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老眼鏡に思う

以前、朝日新聞の連載記事「語る-人生の贈りもの-」で、万葉学者の中西進先生が取り上げられていた。中西先生といえば数年前に元号「令和」の考案者として話題になったが、20年前には奈良県の明日香村にある「万葉文化館」の設立にも関わっている(現在は名誉館長)。「語る」では、施設の起ち上げに触れてこんなお話が記されていた。

「……確かに何を見せるかが課題でした。でもそれは万葉文化館に限らず、文学館に共通の課題でもあります。文学館の展示といえば、作家の原稿用紙と万年筆、それになぜか老眼鏡。……」

この「文学館の展示といえば……なぜか老眼鏡。」には思わずぐっときた。ぐっときたというか、「えー、『なぜか老眼鏡』っていうほど、ないでしょ~」とツッコミを入れたくなった。
しかし、よくよく思い返してみると、老眼鏡は文学者の遺品として少なくはない。人によっては、なんでこんなに?というぐらい複数の老眼鏡が遺されているケースもある。文学展では比較的お目見えする遺品であることには違いない。「なぜか老眼鏡」という中西先生の指摘は鋭いかもしれない。
では、なぜ「老眼鏡」なのだろうか。
考えてみるに、故人の洋服や着物、品物の良いネクタイ、マフラー、スカーフ、鞄、宝飾品などは、近しい人に形見分けして、家族の手元に遺されない場合がある。それに対して、老眼鏡(近視の眼鏡も含めて)は、その持ち主に合わせて作られているから、なかなか形見分けはしにくい。
かといって廃棄するにも、なんとなくしづらい。始終身につけていたものだから、故人の身体の一部のように感じてしまうからか。
そんなことで、家族の手元には故人の眼鏡、とくに晩年に使っていた老眼鏡が遺され、やがて文学者の人となりを象徴するもの、愛用品の代表格として文学展に出品されるケースが多いのではないか、などと想像を巡らせてみた。
たとえば、松本清張、司馬遼太郎、井上ひさしなどは、眼鏡(たぶん老眼鏡?)がある種のトレードマークになっている、ように思う。そのような文学者の展示では、眼鏡がひとつ置いてあることで、文学者の体温というか熱量がなんとなく感じられるような気がする。観る者の印象に残る展示品と言っていいだろう。

話は飛んで、雑誌「ダ・ヴィンチ」2021年11月号の第2特集は「眼鏡の男たち」である。
「マンガ眼鏡男子総選挙」など、興味深い記事が載っている(わたしの推しは、絹田村子さんの『数字であそぼ。』の北方君だが、ランクインしておらず残念である)。
それはさておき、特集中のコラム「文豪の眼鏡はどんな眼鏡?」(取材・文:藤井たかの)では、数人の文学者(明治から昭和にかけての方々)の眼鏡を東京メガネミュージアムの専門家の方が鑑定(?)していておもしろい。だが何より目がとまったのは、そのコラムの末尾近くの「意外と文豪は眼鏡の人が少ない……」という部分である。
そう、まさにそうなのである。
「文豪」と言われて思い浮かべる人たちは、案外、眼鏡率が低いということに、わたしもうすうす気づいていた。
「文豪」たちは、みんな視力が良かったのだろうか。
そこは分からないけれど、眼鏡を必要としていなかったということは、「文豪」の遺品のなかには当然、眼鏡というものはない。
そして「老眼鏡」について言えば、それが必要になるまで生を全うする人が少なかったのだ、という厳然たる事実がある。

わたしは芥川龍之介が好きだが(かといって芥川の文学には詳しいわけではない)、残された写真を見るかぎりでは、芥川は眼鏡をかけていない。遺品としても、眼鏡は存在していないはずだ。死の床で着ていた浴衣や、手元に置いていたマリア観音像などは遺されているのだが。
もし、芥川龍之介がもう少し長く生きていたら、老眼鏡のひとつやふたつぐらい遺されたであろうか。そう思うと、切ない。