短編小説:シンデレラ・お母ちゃん 〜捨てられない妻の遺品〜
いやぁ、まさかねぇ、自分より先にお母ちゃんが死んじゃうなんて、思ってなかったんですよ。
うちは姉さん女房で、お母ちゃんの方が二つ歳上でしたけど。ほら、女の人の方が長生きでしょ。お母ちゃんもまさか自分が先に死ぬなんて、思ってなかったんじゃないかなぁ。私、酒飲みだし。
あ、上がって行ってください。狭いですけど。一周忌も終わって、この間ようやく家の中を少し片付けたんですよ。
いやぁ、暑いですね。まだ梅雨だっていうのに。
猫、大丈夫ですか、アレルギーとかあります?うちね、猫飼ってるんです。
ほら、ニコ、ニコ、おいで。
この子はね、飼い猫のニコです。お母ちゃんが一昨年拾ってきて、飼い始めたんですよ。親猫とはぐれちゃったのか、雨の日に庭でニャーニャー鳴いててね。こんなに小さいのに可哀想って言いながら、お母ちゃんが家の中に入れちゃって。そこからもう、この子はお母ちゃんにべったりですよ。たしか、あの時も梅雨だったかなぁ。
ここを仏間にしてるんです。居間の端で立派じゃないけど。まぁ、ここなら家の中をお母ちゃんも見渡せていいかなって。お母ちゃん、家の中をうろちょろ動き回ってよく家事をしてくれていましたから。今はここから、おぼつかない足で必死に家事をしている私を監督してもらっているんですよ。
ほら、コレ、いい写真でしょ。遺影なんて準備する間もなく死んじゃったから、葬式の直前は慌てましたよ。この写真はね、夫婦水入らずで草津へ旅行に行った時のものなんです。いい顔で笑ってるでしょ。シワこそ増えたけど、よくよく見るとこんないい女だったかなって思いますよ。ははは。
苦労させましたから、お母ちゃんには。子供も巣立って長いけど、子育てと家事とパートと、よくやってくれました。働き者だったんですよ、お母ちゃんはね。私なんて仕事ばっかりでしたから。もう少し私の稼ぎが良ければ、お母ちゃんにも楽をさせてやれたんですけどね。
今思えば、もっと色んな事を一緒にしてやりたかったですね。料理とか特にね。作ってもらってばかりで。ちゃんと私も台所に立って教わっておけばよかったと思いますよ。今は私が作ったのを供えてますけど、もうお母ちゃんに味見だってしてはもらえないんだから。お母ちゃんの味が懐かしいですよ、本当に。味噌汁ひとつにしたって、同じ味になんてならなくてね。舌がアレに慣れちゃってますから、一年経っても未だに自分が作った味噌汁は美味しく感じませんね。
お母ちゃんが脚立から落ちて、入院して。もうあっという間でした。ちょうどこの上の電球を付け替えようとしてくれていたんです。ほら、電気つかないでしょ。ドスンとデカイ音がして、私風呂から飛び出て来たんですから。今もこの電球が憎らしくてね。新しいのは付け替えてやらないんです。
お母ちゃん、頭を強く打っちゃったんですよ、この机で。ずっと家族で食事をしてきた、この机でね。皮肉なもんですよ。この机も憎らしいけど思い出の方がたくさんあるから、こいつは蔑ろにしてやれないんです。
それで、お母ちゃん、手術はしたんですけど、麻痺が残ってね。リハビリがなかなか進まないで、そうこうしてるうちに今度は肺炎になっちゃったんですよ。誤嚥っていうんですか、むせて、それでそのまま呼吸がどんどん悪くなっていって、死んじゃったんです。
まさかまさか、あれよあれよと。本当にあっという間でしたね。葬式の時はまだ、お母ちゃんが死んだなんて受け止めきれていなくて。ボケっとしてる間に葬式は終わっちゃいました。娘達が上手い事色々手配してくれたから助かりましたけど。
いやぁ、なんていうか、実感がね、なかなか沸かなかったんですよ。お母ちゃんが死んだっていう。本当に突然だったでしょ。その突然を受け止めきれなかったんです。だって、家にはまだ、お母ちゃんがいた記憶がそこら中にありましたから。
