茅原真野

漂泊の思ひやまぬ昭和後期生まれ。詩歌鑑賞、かすてら、バウムクーヘン、日本犬(なかでも柴…

茅原真野

漂泊の思ひやまぬ昭和後期生まれ。詩歌鑑賞、かすてら、バウムクーヘン、日本犬(なかでも柴犬)、あざらし、鳥、埴輪などが好き。ときどき観る将。筆名は『万葉集』の笠郎女の歌から。

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2022.11.22(ピアノと陸上をめぐる想像)

生まれ変わったら就きたい職業のひとつが、ピアニストである。 ピアノは、子どもの頃にしばらく習っていた。けれど、家にはオルガンしかなかったし(ピアノが買えなかった)、練習がだんだん面倒になって、挫折した。そんな人間がなにをか言わんやだが、もしも才能にめぐまれたなら、来世はピアニストになってみたい。 以前、仕事でピアノに関する取材をするため、集中的にピアニストが書いた本を読んだり、ユーチューブでピアノ演奏の動画を見たりした時期があった。それでハマったのが、ラフマニノフのピアノ協

    • 夏の旅で食べたもの(前編)

      酷暑にも負けず、京都 経由 島根の旅に行ってきました。 ふだん、食べるものを写真に撮る習慣はないのですが、今回の旅では思い立って記録してみることに。 そうして撮った写真を見返してみると、まあ~、呆れるぐらい食べてますな~。体脂肪が気になるお年頃なのに~(苦笑)。 夏の旅の思い出として、映えない記録写真ではありますが、ひたすら載せてみたいと思います。 ※後編に続く(予定)

      • ふたつの肖像

        先日、東京国立近代美術館の展覧会「重要文化財の秘密」を観にいきました(※5月14日で終了しています)。 数々の有名な「重文」が並ぶなか、わたしのお目当ては、中村彝の油彩「エロシェンコ氏の像」でした。 インドカリーで知られる新宿中村屋の創業者であり、随筆家でもある相馬黒光の著作を通して、かねてからエロシェンコに勝手に親しみを感じてきたわたし。 今回の展覧会では、ミュージアムグッズとして「エロシェンコ氏の像」をイラスト風にデザインしたトートバッグがあると知り、これはぜったい手にい

        • 旅に出られるまでに

          この春先は、慣れない長距離の車の旅を何度もした。 五十肩になったのはそのせいだと思う。肩と腕が痛くてドアの開閉さえ辛い。ヨガのレッスンに行ってデトックスしたかったが、五十肩が悪化するのは怖い。 ぽっかりと時間が空いて、音楽を聴いた。 ピアノ独奏、角野隼斗。マリン・オルソップ指揮による、ポーランド国立放送交響楽団とのショパンのピアノコンチェルト1番。 同ツアーの演奏を、わたしは昨年9月に隣県のホールで聴いている。あのときはライブの高揚感に浮き足立っていた。いまCDで聴くその曲

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        2022.11.22(ピアノと陸上をめぐる想像)

          <東北の文学>の系譜~佐藤厚志「荒地の家族」

          佐藤厚志さんの小説「荒地の家族」(初出「新潮」2022年12月号/新潮社刊)が第168回芥川賞に決定した。 仙台出身・在住の著者が、宮城県を舞台に、災厄(東日本大震災)後の人びとの日々のいとなみと心のうごきを淡々と綴った作品である。 地元ということもあって、受賞決定直後から多くの報道を目にしたが、とくに印象に残ったものが「文春オンライン」の著者インタビューである。 何が印象的だったかというと、<東北の文学>に言及している点。 インタビューのなかで佐藤さんは、伊坂幸太郎さん

          <東北の文学>の系譜~佐藤厚志「荒地の家族」

          2022.12.31(「指」の歌を読む)

          2022年11月22日。将棋の藤井聡太王将への挑戦権を賭け、羽生善治九段と豊島将之九段が対戦した。結果は羽生九段が勝ち、年明けからの王将戦七番勝負に臨むこととなった。 この一局について、「朝日新聞」の北野新太記者(『透明の棋士』『等身の棋士』といった好著の著者でもある)が印象的な記事を書いている。 羽生九段が対局で勝ちを確信したときに指が震える現象は、将棋ファンにはよく知られていることだ。わたしもテレビなどの対局中継で見たことがあるが、なんとも神秘的なものを感じた。 北野記

          2022.12.31(「指」の歌を読む)

          美術館のジャム

          12月初旬のある日。 所用の帰りに時間があったので、長野県安曇野市の碌山(ろくざん)美術館に立ち寄りました。 日本の彫刻の先駆者である荻原碌山(本名は「守衛(もりえ)」)をはじめとして、碌山にゆかりのある芸術家たちの作品を収蔵・展示している美術館です。 美術館が建つ安曇野市穂高は、碌山の故郷でもあります。 大規模なミュージアムや巡回展が多くの人の目を惹くなかで、こちらのようなこぢんまりとした美術館は、時間のながれがゆったりしていて、とても落ち着くなあと感じます。 碌山美術

          美術館のジャム

          「とことわの過ぎてゆく者」~ 京都にて

           昨年(2021年)の11月初旬、わたしは京都の街を「もやもや」を抱えて歩き回っていた。  その前日、曼殊院から圓光寺、詩仙堂を歩いて古都の秋を堪能した後で、現地で一人暮らしをしている息子に会った。  息子は2020年の春、大学進学のため親元を離れた。当時、世の中はコロナ禍に突入したばかり。ハラハラしながら引っ越しを終えたものの、入学式は中止、対面授業は皆無、同級生の顔も名前も知らない、という新生活が始まった。親は遠くから見守るしかない。混乱のなか、あっという間に月日はな

