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「天職は自分で作り出せる」ホラープロデューサーに学ぶ、好きなことでキャリアを切り開く方法

「好きなことを仕事にしてみたい。でも、今の安定した生活を手放すのは勇気がいる」そんな悩みを抱えている人は多いのではないでしょうか。

夜住アンナさんは大好きなホラーを仕事にするために、安定した仕事を辞め未経験からイベント会社に転職。現在は、女性初のホラープロデューサーとして数々の話題作を生み出しています。

安定した生活を手放してまで、「好き」を選んだ夜住さん。

彼女がなぜリスクのある決断をできたのか、そして未経験かつロールモデルがいない中、どのようにキャリアを築いていったのか。その過程について伺いました。

ホラープロデューサーは、ホラー業界の“なんでも屋”


ーーホラープロデューサーとはどのようなお仕事ですか?

簡単に言うと、お化け屋敷やホラーイベントを作るお仕事です。

たとえばお化け屋敷をプロデュースするとしたら、どんなお化け屋敷にするかを考える企画や、お化け屋敷をお客さんに体験してもらう運営はもちろん、お化け屋敷に飾る小道具や集客用チラシの制作もホラープロデューサーの仕事になります。

小道具の制作も自ら手がける夜住さん

ーーイベントの企画や運営、制作まで幅広いスキルが必要なのですね。どのようにスキルを身につけたのでしょう?

実際にイベントを作りながら少しずつ学んでいきました。ホラーの業界はすごくニッチなので、ホラーの専門会社ってほとんどないんですよね。

私は現在株式会社BAKERUでホラープロデューサーとして活動していますが、BAKERUもイベント会社で、ホラーの専門ではありません。私が担当するイベントが、ホラーメインなだけ。

なので、ホラーイベントを作るとなっても、誰かが教えてくれるわけではなくて.......。

私の場合は、ホラーイベントのアシスタントスタッフをして現場に入って、その中で少しずつイベントの企画や運営方法などを覚えていきました。

生と死のギャップの虜になった小学生時代


ーーそもそもホラーに興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?

最初はエンタメとしてのホラーではなく、リアルな「死」に関心がありました。

小学生の時は、理科室に忍び込んでホルマリン漬けを眺めたり、戦争に関する本を読んだり......。

「死」を取り扱ったコンテンツは、自分の心に強いストレスがかかります。しかし、幼い頃の私は「死」に向かい合ったときに受ける衝撃や恐怖の虜になっていたんです。

ーーなぜ虜に?

たとえば、休み時間になると図書室で死に関する本をよく読んでいたのですが、読んでいると暗い気持ちや嫌な気持ちになります。平和な学校生活とはかけ離れた、非日常な本の中の世界に引きずり込まれてしまうような、そんな恐ろしさがあったんです。

でも、授業開始のチャイムが鳴ったら本を閉じて教室に戻らなければいけないですよね。そうすると、一瞬で普通の日常に切り替わるんです。

そういうときに「生きてる!」という感動が湧いてきて。そして、恐怖が強ければ強いほど、より「生きてる」実感を得られるんですよね。

そのギャップが子どもながらにすごく快感だったから、恐怖を感じながらも虜になってしまったのかもしれません。

貿易会社からホラー業界へキャリアチェンジ


ーー高校を卒業後は貿易関連の専門学校に進学されたのですよね?

そうですね。大人になってもホラーは大好きでしたが、ホラー関係の就職先があるとは思っていなかったので選択肢にもありませんでした。

ーーなぜ貿易の専門学校だったのですか?

貿易の専門学校を選んだ理由は2つあります。

1つは珍しいジャンルだったから。昔からみんなと違うことをするのが好きな性格で、進路を決めるときも、人と違うことをしたいという思いがありました。

もう1つは、目標に向かって全力で努力する経験をしてみたかったから。

この2つの軸で選んだ結果が、貿易の専門学校だったんです。

周りに貿易の専門学校に進学した人はほとんどいませんでしたし、在学中に国家資格を取得しなければならなかったので、勉強面もハードだと思ったんです。

実際に入学してみて、授業は法律メインで難しかったのですが、合格という目標に向かって計画を立て、尽力することで無事国家資格を取得できました。

このときの目標を立てて、そこに向かって努力するという経験が今のホラープロデューサーの仕事にも生きているなと思いますね。イベントでも、まずどんなイベントにしたいかゴールを決めて、そこにむかって計画を立てていきますから。

ーー取得した国家資格を活かして貿易会社へ就職されたのですよね。

はい。でも、いざ就職となると、このままこの道に進んでいいのかとかなり悩みましたね。

ーー無事に資格も取得したのに、なぜ迷いが?

