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(14)美人で冷たいクラスメートーーchinko to america by mano

 大学に入って2学期目、オレは前学期に続いてドイツ語のクラスを取った。ジェイも相変わらず同じクラスにいる。
 
 オレがいつも座る席のすぐ後ろに、長い黒髪の女の子がときおり座ることがあった。彼女はエイミーという名前の同級生で、色白の美人だった。
 教材のプリントが前の席から回ってくると、オレはそれを後ろの席のエイミーに渡す。普段は面と向かって彼女の顔を見る機会はないのだが、プリントを手渡すときだけは彼女の視線をしっかりと捉えることができた。
 彼女の瞳はヘーゼル色で、その目で見られると身がすくんでしまうくらいきれいだ。しかし、オレを見る彼女の目には何の感情もなく、冷酷な雰囲気しか伝わってこない。
 
 エイミーはいつも、自分が所属するソロリティのロゴマークが入ったスウェットを着ていた。ソロリティというのは、女子学生だけが入れるサークルみたいなもので、日本語では社交クラブと訳されたりする。キャンパス内にレンガ造りの立派で大きな建物を所有し、メンバーの中には寮費を払ってその中に住んでいる学生もいる。同じようなクラブが男子学生の間にもあり、そちらはフラタニティという。どちらもアメリカ人の学生ばかりが所属しており、その組織からは排他的な空気が発散されているようにオレはいつも感じていた。
(あの素っ気なさと冷酷さは、いかにもソロリティに入っている女って感じだよな。そうはいえども、エイミーの美貌には興味を抱かざる得ないんだよ……)
 そんな思いを募らせていた。
 
 一応、週に3日は小さな教室で顔を合わすクラスメートなのだから、キャンパス内ですれ違うときぐらい挨拶を交わしてもいいはずだ。だが、エイミーはいつもソロリティの仲間たちに囲まれ、こちらを一瞥することさえない。
 実際、エイミーはマドンナ的な存在として人気があり、筋肉質でハンサムな白人学生たちが彼女をエスコートするように付き従っている場面によく遭遇した。
 冷酷そうな美女……。エイミーは、とてもではないがオレが仲良くなれそうな相手ではなかった。だが、キャンパスで彼女の姿を見かけると、気になってしまうのだ。それは恋愛感情とは違った、表現しがたい気持ちの引っ掛かり方だった。それが何なのかわからないまま、彼女の姿を見つけるたびに、遠くから眺めるという行為を続けていた。
 
 4月になり、気候がかなり温かくなってくる。そんな春のある晴れた週末の土曜日、ユージがアーカンソー州の州都リトルロックに遊びに行こうと誘ってくれた。もちろん、オレは快諾する。
 ASUのあるジョーンズボロからリトルロックまでは車で2時間ほどの距離だ。州都といえども人口は20万人規模で、とてもではないが大都市とは言い難い。それでも人口5万人ほどのジョーンズボロに比べれば格段に大きく、久々の遠出に胸が躍った。
 
 ジョーンズボロを出るとしばらくは西に向かう。その後、キャッシュという町を通り過ぎると今度は州道67号線に入り、ひたすら南東に進んでいった。その道のりは平たんで、道の両側には見渡す限り綿花畑が広がっている。
 これほどまでにのどかな道は、留学でもしなければ目にすることもなかっただろう。こんな機会が得られるのだから、ASUを選んだのも悪くはなかったのかもしれない。
 とは言っても、やはりアーカンソー州は田舎過ぎる。宗教色もやたらと強く、ジョーンズボロでは酒の販売が禁じられているほどだ。飲酒に関してかなり寛容的だった家庭で育ったオレは、気軽に酒が飲めないという状況が窮屈で仕方なかった。
 
 リトルロックに向かう道すがら、広大な綿花畑を眺めているうちに、オレはある問いかけを思い付き、ユージに投げてみた。
「あのさ、もしユージがここで理想的なアメリカ人女性と知り合ったとするだろ。仮に彼女の名前をケリーとしよう。ケリーは美人だし、性格もいい。しかもセックスの相性も抜群ときている。そしたらおまえ、ケリーと結婚する? もちろん、相手はユージと結婚したいと言っている。ただしだ。ここからが重要。ケリーの実家はここジョーンズボロで綿花の大農場を経営していて、しかも一人娘。だから仮にケリーと結婚したら、ユージはここで一生綿花を育てなければならない。そんな立場に置かれたら、どうする?」
 
 オレは急にスペインのバルセロナで知り合ったヤスさんのことを思い出し、この問いかけをしてみた。
「えー、それって究極の選択だよな。結婚して5年くらい農場を手伝って、子どもが生まれたら日本に家族で引っ越すとかはダメなの?」
 ユージは彼なりの理想に思いを馳せているようだ。
「それはダメ。ケリーと結婚したら、死ぬまでここで綿花を育てる。彼女がそれを望んでいるからね」
 
