくない?」

「あの6番がヤベーな」

「おしっ、そっからシュート! やった!」

「さっきのプレーな、ほら、スローで見たらよくわかるけど、ここ。これがすげえの」

時折、堂道が解説をしてくれる。
 実際、糸はバスケのルールさえ怪しいくらいの興味しかない。
 高校時代の彼氏はサッカー部だったので、サッカーのルールなら少しはわかるのだが。

これからバスケにも詳しくなるのかなと糸が思っていると、 
「あー、いたいた。玉響さん」

聞きなれた声は当馬のものだった。
 限定の五輪Tシャツを着て、首にタオルをかけている。
 この場にふさわしい観戦スタイルだ。

「佐代田さんもお疲れー……って、え、アッ!? え、堂道課長!? お、お疲れさまっす! え、え、どうしたんすか?」

興奮しているのと酔っているのとで陽気な赤い顔が、糸の隣の人物が誰だかわかるや一瞬青ざめたように見えた。

「堂道課長、元バスケ部なんだそうですよー?」

糸が状況を説明するまでもなく、小夜が有無をいわせぬ笑顔でにっこりと言う。
 無言の圧力だ。

「え、マジっすか! 実は俺もバスケ部で」

「ゲシさん、G大付属なんですよー」

草太も貼り付けたような笑顔で、毒にも薬にもなりそうなそれはけして心の底から笑ってはいない。
 策士で腹黒い。草太と小夜は似た者同士だから気が合うのかもしれない。

「えーっ、超有名校じゃないっすか。すげえ!」

「もちろんレギュラーで、しかも副キャプでした。こう見えて人望も厚くて、後輩からも慕われて」

「草太、ヤメロ。昔の話だよ」

「榮倉も一緒に来てるんですよ! 呼んできます!」

「あー、いい、いい。いいから。向こうで好きに観戦してろ」

堂道が止めるのに、当馬は慌てて行ったかと思うと、すぐに榮倉と二人、飲み物を片手にやってくる。

「堂道課長、G大付属ってマジですか!?」

すべては偶然で、どう転ぶかは糸も小夜も、草太も、あえて想定も予想もしなかった。

揃っていたのはパーツだけ。
 特に行先が決まっていなかった今夜の草太と小夜のデート。
 バスケの試合と、仕事中の雑談で小耳に挟んだ当馬のバスケ好き。
『バスケしてるゲシさんはマジかっこいい』という草太の口癖。それに小夜が少し興味を持ったこと。糸も当然、食いついたこと。
 糸が常々悩んでいたこと。
 いつもきっかけを探していたこと。
 スポーツは国境を超えること。
 スポーツに言葉はいらないこと。
 人類は皆兄弟なこと。

試合が終わって夜も更けてくると、店長や知り合い、元チームメイトだという人まで、糸たちのテーブルに集まってきた。

「え、夏至の彼女!? 若くね!?」

「ウチの夏至ちゃん、オッサンだけどいいやつだからヨロシクねー」

「お前それ、うらやましすぎるだろ!」

当馬と榮倉は無言で顔を見合わせている。
 酒と夜と興奮とのどさくさにあっても、さすがに突っ込む勇気がないのだろう。
 交際がバレてしまうのは想定外だったが仕方がない。

「夏至、久しぶりにスリーオンスリーやろうぜ!」

店には屋外にフットサルコートとミニバスのコートが併設されていて、そこで練習したり、遊んだりすることもできるらしい。

「彼女さんに、オッサンだけどかっこいいとこ見てもらおうぜ」

「ソータも入るだろ」

「えー!? 俺、無理ですって。あ、彼もバスケ部らしいですよ。な、トーマ君」

「あ、そうなの? ゲーム入ってよ」

「えっ、俺っすか!?」

「おい、俺スーツなんだけど?」

「ゲシゲシ、ちょうどいいぞ。店に限定Tシャツが売るほどあんだよ。これ着ればいい」

「売るほどって、実際売ってんでしょうが」

「毎度アリー」

「草太、お前金持ちなんだから買えよ」

「ムリムリ。勤務医の薄給、ナメんな」

糸たちは雰囲気に誘われて、外に出た。

白々と辺り一面を照らすナイター仕様の眩しい照明が、いかにも夜のスポーツ施設然を主張している。
 カラフルなコートをより色濃く見せているのは湿った活気のせいだろか。
 周りにヤシの木が並んで植わっていて、フットサルの方のコートは揃いのユニフォームを着た数人が既に使用していた。
 