「ゾンビキャンプ」に出合ったんです。

ーー「ゾンビキャンプ」というのは?

オバケンさんというホラープロデューサーが企画・運営している泊まり込みのホラーイベントです。

ゾンビが出現する廃キャンプ場に1泊2日で泊まり込み、チームで協力しながら生き残りをかけてミッションをこなしていくというもので。このイベントを見つけた瞬間、「こんな面白そうなホラーイベントがあるなら絶対参加したい」と思い、当時住んでいた福岡から、イベント開催地の東京まで一人で行って参加しました。

「ゾンビキャンプ」では見事優勝

ーー1人で参加されたのですね!実際に参加されてみてどうでしたか?

ホラーイベントなのにホスピタリティに溢れていることにすごく驚いたのと、そもそもホラーを仕事に生計を立てている人がいるという発見がありました。

ホラーって人を怖がらせることが主体のイメージですよね。

でも、「ゾンビキャンプ」ではホラーを通して人を幸せにしたい、楽しませたいという気持ちがすごく感じられました。

運営スタッフさんの気遣いやテンション感などが全て「お客さんを楽しませたい!」という心からの思いで出来上がっていて。すごく愛のある現場だなあと感動したんです。

あとは、ホラーイベントで生計を立てている人がいることを「知った」というのも大きな発見で。

私もホラーを仕事にできるんじゃないかという気持ちが芽生えたのも、このイベントがきっかけです。

ーーずっと大好きだったホラーを仕事にできる可能性を目の当たりにして、進路に迷いが生じたのですね。

ただ、そのときはすでに国家資格を取得して貿易会社から内定ももらっていて......。

それを蹴ってまで未知の領域に進む決断はできず、後ろ髪をひかれながらも貿易会社に就職しました。

ーー迷った末に貿易会社に就職されたものの、半年ほどで退社されたのですよね。そこではどんな心境の変化があったのでしょうか。

最初に勤めた会社は、単純に会社のスタイルと私の性格や特性が全然合わなかったんです。

退職後は、安定をとって別の貿易会社に転職するか、不安は大きいけどホラー業界の道に進むか悩みました。ただ、ソンビキャンプを通じて、ホラーで生きていける可能性を知ってしまったから……。

後悔はしたくないと、ホラー業界の道に思い切って飛び込んでみることにしました。

ホラープロデューサーの肩書きを得るまで


ーーホラーの道に進むと決めたあとは、どんな行動を起こしたのですか?

すぐに「ゾンビキャンプ」の主催をしていたオバケンさんに連絡をとって、「働かせて欲しい」と直接伝えました。

そしたら「じゃあやってみようか」と返事をいただけて。

ちょうどそのとき、九州で開催予定のオバケンさん主催のイベントがいくつかあったんです。私は福岡に住んでいたので、それらのイベントをお手伝いすることになりました。

お客さんの呼び込みや、チラシを置ける場所を探すような営業の仕事からはじめ、徐々にイベント運営にも関わるようになりました。

その後東京に上京し、本格的に現場でホラーイベントに関わっていく中で、見よう見まねでイベントの制作と運営を覚えていったという感じです。

イベントスタッフとして働く夜住さん

ーー安定した貿易会社のお仕事から、不安定なホラー業界へ未経験で飛び込むのは大きな決断だったと思います。周囲の人に反対されませんでしたか?

家族からは心配されましたね。

だから、実際に私が働いているところを家族に見てもらった方が早いと思って。九州で1泊2日のホラーイベントを開催したときに、母親と弟をお客さんとして呼びました。

そもそもホラーに関心がない人は、ホラーイベントがどんなものなのかイメージがつかないだろうと思ったんです。

家族にホラーイベントに参加してもらい、実際に私が現場ディレクターとして働く姿をみてもらったら、イベント後には「いってらっしゃい」と東京に送り出してもらえました。

ーー作戦が功を奏したわけですね!その後、自分でホラーイベントを企画するホラープロデューサーにはどのようになったのでしょうか?