 果たして自分だったらどうするだろうか。ケリーの美しい姿を妄想し、農場の中に建つ大きな家のベッドルームで彼女とセックスしている光景を頭に浮かべてみた。
(悪くないじゃないか……)
 オレのちんこはそう言っているようだった。
 だが、頭のほうはそう単純ではない。ここに骨をうずめるとなれば、気軽に飲み屋には行けないし、好きなときに街へ出て、散歩を楽しむこともできなくなる。それでもオレは満足できるだろうか。
 ユージのほうもかなり悩んでいる。
「いやあ、難しいよ。決められないよ。なんとも悩ましい質問だわ。選び難いけど、やっぱり結婚までは無理かな」
 冷静な判断だ。横浜の出身のユージとしては、アーカンソーのような田舎で一生過ごすのは耐えられないらしい。
 
 一方、オレが出した結論も「結婚までは無理」というものだった。実際に半年ほどジョーンズボロで暮らしてみて、数十年にもわたってここに住むのは難しいと感じていた。スペインでヤスさんの話を聞いたとき、「なんてもったいない決断をしたんだ!」と責めるような気持ちになったが、実際に外国に住んでみて自分事として考えてみると、いくら彼女が完璧だとしても、すべてをあきらめて移住するのは無理なような気がする。
 ただし、これはあくまでも想像上の話でしかない。オレは、そんな決断を迫まれるような経験をしたこともなければ、そんな境遇に立たされるような兆候にも触れたことがなかった。

エイミーの出自が明らかになった日

 リトルロックでは久しぶりに高層ビルを目にして、「都会に来たなあ」という気分に浸る。
 市街をしばらくドライブすると、次にオレたちはショッピングモールに立ち寄った。モール内のフードコートでランチを食べ終えると、あとは特にすることがなくなった。早くも時間を持て余し始めたオレたちは、中心部を離れて郊外に行ってみることにする。
 10分も走ると、木々に囲まれた閑静な住宅街に迷い込んだ。
 アーカンソー州は全米でも貧しい州の1つに数えられている。だが、目の前に建ち並ぶ大きな家々を見る限り、日本の住宅事情よりは格段に恵まれており、生活水準の高さが一目でわかる。こんなところに住めるのなら、田舎暮らしも悪くはないのかもしれない。
 
 午後3時を回ったころ、オレたちはジョーンズボロに戻るためにリトルロックを出発することにした。
 帰路、ビービー、サーシーといった小さな町を抜け、ニューポートを通り過ぎようとしたタイミングで、道路沿いにチャイニーズレストランがあるのを見つけた。
 見たところニューポートは、人口わずか数千人規模の町のようだ。にもかかわらず、町にはチャイニーズレストランがある。アメリカで中華料理店と言えば、中国人の移住者が経営しているものがほとんどだ。おそらくこの料理店も、オーナーは中国人に違いない。こんな小さな町でビジネスチャンスを求めて店を開く中国人の〝開拓者精神〟には感心するほかなかった。

「そこのチャイニーズに寄って行こうか?」
 オレはユージに提案した。
「こんなところにもチャイニーズがあるんだな。珍しいから行ってみよう」
 どうやらユージも興味を持ったようだ。
 
 少し行き過ぎてしまったので、途中で道を迂回してレストランに戻り、店の前の駐車場に車を入れる。
 フロントガラスの向こうに見える店舗の屋根は真っ赤にペイントされ、屋根の端は中国風建築の雰囲気を醸し出そうとしているのか、曲線を描いてくるっと巻き上がっている。軒には中国式の提灯がずらりとぶら下がっていた。入口の看板には、漢字に似せたような書体で「HONG KONG RESTRAUNT」という店名が記されている。
 アメリカの多くのチャイニーズレストランがそうであるように、その店の外観もアメリカ人が抱く東洋のイメージを思う存分体現したような〝オリエンタルテイスト〟が満載だ。当時も今も、オレはこうした奇妙な雰囲気のチャイニーズレストランが好きでたまらない。
 
 店に入ると、右手に銭湯の番台のようなキャッシャーがあり、そこにはオーナー夫人と思われる中年の中国人女性が座っている。店内を見回すと、夕食には早すぎる時間帯のためか、客はまばらだった。アメリカ人のウェイターがやってきて、「好きなところに座っていい」と案内される。それに従い、オレたちは窓際の席に座った。
 いつものとおり、食べ放題のビュッフェを選ぶ。店の中央に置かれたフードカウンターに行き、好きなものを皿によそって食べるというスタイルだ。時間は基本、無制限。これでたったの6ドル99セントだった。お手頃な値段もチャイニーズレストランの魅力の1つだ。
 