この花だってそうですよ。お母ちゃんがずっと庭で育てていた花でね。いいでしょう、男一人の家に花が飾ってあるなんて。白い紫陽花なんて、珍しいかもしれないですけどね。お母ちゃん、この子は特に丁寧に育てていたから、こうして飾って見せてあげてるんです。おーい、お母ちゃん、今年も紫陽花が綺麗に咲いたぞーってね。
最近になって知ったんですけど、白い紫陽花の花言葉は、一途な愛情、らしいんですよ。へへ。
コレもお母ちゃんの形見みたいなもんだから、枯らすわけにはいかないでしょ。世話するのも大変ですけど。
庭もね、お母ちゃん居た時みたいに綺麗には出来てないけど、どうにかまだ世話をしているんです。お母ちゃん、花育てて飾ったりするの好きだったんでね。水やって、剪定して。ちゃんと世話してやらないといけないのが多いから、私も毎日忙しくしてるんです。
あの隅の薔薇は扱いにくくて敵わんですよ。棘があるでしょ。剪定なんかして、たまに棘が指に刺さるとチクリとするんですよ。いや、指よりも心の方がね。ああ、今はもう一人なんだなって思うんです。だってどんなに痛がったって、救急箱を持って来てくれるお母ちゃんが、もういないんだから。
私ね、家のどこに何があるかなんて、きちんと把握していなかったんです、この歳まで。なにせ、今まではお母ちゃんにアレどこだっけって聞けば取り出して準備してくれていましたから。
お母ちゃんが死んでしばらくは、もう大変でしたよ。アレがない、コレがないってね。救急箱も、そこら中探し歩いてやっと見つけて。家の事は本当に任せっきりでしたね、お母ちゃんに。
でも今はほら、綺麗にしてるでしょ。物の場所も最近ようやく把握しきってね。家の中を見回してみると感心しますよ。お母ちゃん、本当によく整理整頓してくれていたんだなって。今更ですけど、お母ちゃんが当たり前にしてくれていた事一つ一つがありがたくてしょうがないですね。この期に及んで私に出来る事なんて、散らかさないようにする事くらいです。
まぁ、とは言いつつ、なかなかお母ちゃんのものは片付けられなかったんですけどね。最近になってからですよ、ようやくお母ちゃんのものを捨てる決心が出来たのは。今少しずつ捨ててるところなんです。私ももうきっとそんなに長くないし、私が死んだ後に子供に迷惑をかけたらいけないと思ってね。
服とか布団とか、湿気ってカビて駄目にしちゃうくらいなら捨てようかと。梅雨だし。よく着ていたお母ちゃんのお気に入りの服はまだ捨てられていませんけど。それでもだいぶ家の中は片付いたんですよ。
………ああ、でも、さっき家上がった時、玄関、散らかってたでしょ。玄関がまだね、どうしても片付けられないんです。
靴がね、捨てられないんです。
外に出て帰って来て、お母ちゃんの靴が無いのはどうしても耐えられないんです。ほら、私仕事人間で、外にいる時間が長かったでしょ。帰ったぞーぃって言って、玄関を開ける癖は今も抜けないんですよ。するとね、お父ちゃんおかえりーって、その時ばかりはお母ちゃんの声がまだ聞こえるような気がするんですよね。なのに、玄関の靴が無くなっちゃうと、その声も聞こえなくなっちゃう気がするんです。
だから、玄関はまだあの有様なわけですよ。
………そうそう、奇妙な話がひとつあってね。
お母ちゃんが死んですぐに、サンダルが一つ無くなったんですよ。お母ちゃんが気に入って履いていたサンダルで、庭出るのもそのサンダル、スーパー行くのもそのサンダル。しまいにゃ草津行く時もそのサンダル履いてましたからね。私が買ってあげたサンダルなんですけど。
