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dānam


こんばんは。


新しい役職に就き、早ひと月が経ちつつある私です。

上司も先輩も話の分かる良い方ばかりで、幸せですよ。

動きやすくて遣り甲斐にあふれております、いぇい。


今日はたまたまその役職員が集まっての会議があったのですが、そこでですね、「君は頼まれたら絶対に断らないよね、気を付けないといつか損するよ!」って言われたんです。


それを言われて、ずっと無自覚でしたが『確かに!』って思っちゃったんですよね。


今の私って、『自分に出来ることがあることが嬉しい』モードなんですよ。

ねこさんに「メシ寄越さんかい」ってすり寄られたら『Yes, I do. 喜んで!』って際限なく貢いじゃう感じの。


任されることが嬉しい

頼られることが嬉しい


そして、前回までのnoteで語ったように「他人にしたことは回り回って自分に還る」という考えだから、良いコトをしたいのよ。

自分に出来る良いことは全部したいの。


って、考えてたらですね。

「なんかそれってさー、めちゃんこ良い人じゃない?」

「自分、気持ちわるっ。。」


って、思っちゃったので、ちょっとだけしっかり考えてみました。

今日はそんなお話をしまーす。


dānam


はい、みんな大好きサンスクリット語講座の時間がやってきました。

本日の言葉はこちら~

『dānam(ダーナ)』

これはめちゃんこ有名な言葉だし、知ってる人もおられる?かな?


日本語で書くと『檀那(ダンナ)』、意味は「与えること」。

『布施(ふせ)』とも呼んだりしますね。

「布施」は仏教の主な実践項目(修業的な)でもあり、お彼岸に「しなさい」って言われている六波羅蜜(六種類の修行)の一つでもあります。

六波羅蜜って、格好良いですよね。字面が。

まぁ、ややこいので特に深めませんけど。


はい。

そんな「お布施」もとい『檀那(分かり易いように漢字で書きますね)』ですが、これってめちゃんこ大切な教えなんですよね。

特に、現代人には必要なことだと思います。

だから、よく聞いてね。

よく聞いて、明日お友達にも教えてあげてね。


先ず、『檀那』の定義。

・返礼を必要としない

・義務ではない

この二つを満たす場合のみの「与える」行為。

つまり、お返しも出来ず・自分が手を貸す必要もない相手にわざわざ歩み寄って、何かを与えるということです。


与えるモノの種類は問いません。

物質でも、時間や知識・それこそ感情的なものでも『檀那』です。


忘れてはいけないのは、「自分のために与えている」という自覚です。

間違っても「○○してあげた」なんて思っちゃいけません。


『檀那』はね、仏教の実践項目に並んでいることからも分かるように、自己成長のための手段なんです。

他者に「与える」という行為から、自分もまた学びを「与えられている」んです。

「与える」なんて上から目線な言い方をしているけれど、本質的には「与えさせて頂く」んです。


なぜならば、『檀那』は「お節介」だからです。

それが本当に良いことか否かは、相手が受け取るまでわからないんです。

自分は良かれと思ったしたことでも、相手に取ったら迷惑かもしれない。

それでも、「与える」んです。

自分のために、人のココロを「学ぶ」為に。


お料理の試食をお願いしているようなもんですね。

「自分では美味しくできたと思うんだけど、どうかな?」って。

そうやって沢山の人に食べてもらうことで、誰かにとっての「美味しい」バリエーションを増やしていく。

それが『檀那』です。


だからね、『檀那』って、怖いんだよ。

「これって、良いのかな」って、常に心配しながら、不安になりながら、「与える」んです。

自己責任で。

相手の喜ぶ顔を見るまで、ずーっと戦々恐々ですよ。


でも、だからこそ『檀那』は高貴な行動とされ、出来る人は尊敬されたんです。

自分が痛みを伴ってでも、動ける人だからです。


だから、『檀那』は「自分を守ることを辞める」という訓練でもあると思うんです。

やらない理由が「怖い」だけなら、やれば良いと思うんです。


本当に相手のことを想っての行動なら、たとえ断られたとしても無下には扱われないよ。

もしそこで必要以上に嫌がられたとしたら、それはその行動ではなく君自身が嫌われてるってことなので、また別の問題です。

勇気を出して、動くと良い。

やらずに停滞を続けるくらいなら、やって後悔したほうが良いと私は思うよ。


そうした「ちょっと無理をする」行為って私たちにとってすごく重要で、その少しの背伸びが私達の精神を育ててくれるんです。

身体を育てる筋トレ同じですね。


精神も、育てなきゃ育たないんです。

勝手に大きくはなってくれません。


だから、皆さん『檀那』しましょうね。

折角なので、やろうと思えば今すぐ出来る『檀那』の教えを紹介しておきます。


『無財の七施』


・眼施(げんせ)

優しい眼差しを向ける


・和顔悦色施(わげんえつじきせ)

にこやかな顔を向ける


・言辞施(ごんじせ)

優しい言葉を発する


・身施(しんせ)

自分の身体で出来ることをする(荷物を持つ等)


・心施(しんせ)

他者に対して気を配る


・床座施(しょうざせ)

席や場所を譲る


・房舎施(ぼうじゃせ)

自分の居場所を提供する(家に泊める、傘に入れる等)

by雑宝蔵経


分かり易い綺麗ゴト集です。


でも、大切なこと。

明日から、少しずつでも良いので実践していきましょうね。


また、この中に「心施」というものがありました。

「他者に対して気を配ること」

私はこれが一番大切なことだと思います。

だって、全ての根本だから。


でも、「絶対」ではないとも思います。


先ずは、実践してみること。

「笑ってみよう」

「優しい言葉を使ってみよう」

「席を譲ってみよう」

そうしている内に、心も伴ってくるんだと思います。


大切なのは、「そうあろう」とすること。

先ずは、そこから入ってみましょう。


綺麗事でも良いじゃん。

良い人になりたいね。





ありがとう、だいすき。