オバケンさんの元で企画制作のアシスタントをしたり、現場の運営をしたりといった下積みを経験したあと、今勤めているBAKERUの前身であるASOBIBAに入社しました。

ASOBIBAはもともとはサバイバルゲームのイベント会社だったのですが、そこでサバゲー場のホラーイベントの企画・運営をする機会に恵まれ、本格的にホラープロデューサーになったという流れです。

ーーホラーイベントをプロデュースしたいのに、なぜサバイバルゲームの会社を選んだのでしょう?

サバゲー場で、ホラーの演出をしたら面白そうだと思ったからです(笑)。

オバケンさんの元で働くうちに、自分でもイベントを企画したいという気持ちが強くなっていきました。でも、日本にはホラー専門の会社はほとんどないので、まずはイベント会社に入り、そこでホラーの企画を提案するという作戦をたてたんです。

ASOBIBAでの採用面接のときに、サバゲー場でホラー企画を作りたいとぶつけたら「面白そうだね」と反応をもらえていたので、ここで積極的に企画を提案すれば実現できるかもしれないと手応えを感じて。

入社後に改めてサバゲー場を使ったホラー企画をプレゼンして、実現まで漕ぎつけました。それが、私のホラープロデューサーとしての初めての仕事です。

その後、魔女と美術館をテーマにした女性向けのお化け屋敷「THE WITCH(ザ・ウィッチ)」を企画し、それから自分の作品をどんどん作るようになって、本格的にホラープロデューサーになりました。

夜住さんプロデュースの女性向けお化け屋敷「THE WITCH(ザ・ウィッチ)」

ホラープロデューサーとして独自のスタイルを確立


ーー夜住さんの作るホラーは、従来のホラーとは異なり「美しさ」や「ホラーが苦手な人でも楽しめる」といった点を重視していますよね。それはなぜでしょうか。

ホラーには恐怖以外にも、神秘性や芸術的な美しさなどの魅力を秘めていると思っていて。それをもっと多くの人に知ってもらいたかったんです。

たとえば、「不思議の国のアリス」は怖くて不気味な世界観ではありますが、それを上回る美しさや可愛さ、吸い込まれるような魅力がありますよね。

そうした恐怖以外のホラーの魅力にフォーカスしたコンテンツを作ってみようと思ったのがきっかけです。

ーー従来とは異なるホラーイベントを作る際に感じた苦労はありますか?

ホラー好きの方にも、そうじゃない方にも楽しんでもらえるイベントのバランスを考えるのが難しかったですね。

あとは、毎回新しい形での企画が求められるのも大変な点です。コロナ禍ではオンラインのホラーイベントを作る機会などもあり、常に試行錯誤していました。

ゼロから設計をするのは、毎回苦労しますし、実際に思っていたものの50〜60%くらいしか実現しないので悔しさもあります。

夜住さんプロデュースのオンラインホラーイベント「イキサキ探し2」

ーー悔しい思いをしても、これまで続けてこれたのは何故でしょうか?

やはり、好きだからだと思います。

ホラープロデューサーの仕事は、ニッチすぎて前例やお手本がないものがほとんど。自分で切り開いて仕事を生み出す必要がある特殊な仕事なので、苦労はたくさんあります。

SNSで作品に対するダイレクトな批判を目にしたときは、「辞めたい」と思うくらいに胸に突き刺ささるのが本音です。

それでも、私の企画したイベントを体験して、楽しそうな表情を浮かべているお客さんを見るのが幸せなんです。うまく行かなくて落ち込んでも、自分の好きなものでお客さんを喜ばせたいという気持ちがモチベーションになって、いつの間にかまた新しい作品に取り組んでいますね。

ーーホラープロデューサーの仕事は、夜住さんにとって天職だったのですね。最後になりますが、「好き」を仕事にして得られたものはなんだと思いますか?

自分の生きるスタイルが確立できたと思います。

好きなことを追求し続けたことで、自分が何をしたら幸せなのかがよく分かるようになりました。私は、自分の好きなことでお客さんを喜ばせることが幸せ。

もしこの先万が一ホラーに興味がなくなって別の仕事に就いたとしても、今のわたしなら自分が幸せに生きる道を選べる自信があります。そして、この自信は「好き」を追求して仕事にしたことで得たものなんです。

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ライター 櫻井眞帆(まぺぽ)


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