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【読書】アップグレードを目指す人類~『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来 上』(ユヴァル・ノア・ハラリ)~

*この記事は、2019年8月のブログの記事を再構成したものです。


以前レビューした、同じ著者の『サピエンス全史』の続編にあたります。

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飢饉、疫病、戦争という人類にとっての3つの課題をほぼ克服した人類が次に目指すのは、不死と幸福、神性の獲得の3つであり、自らをアップグレードして「ホモ・デウス」(神の人)となることを目指すだろう、という観点で論が展開されます。


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もちろん「不死」と言っても、それは実質長命のことだし、幸福というのは個人の感覚に基づくものなので、人類全員が幸福である状態というのは難しいですよね。そして神性についても、ハラリはこう説明しています。

人間を神にアップグレードすることについて 語るときには、聖書に出てくる全能の天の父ではなく、古代ギリシアの神々やヒンドゥー教の神々のようなものを考えたほうが良い。ゼウスやインドラとちょうど同じで、私たちの子孫には、依然として短所や風変わりな点や限界があるだろう。だが彼らは、私たちよりもずっと壮大なスケールで愛したり、憎んだり、創造したり、破壊したりできることだろう。

大事なのは、「目指す」という部分。「不死、幸福、神性を獲得する」とは言っていないわけです。


考えてしまったのは、以下の部分。

高齢者の記憶力の低下を食い止める方法が見つかれば、同じ処置によって若者の記憶力を高められるかもしれない。治療とアップグレードの間に、明確な境界線はない。医療はほとんどの場合、標準未満に落ちかけている人を救うところから始まるが、それに使う道具やノウハウはその後、その標準を上回るためにも利用されうる。

人間の欲望には、際限がないということですね。


心に残ったのは、以下の部分。

歴史学はときおり予言を試みるものの(ろくに成功しない)、歴史の研究は、私たちが通常なら考えない可能性に気づくように仕向けることを何にもまして目指している。歴史学者が過去を研究するのは、過去を繰り返すためではなく、過去から解放されるためなのだ。

歴史から目を背けようとする人に、ぜひとも読んでいただきたい一節です。


がっくりきたのは、妊娠ブタ用クレートに閉じ込められたメスブタたちの写真。ブタさんたちはろくに身動きできないクレートに閉じ込められたまま5~10回の出産を繰り返し、その都度産んだ子たちから2~4週間で引き離されるという「非人間的な」環境で暮らし、最後はお肉になるわけです。もちろんトリもウシも似たような環境で飼われているわけであり、一瞬菜食主義者になりたくなりました(ならないけど)。


愕然としたのは、以下の一説。

ホモ・サピエンスが神の介入をいっさい受けずに、自然選択だけによって進化したと考えるアメリカ人はわずか一五パーセントしかおらず、三二パーセントが、人間は何百万年も続く過程の中で、先行する生き物から進化したかもしれないが、神がそのショー全体を演出したと主張し、四六パーセントが、まさに聖書に書かれているとおり、過去一万年間のある時点で、神が人間を現在の形で創造したと信じているという。大学で数年学んでも、こうした見方にはまったく影響が出ない。

ダーウィンの進化論が正しいかの議論は置いておくとしても、半数近くが聖書が完全に正しいと信じ、大学で学んでも数字はそう変わらないというのが衝撃でした。アメリカは私たちの印象よりずっとキリスト教国家であることを、再確認しました。


下巻は目下読んでいる最中ですが、これまたいろいろ考えさせられます。


見出し画像は、古いブタの貯金箱の顔の部分です。


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