 カウンターとテーブルの間を3往復もすると、さすがにお腹がいっぱいになる。「そろそろ行くか」という話になり、番台のようなキャッシャーに向かうと、オレはその前で急に動けなくなってしまう。
(マジかよ。信じられない……)
 番台の中に座っていたのは、先ほどの中年の中国人女性ではなく、なんとエイミーだった。しかも、チャイナドレスのようなものを着て、店を取り仕切っている様子だ。
(もしかしたら、エイミーはこのレストランの娘なのか?)
 オレの頭はかなり混乱していた。キャンパスで見るエイミーは典型的な白人女性で、東洋系のような雰囲気は一切漂わせておらず、どこからどう眺めてもアメリカの白人だった。ところが、目の前のエイミーは東洋人の佇まいをぷんぷんと匂わせている。そして、キャンパスで見かけるよりも格段に美しかった。
 
 オレは自分の目を疑いながら、改めてエイミーのことを見た。すると彼女はオレのほうを振り向き、少し驚いたような顔をする。そのときに垣間見えたエイミーの瞳の色はヘーゼルではなく、オレとほとんど変わらない濃い茶色だった。
(そうか、大学ではカラーコンタクトをしていたのか……)
 オレはそこで、ただただうろたえていた。彼女が中華料理店の娘らしいと知り、急に親しみが沸いたものの、だからと言って、彼女のほうからはオレに対する親しみを少しも感じなかったからだ。その日のエイミーもめちゃくちゃきれいであり、雲の上の存在であることに相違はない。

「おい、マノ。どうしたんだよ。早く行こうぜ」
 事情を知らないユージが支払いをせかす。我に返ったオレは意を決し、番台に向かった。
「ああ、ハーイ……」
 かなりぎこちない挨拶をする。エイミーはどんな反応をするのかとドキドキしていたが、彼女はいつもと変わらぬエイミーだった。
「ハーイ。おつり、どうぞ。サンキュー」
 そういうと、ニコリともせずにレシートを渡してくる。
 さっきまで「エイミーだよね?」と聞こうかどうか迷っていたが、彼女はそんな隙さえ与えてくれない。
 
 まごついていると、奥から先ほどの中年女性が出てきて、朗らかな声で「アー・ユー・ジャパニーズ?」と聞いてきた。「そうです」と答えると、続けざまに「ASUの留学生か?」と尋ねてくる。オレが「イエス」と返答すると、「My daughter also goes to ASU.」と言い、女性はエイミーのほうを見る。そんなことはとっくに知っていたが、オレは「あっ、そうなんですね?」と、少し驚いた様子を見せ、愛想笑いを浮かべながら店を出た。
 結局オレは、教室やキャンパスでの自分と相も変わらず、エイミーに何も話し掛けられないままだった。
 
 車に乗って走り始めてからも、ずっとエイミーのことが頭から離れない。おそらくエイミーは白人のアメリカ人男性と中国人女性の両親から生まれたハーフなのだろう。中国もしくは中華圏出身の母親がチャイニーズレストランをあの町で始めたのだと思う。大学では白人にしか見えないエイミーが、あの場では東洋人のように見えたのは本当に不思議だった。

 正直なところ、アメリカの町中にある小さなチャイニーズレストランはどこも場末感が強く、社会的なステータスは高いものとは言えない。
「もしかしてエイミーは、オレに出自を知られて、恥ずかしかったのではないか? だからいつも以上にオレに対して冷酷な態度を取ったのではないか?」
 そんな考えが何度も頭をよぎる。これまでエイミーのことが気になって仕方がなかったのは、潜在的なところで彼女から東洋的なものを嗅ぎ取っていたからなのかもしれない。それがオレに一方的な親しみを感じさせていたとも考えられた。
 
 以前からエイミーは誰かに似ていると思っていたのだが、今日、チャイナドレスをまとった彼女を見て、それが誰なのかもやっとわかる。彼女は中国系アメリカ人としてよく知られるニュースキャスターのコニー・チャンに似ている。オレは、自分の中で勝手にもやもやとさせていた謎が一気に解けていくのを感じていた。
 彼女の家族が経営するレストランで会ったからと言って、彼女が週明けのドイツ語のクラスで急にフレンドリーに接してくれるとは少しも思えない。でもそれでいい。大学での彼女はソロリティに所属するマドンナ的存在の学生であり、そのステータスに見合うだけの完璧な美貌を持ち合わせている。そんな彼女をキャンパスの端から見られるだけで十分だ。
 
 ジョーンズボロに近づくにつれて、再び綿花畑が広がり始めた。
(相手がエイミーだったら、どうする? エイミーと付き合い始めて、彼女から「私と結婚して、うちのチャイニーズレストランを継いでほしいの」と言われたら、どうする?)
 オレは性懲りもなく、そんな問いかけを始めていた。
(アメリカで中華料理屋のオヤジか……)
 絶対にあり得ないシチュエーションを妄想する。オレはアホか……。そう思いながらも、「エイミーとだったら、どうするかな……」と、何度も何度も自問し続けた。

※本日も読んでくれて、ありがとうございます。おすすめの英語学習の本を紹介しておきます。chinko!!


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