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ダウングレードだけは避けたい~『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 下』(ユヴァル・ノア・ハラリ)~

*この記事は、2019年8月のブログの記事を再構成したものです。


上巻に引き続き、『ホモ・デウス』の下巻のレビューです。

↑kindle版


まず「ピーク・エンドの法則」が印象に残りました。

物語る自己は、私たちの経験を評価するときにはいつも、経験の持続時間を無視して、(中略)ピークの瞬間と最後(エンド)の瞬間だけを思い出し、両者の平均に即して全体の経験を査定する。

本文では出産などの痛みの例が取り上げられているのですが、確かに痛みなどの苦痛に限らず、楽しい経験とかもそうかもしれない。


考えてしまったのは、以下の部分。

私たちの物語る自己は、過去の苦しみにはまったく意味がなかったと認めなくて済むように、将来も苦しみ続けることのほうをはるかに好む。ついには、もし私たちが過去の誤りを白状したくなれば、物語る自己は何かこじつけを工夫して筋書きを変え、そうした誤りに意味を持たせざるをえない。

前半部は、認めたくない真実ですよね。でもそれではいけないわけで、後半部につながるわけです。もちろんそれが必ずしも悪いわけではないけど、「言い訳」になってしまってはまずいわけです。


本書では、かなり暗い未来が提示されています。まずはその1。

アルゴリズムが人間を求人市場から押しのけていけば、富と権力は全能のアルゴリズムを所有する、ほんのわずかなエリート層の手に集中して、空前の社会的・経済的不平等を生み出すかもしれない。 (中略)
あるいは、アルゴリズム自体が所有者になるかもしれない。

うーん、陳腐なSFのような未来予想図ですが、実現しないとは言い切れないところが怖いっていうか、すでに一部実現していますよね。勝手に格付けされたりしているんだから。


未来その2。

二一世紀には、私たちは新しい巨大な非労働者階級の誕生を目の当たりにするかもしれない。経済的価値や政治的価値、さらには芸術的価値さえ持たない人々、社会の繁栄と力と華々しさに何の貢献もしない人々だ。この「無用者階級」は失業しているだけではない。雇用不能なのだ。


ではどうすればいいかというと。

従来、人生は二つの主要な部分に分かれており、まず学ぶ時期があって、それに働く時期が続いていた。いくらもしないうちに、この伝統的なモデルは完全に廃れ、人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け、繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。

うーむ、厳しい現実です。


未来その3。

自由主義は、システムが私自身よりも私のことをよく知るようになった日に崩壊する。たいていの人は自分のことをあまりよく知らないのだから、本人よりもシステムのほうがその人のことをよく知るのは、見かけほど難しくはない。


ちなみに、WASP(White Anglo-Saxon Protestant)という用語はよく知られていますが、本書でWEIRD(Western, educated, industrialized, rich and democratic)という用語を初めて知りました。「西洋の、高等教育を受けた、工業化された、裕福で、民主的な」という意味で、研究等でもそれが典型的なアメリカ人とみなされているそうです。決してそれは典型的なアメリカ人とは言えないし、ましてや典型的な人類でもありませんよね。


未来その4。

社会を支配するシステムがダウングレードされた人間を好む可能性があるのは、そういう人間が超人的な才覚を持つからではなく、システムの邪魔をして物事の進行を遅らせる、本当に厄介な人間の特性の一部を欠くことになるからだろう。(中略)これまでよりもはるかに効果的にデータをやり取りして処理できるものの、注意を払ったり夢を見たり疑ったりすることがほとんどできない人間を生み出す恐れがある。

これ、だんだんそういう人が増えていっているような気がして、本当に怖いです。しかもそうさせられているわけではなく、無意識にそっちに流れていっているというか。


未来その5。

人間は「すべてのモノのインターネット」を創造するためのたんなる道具にすぎない。「すべてのモノのインターネット」はやがては地球という惑星から銀河系全体へ、そして宇宙全体にさえ拡がる。この宇宙データ処理システムは神のようなものになるだろう。至る所に存在し、あらゆるものを制御し、人類はそれと一体化する定めにある。

これこそ、陳腐なSFのような悪夢ですね。


では人類に希望はないかというと、そうではないとハラリは強調します。

AIとバイオテクノロジーの台頭は世界を確実に変容させるだろうが、単一の決定論的な結果が待ち受けているわけではない。本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい。


アップグレードなんてしなくてもいいけど、決してダウングレードして、ただのシステムの部品になってはいけない。知識よりも知恵のある人間であらねばならない。愚直で平凡かもしれないけど、そんなメッセージを受け取った気がします。


見出し画像は、横浜の三渓園で撮った「落下注意」のピクトグラムです。落下ならぬ、ダウングレード注意ということで。


↑文庫版



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