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<東北の文学>の系譜~佐藤厚志「荒地の家族」

佐藤厚志さんの小説「荒地の家族」(初出「新潮」2022年12月号/新潮社刊)が第168回芥川賞に決定した。
仙台出身・在住の著者が、宮城県を舞台に、災厄(東日本大震災)後の人びとの日々のいとなみと心のうごきを淡々と綴った作品である。

地元ということもあって、受賞決定直後から多くの報道を目にしたが、とくに印象に残ったものが「文春オンライン」の著者インタビューである。

何が印象的だったかというと、<東北の文学>に言及している点。
インタビューのなかで佐藤さんは、伊坂幸太郎さん、柳美里さん、佐伯一麦さん、阿部和重さんなど「東北ゆかりの作家」との出会いに恵まれたことが、ここまでやってくる力になっていると語っており、それを受けて、記事にはこう綴られている。

なるほどこうしてみると、「現代東北文学」の担い手の層は厚く、東北とは文学がしっかり根づいている土地なのだと改めて感じさせる。

     山内宏泰「仙台市の書店員が新芥川賞作家に…佐藤厚志はなぜ書店に勤めながら生まれ育った東
北を描き続けるのか 〈芥川賞受賞〉佐藤厚志さんインタビュー」(「文春オンライン」)

<東北の文学>に関わる者の端くれとして、胸が熱くなる一文だ。

文学史を繙くと、東北は古くは和歌に「歌枕」として数多く歌われた地であり、近代以降は太宰治、石川啄木、宮沢賢治、斎藤茂吉、草野心平、井上ひさし、三浦哲郎、藤沢周平など、その没後もなお愛読される文学者たちを輩出している。
上記インタビューでの佐藤さんの言葉を借りれば、東北は「想像力が掻き立てられる土地柄」。なるほど、だからこそ現在も第一線で活躍する作家たちが東北に根を下ろして執筆を続けているのだろう。

<東北の文学>について考えるとき、わたしは仙台出身の哲学者、梅原猛を思い起こす。
京大で哲学を学び、「梅原日本学」と称される独自の学問を追究したことはよく知られていると思うが、その生い立ちは複雑であった。
梅原は1925年、当時東北帝大の学生だった父と、父が下宿していた家の娘との間に生まれた。母は梅原が1歳の頃に病没、その後は愛知に住む父方の伯父夫妻に引き取られ、かれらを実の両親と思い成長する。梅原は少年期にみずからの出生にまつわる事実を知るのだが、以後の苦悩と葛藤は想像に余りある。
自身の半生を綴った「学問のすすめ」という文章には、実父からはロゴスを、実母からは「東北人の荒々しいパトス」を受け継いだとあり、続けて以下のように記されている。引用が長くなるが、紹介したい。

 私は京都にいて、多くのすぐれた学者と知り合いになった。桑原武夫先生は私の師のひとりであるが、先生は私によくいわれる。
 「詩は東北、批評は関西、特に京都人は賢い。そして、よいものを子供の時からよく見ている。それで批評眼は発達するが、自らは詩はつくれない。詩はやはり東北だ。石川啄木(一八八六―一九一二)、宮沢賢治(一八九六―一九三三)、斎藤茂吉(一八八二―一九五三)、太宰治(一九〇九―一九四八)、みなすぐれた詩人は東北出身だ。東北人は心の奥に深い悲しみをもち、自然に詩がわき上がってきてやめられないところがある。梅原の書くものも、学問の形をとった詩だ。(中略)」
 私を東北人にして詩人にしてしまうのが、私の周囲の京都の学者の定説になっているらしいが、たしかにその通りかもしれない。私は、深いもの、自然なものにひかれる。(中略)
   あの力強い、何かえたいの知れぬ深いものを秘めているような縄文の世界、その世界に私は魅力を感じるが、それも私の東北人としての血が、そうさせるのであろうか。
 明るいロゴスと、暗いパトス、私はこの矛盾する二つのものを、父と母から受け継いだ。明晰に一つ一つのものをはっきり見ることのできる南国の知性と、無限に暗い生の秘密を蔵しているような北国の感情、それを父と母から受け継いだことを、私は幸福に思う。

梅原猛「学問のすすめ」(『梅原猛著作集20 日本学事始』所収)

桑原武夫の言う「心の奥に深い悲しみをもち、自然に詩がわき上がってきてやめられない」、また梅原の「力強い、何かえたいの知れぬ深いものを秘めているような」「無限に暗い生の秘密を蔵しているような」との評は、必ずしも東北に限ったものではないという声もあろうが、わたしにはとても腑に落ちる(※)。
いにしえの都びとが憧れた「歌枕」の地は、同時に「道の奥」であり、「辺土」と呼ばれ、やがては「一山百文」とされるに至った。
そのような土地に生きる人間が、ともするとこぼれそうになる心をよそうための深い器として、<東北の文学>は編まれてきた。

佐藤厚志の「荒地の家族」もその系譜に連なるものであるということを、じっくりと噛みしめたい。

※2023.2.7 追記:いわゆる「第二芸術」論で知られるフランス文学者の桑原武夫は、戦中戦後の一時期、東北帝大で教鞭をとった。そのあいだ、桑原は仙台の文学者たちと親しく交流している(そのなかに、歌人・小池光の父である直木賞作家・大池唯雄もいた)。それゆえ、桑原が<東北の文学>について梅原に語った言葉は、わたしには説得力をともなって響いてくる。