お母ちゃん、物を大切に長く使う人でしたから、新しい物をあんまり欲しがらなかったんです。それがもう何年も前、出掛け先の通りすがりの靴屋で、そのサンダルをジッと見ててね。買ってやるって言っても、遠慮こそしたんですけど、気に入っているのは流石にわかりましたから、無理矢理丸め込んで買ってやったんです。私が靴のサイズを合わせてやってね。
そしたら、次の日からずっとそのサンダルを履くようになってね。草津の時は流石に、サンダルなんて履いて来たのかって怒りましたけど。ははは。ずいぶん気に入ってくれてたみたいで。可愛いとこあるですよ、お母ちゃんはね。
火葬するとき、棺にそのサンダルを入れてやろうと思ったんです。あっちで裸足じゃ可哀想だから。でもね、なぜか片方のサンダルしか見つからなかったんですよ。結局棺には、片方のサンダルだけ入れて、もう一組靴も入れてあげたんですけど。不思議でしょ。
でも、確か、四十九日過ぎてからだったかな。見つけたんです、縁側の下で、もう片方のサンダルを。
隣でニコがうずくまっててね。こいつが犯人だったわけですよ。普段はこんな悪さする子じゃないんですけど。
それで娘がね、また変な事を言うんです。お母ちゃん、いつもそのサンダル履いてたから、きっと天国にもそのサンダルを履いて行こうとしたんだよって。天国への階段を登ってる途中で脱げて、地上に落としていったんじゃないかって。そう、娘が言うわけですよ。ニコはきっとそれを拾っておいてくれたんだから感謝しないとだね、とまで言われましてね。笑っちゃうでしょ。
まったく、シンデレラじゃないんだからね。
まぁ、でも、お母ちゃんがシンデレラなら、私、王子様でしょ。私が死んだら、このサンダルを持って、あっちの世界でお母ちゃんを探して回ろうかと思ってね。
娘に、じゃあ俺が死んだらこのサンダルを棺に入れてくれって言ったんです。そうしたら、娘が泣き出してね、それが良いよ、そうしようって大泣きするんで。私もなんだか緊張の糸が切れてね、釣られるように泣いちゃって。それからですかね、お母ちゃんが死んだのを受け入れられるようになったのは。
そのサンダルは今も大切に保管してるわけですよ、下駄箱の中でね。片方だけで不格好ですけど。たまに出して、日に当ててやって、話しかけてるんです。
そうすると、ニコもやってくるんです。前みたいに悪さはしないで、そっとサンダルの隣にいてね、守り番をしてくれるんですよ。ニコもお母ちゃんが居なくなって、しばらく元気がなかったんですけど、最近は私にもちゃんと懐いてくれてね、名前を呼んでやると嬉しそうにするんです。
ニコ、ニコってね。こいつの名前を呼んでるだけで、私も無理矢理笑顔にさせられますから、お母ちゃん良い名前付けたなって思いますよ。笑って生きろっていう、お母ちゃんのメッセージなのかもしれませんね。
しかし、こいつは不思議な存在ですよ。サンダルの件もそうだけど、何より、お母ちゃんが死んでもニコのおかげで私は一人ぼっちにならなかったんですからね。あの雨の日に、お母ちゃんがニコを拾って来たのも、何かの因果だったんでしょうね。
いやぁ、長い話に付き合わせてすみませんでした。気を遣ってもらって、本当に、ありがとうございました。
でもね、大丈夫です。なんとか、やってますから。ニコ置いて死ねませんからね。まだまだ生きますよ。酒の量もね、ずいぶん減らしたんです。あっち行った時にお母ちゃんに怒られたんじゃ嫌だから。
それに、ニコも含めてお母ちゃんの置き土産がたくさんありますからね。庭木の面倒もちゃんと見ないと。まぁ、この家全部がお母ちゃんみたいなもんで、なんやかんや今もずっと一緒にいる気分です。だからね、大丈夫です。これからも、なんとかやっていきます。
気をつけて帰ってください。わざわざ遠くから来てもらって、本当にありがとうございました。
おわり
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