 プラスチックのベンチに座る糸の側で、堂道は腕の時計を外した。
「持ってて」とそれを手渡され、糸は胸が高鳴る。

「高校生カップルみたいじゃんー」

小夜に冷やかされるが、まさにその通りだ。こんなシチュエーション、想像もしていなかった。

「チーム、どうするー?」

堂道がワイシャツを脱いで、上半身だけ例の限定Tシャツに着替えたかと思うと、ビジネスシューズのままでコートに走り出していった。

「んじゃ、こっち三、そっち三で」

「オーケー」

走り出しながら、誰も悩ますことなくチーム分けがなされ、誰からともなくパスが繰り出されて、ドリブルが始まる。
 ホイッスルなど必要ない。

「当馬、パス!」

ポップなコートにボールが跳ねる。

「うわっ、スンマセン!」

「ドンマイ!」

「あっち、フリー!」

「堂道課長!」

「夏至、シュート!」

シューズが擦れる音、パスを受ける指の音、大きな男たちの笑い声、ジャンプ、シュート、ネットが揺れる。

「ちょっとタイム! 草太、チェンジ」

シュートが決まったタイミングで、堂道はゲームを離脱した。

「ちょ、マジ、息苦しい」

スーツのパンツだというのにコートに直に座り込み、乱れた髪を豪快にかき上げた。

「体力、落ちてるわー」と天を仰いでいる。
 ナイター照明のせいで空は黒くは見えない。

汗だくの堂道に、糸は待ち構えていたタオルとスポーツドリンクを差し出した。

「お疲れ様です、堂道センパイ」

「おー、サンキュ。……ってなに設定だよ、それ」

「なんか高校生にもどったみたいで。私、マネージャーです」

「糸がマネジャーか。それ、いいな」

500mlのペットボトルを一口で空にし、
「俺専属な」

にやりと笑う。

「え、え、なに、堂道課長どうしたんですか……。カッコいい上に甘くて、ときめきすぎて死にそうなんですけど」

「やべ。テンション、おかしくなってら」

堂道は声を出して笑いながら、ごろんと寝転び、コートで大の字になった。
 確かに、おかしなテンションだ。アドレナリンが多量に分泌されているのだろう。

「堂道センパイ、楽しそうです」

「ああ、めっちゃ楽しい」

堂道の満足げな表情を見て、糸も嬉しくなる。

「それにしても……」糸は、続行中のゲームを見た。

「……草太君が入ってみたら、堂道課長や他の方々の上手さがわかりますね、素人目にも……」

「佐代田さんに幻滅されたら可哀そうだな」

見ると小夜は榮倉と話しているが、それこそ、糸たちはもうそんなバスケの上手い下手が好き嫌いに影響してしまうような高校生ではない。
 
 堂道はようやく上半身を起こし、
「しかし、当馬がバスケ部だったとはな。あいつかなり上手いよ。高校どこだって言ってたっけ?」

「知りません。バスケ部だったのも初耳です。オリンピックでバスケが一番楽しみとは言ってたから好きなのかなとは思ったけど」

一課のコーヒータイムの雑談で、ライブビューイングしたいと呟いていたのを聞きつけて、糸と小夜が「今夜、私《《たち》》も応援しに湾岸のスポーツバーに行くつもり」と言っただけだ。

間違いなくこの展開は偶然で、少なくとも失敗ではない。
 当馬は何度も堂道にパスを回し、堂道のプレーを賞賛し、堂道の指示でコートを走り回っていた。
 ただのスポーツマンシップといえばそれまでだが。

「糸なのか、草太なのか、佐代田さんなのか知らねえけど」

よっこらしょ、と重そうな身体に鞭を打って立ち上がる。

「ありがとな」

タオルを糸に向かって投げる。

「草太、交代。お前、へたくそすぎて不憫になってくる」

走ってコートへ戻っていった。


 
 帰り道、堂道は張り切り過ぎたのか、すでに筋肉痛だと言い、歩き方が変だった。

「課長の終電もうないし、ウチに泊っていきますよね?」

「あー、頼む。身体イタイ。明日、起きれっかな」

「ベッドだと狭くて余計に体が変になりそうだから、今夜は別々に寝た方がいいかもですね」

「だなー」
 
 と言っていたのに、結局堂道は狭いベッドで糸を抱いた。
 平日にもかかわらず。また、久しぶりのバスケで倒れこむほどに息が上がっていたにもかかわらず。

草太との話の中で、「私が思っていたより四十代ってスタミナあるもんなんだね」と、セックスのことではなく話題にした際、
「ゲシさんの体力も気力も四十代ではないから。あの人、普通じゃないからね」と言っていた。
 普通じゃない堂道の体力と気力と精力を、身をもって体験した糸だった。

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