          「とことわの過ぎてゆく者」~ 京都にて

          ゲラ読み感想『あなたの教室(仮)』

           早川書房から9月に刊行される予定の『あなたの教室(仮)』。  そのゲラ読みモニターに参加しました。  (タイトルの(仮)はもう外して良いのかもしれませんが、ゲラ段階では付いていたので、そのままにします。)  『あなたの教室(仮)』は、フランスの作家、レティシア・コロンバニによる小説。  話題となった『三つ編み』、『彼女たちの部屋』に続く3作目です。いずれも翻訳は齋藤可津子さん。  前の2作がたいへんおもしろかったので、早川書房さんのnoteで本作のゲラ読みモニターを募集し

          ゲラ読み感想『あなたの教室(仮)』

          鏡に映る自分を見るということ <3>

           ※<2>からの続きです。  高村光太郎にとっての鏡の中の自分とはどんなものであったのか。  それは、パリでの経験に語られるように、「非常な不愉快と不安と驚愕」をもたらす相対する自分であった、とは言えないだろうか。その相対する自分をみずからの裡に抱えながら、光太郎は芸術を追求し続けたのではないか。  光太郎が抱えていたみずからの相対するものについては、ひとつひとつ詳しく述べる必要があろう。だが、ここでは駆け足を許していただきたい。  それらは、<1>の最初に引用した呟きの

          鏡に映る自分を見るということ <3>

          鏡に映る自分を見るということ <2>

          「乙女の像」の構成について、作者である光太郎自身はこんなふうに述べている。 あれ(注:小型のひな形)をこしらえる前までは、一人の賑やかなポーズにして、いろいろポーズを考えたのですが、そうやつているうちに、どうも一人では淋しくて具合が悪いし、ひよつと、湖の上を渡つているときの感じが、自分で自分を見ているような、あるいは自分を見ているというような感じをあのとき受けたのが頭に出て来て、それで同じものを向い合せて、お互いに見合つているような形にしたらと思つて、それでこういうよう

          鏡に映る自分を見るということ <2>

          鏡に映る自分を見るということ <1>

           小田原のどかさんの『近代を彫刻/超克する』(2021年、講談社)を読んだ。彫刻家であり詩人でもある高村光太郎に関心をもつ者にとって、同書はとても刺激的な一冊だった。  読了してまもなく、2021年12月下旬から、小田原さんが国際芸術センター青森(ACAC)で光太郎の「乙女の像」(十和田湖畔にある、二体の女性像が向かい合う彫刻)にかかわる個展をされるということを知り、青森の冬に畏れをいだきつつも、観覧に行こうと計画を立てていた。だが、青森はずっと大雪が続いている様子。タイミン

          鏡に映る自分を見るということ <1>

          老眼鏡に思う

          以前、朝日新聞の連載記事「語る-人生の贈りもの-」で、万葉学者の中西進先生が取り上げられていた。中西先生といえば数年前に元号「令和」の考案者として話題になったが、20年前には奈良県の明日香村にある「万葉文化館」の設立にも関わっている(現在は名誉館長)。「語る」では、施設の起ち上げに触れてこんなお話が記されていた。 「……確かに何を見せるかが課題でした。でもそれは万葉文化館に限らず、文学館に共通の課題でもあります。文学館の展示といえば、作家の原稿用紙と万年筆、それになぜか老眼

          老眼鏡に思う

          鳥の言葉、人の言葉 ~ 小川洋子『ことり』

           森のそばにある職場なので、春から初夏にかけて、野鳥の繁殖シーズンにはいろいろな鳥のさえずりが聞こえてくる。とはいっても、聞き分けられる鳥の声はたかが知れている。ウグイス、ホトトギス、ツバメ、スズメ、ヒヨドリ、シジュウカラ……。そのなかで最近ひときわ大きく、多彩な声色で鳴く鳥がいて、それがガビチョウだということを知った。外来種で、その豊かすぎる声量から、街なかでは騒音とされることもあるようだ。野鳥に詳しい上司によると、どうやらもとは人に飼われていたガビチョウが、籠脱けしてしま

          鳥の言葉、人の言葉 ~ 小川洋子『ことり』

          シジンとテツガクシャ

          絵本作家・エッセイスト 佐野洋子の、単行本未収録だった童話やエッセイなどを収録した『佐野洋子 とっておき作品集』が、今年の3月に筑摩書房から刊行されました。 そのなかに、「いまとか あしたとか さっきとか むかしとか」というタイトルの童話が収録されており、冒頭に、主人公の少女「ふみ子」と父親が散歩に出かけたときの会話がでてきます。  「お父さん、風は見えないけど見えるね」  「そうだね、ふみ子はなかなか詩人だな」  「シジンってなに?」  「詩を作る人だよ」  「詩ってなに

          シジンとテツガクシャ

          めぐりめぐって――東浩紀『ゆるく考える』から

          東浩紀著『ゆるく考える』の文庫版(河出文庫)が出た。 同書の単行本は2019年に刊行され、すでに持ってはいたが、思い入れがある本なので、文庫も買ってしまった。(文庫版のあとがきや、解説が読みたかったというのもあるけれど。) とくに思い入れがあるのは、最初の章「i」に収められた25篇のエッセイである。それらは2018年の1月から6月まで「日本経済新聞」に連載されたものだ。 ちょうどそのころわたしは、毎日の業務のひとつとして新聞各紙(全国紙と地方紙あわせて6紙)に目を通し、仕事

          めぐりめぐって――東浩紀『ゆるく考える』から